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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第一部 影の揺りかご

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40話 姉妹

 目の前で火柱が上がった。息を呑むと同時に、景色や音がなだれ込んでくる。


「カルヴァス!」


 カルヴァスが炎剣で影憑きを斬り伏せながら、振り返った。


「全然帰って来ねぇと思ったら、こんな時に帰って来ることねぇだろ!」


「本当だよ――ね!」


 インターリとベッロが身を翻し、カルヴァスが庇い切れない影憑きを狩り尽くしていく。


「インターリ⁉ 動いて大丈夫なの、絶対安静って……!」


「状況判ってる、お姫様⁉」


 戦場だった。辺りで金属のぶつかる音や、怒声、悲鳴が響く。


 カナメが剣を手に駆け出した。それを追おうとしたマリーエルは、呼び止められ、振り向いた。ヨンムとアントニオだった。


 ヨンムが手を置く装置から、辺り一帯に膜のようなものが張られ、それは影の侵入を防いでいる。膜の中でアンジュが横たえられているのに、マリーエルは安堵の息を吐いた。


「お前はこちらに残ってくれ。精霊界に行ってから三日経ってる。自覚は?」


 マリーエルが首を振ると、ヨンムと目配せしたアントニオが、木箱を差し出した。


「こちらは、クッザール様が探し出した、恐らく初代精霊姫の心の臓が納められている木箱です。呪法に使われたこの中身を祓うことが出来れば、深淵の女王の力を弱め、祓うことが出来る、と考えられます」


「正直、この装置も僕の力も限界なんだ。早いところ済ませてくれ、マリーエル」


 苦しそうに言うヨンムに、マリーエルは頷き、木箱を取り上げた。


 木箱には澱みが張り付き、禍々しい穢れを放っていた。


 しかし、今は精霊の力が強く満ちている。気を纏わせ、ひとつずつ澱みを剥がしていくと、やがて呪いの木箱はありふれた木箱となった。崩れそうな蓋を持ち上げる。


 中には、ふたつの心の臓が納められていた。


「ふたつ……⁉」


 ひとつは静かに艶めき、ひとつは澱みに蝕まれている。


「何ですって……⁉ もしや、それは深淵の女王の……⁉」


「おやまぁ、懐かしい」


 瞬間、背に強い力が加わって、マリーエルは押し倒された。顎を打ち、視界で光が明滅する。


 深淵の女王がマリーエルの背に乗り、組み敷いていた。


 女王は、掴み掛かろうとしたアントニオをいともたやすく弾き飛ばすと、可笑しそうに(わら)う。


 立ち上がろうとしたアントニオは、血の塊を吐き地に膝をついた。歪む視界でマリーエルの姿を捉え、呻き声を上げる。その様子にヨンムが唇を噛んだ。


「くそっ、レティシアの器を使うお前は防げなかったか……馬鹿にしやがって」


 膜の外に迫りくる影に、ヨンムは装置から手を離すことが出来ない。


 深淵の女王はふたつの心の臓を愛おしそうに見つめ、身の内に仕舞い込んだ。


 女王の背後で炎が舞った。ひらりとそれを躱した女王が、カルヴァスに笑い掛ける。


「あら、この器がどうなっても良いのかしら。可哀そうなレティシア」


 カルヴァスは舌打ちをして、マリーエルの前に立ち塞がった。


 マリーエルは激しく咳き込みながら、カナメの姿を探した。カルヴァスと同じく牽制されたカナメに目で剣を示し、合図をする。


 カナメは剣を握り直すと、女王目掛けて駆け出した。


 女王はニタニタと笑い、誘うように手を広げている。


 カナメの一閃が女王の体を斬り上げた。驚いた兵がカナメを押さえ、引き下がらせる。


「待て!」


 カルヴァスの声に、兵が手を止めた。


 女王が表情を失い、体を折り曲げた。傷は決して深くないが、その姿が女王とレティシアとで、ぶれて見え始める。


「これは……どういうこと……?」


 女王は戸惑いのうちに大量の影を吐き出した。レティシアの体だけがガクリと揺れ、地に倒れ込む。アントニオが転がるように膜から飛び出し、レティシアの体を膜の中へと引き込んだ。


 怨念の籠った女王の視線がカナメに突き刺さる。しかし、すぐに口元に歪んだ笑みを浮かべた。


「可哀そうなレティシア。ねぇ、このままでは、貴女の願いが叶わなくなるわよ」


 その言葉に、レティシアの目蓋が震えた。瞳を開いた彼女は、覗き込むマリーエルの頭を掴み、抱え込むようにした。頬に立てた爪が食い込み、血が滲む。


「何を……⁉」


 アントニオの声に睨み上げると、肩を掴むその手を払おうとする。


「深淵の女王! 早く力を貸しなさい! この子を破滅させる力を!」


 深淵の女王が哄笑した。その声はマリーエルの耳を不快に震わせる。


「レティシアを返す? その子はお前を憎み、自ら私に身を委ねたというのに?」


 マリーエルは、頬の血を拭い、憎々しげに睨み付けるレティシアを見つめ返した。


 深淵の女王が嗤いながら、一歩、一歩と影を撒き散らせながら歩み寄る。兵達は、いともたやすく影に弾き飛ばされていく。


「やるしかねぇか」


 周囲に目を走らせたカルヴァスが駆け出し、炎剣を揮った。女王は容易に炎剣を避けると、カルヴァスの体を掴み上げた。


「お前ごときが何をするですって?」


「最大火力でいってやるよ……! 火の精霊よ、燃ゆる力を我が身に!」


 その言葉に応えるように炎剣が激しく燃え上がる。徐々に精霊の力が強まり、カルヴァスの身の内を焼き尽くすように巡る。熱い息を歯の隙間から漏らし、カルヴァスは腕に力を込めた。


「最大火力だなんてこんなもの?」


「これが最大だなんて、誰も言ってねぇぜ」


 炎が立ち上がり、カルヴァスの身を駆けていく。最早、カルヴァス自身が炎剣となり女王の身に沈んでいく。チリチリと音を立て、炎が女王の体に移る。


 それは一瞬だった。するり、と女王の体を炎剣が滑ると、頭を割るような悲鳴が響き渡り、溢れ出した影が辺りに散った。女王の体から二つの心の臓が零れ落ち、転がる。


「カナメ……ッ!」


 カルヴァスが焼けた声で叫んだ。


 離れて転がる二つの心の臓に戸惑ったカナメの手の中で、細剣が意思を持ったように震えた。カナメはすぐに地を蹴り、澱みに蝕まれた心の臓に剣を突き立てた。


 細剣が心の臓を貫いた時、女王が苦悶の表情で唸り、足元をふらつかせると、地に崩れ落ちた。


「やった、か……?」


 カルヴァスの呟きに、視線を彷徨わせた女王は、ふいに禍々しい笑みを浮かべた。


「くそっ、まだ――」


 今まさに最後の力で堪えていたカルヴァスの体が傾き、為すすべもなく地に倒れこむ。


 女王はカルヴァスに向けて影の腕を伸ばした。


「やらせないよ」


 素早く駆けたインターリが、影を裂き、カルヴァスの前に立ち塞がった。ベッロが唸り、女王の頸に牙を立てる。


「あ、おい。そんなもん食べるなって。そういうのは王様に――」


「随分な言い方だな。だが、それでいい。王とは民の為行う者だ」


 兄王が太刀を揮い、深淵の女王の体を地に縫い留めた。


「マリーエル、祓えを!」


「はい!」


 マリーエルは兄王の言うままに、祓えの力を放った。祓えの力は、影の腕を、そして辺りを埋め尽くしていた影を消し去った。


 大きく目を見張った女王の体は次第に解け、崩れ始める。


「父殺し」


 女王がニタリと嗤う。兄王は静かに女王を見つめ返した。


「あぁ、それは王として私が負うべきものだ」


 忌々しげに呻く女王に、兄王は手にした太刀へ更に力を込めた。


 長く息を吐いたマリーエルは、憎しみの表情を浮かべるレティシアに向き直った。


「どうして、レティシアお姉様が深淵の女王に身を委ねてしまったのか。どうして、私の破滅を願ったのか。今なら少し判るよ」


「何ですって……?」


 レティシアが、再び襲い掛かろうとするように、アントニオの腕の中で暴れまわった。


「私達は、お互いのことを知る為に話すことを避けていた。上手く巡らない関係に気付かず、知らぬ振りをした。でも、それじゃ駄目なんだ」


「黙りなさい!」


「黙らない! 私は、色んな想いを知ったよ。繋がりを感じたよ。どんなに自分が未熟かも思い知った。もし、ちゃんと想いを伝えられていたら、聴くことが出来ていれば……。私はレティシアお姉様の想いも聴きたい。そして、一緒に考えたい」


 レティシアの足がマリーエルの腹を蹴り飛ばした。アントニオの視線が鋭くなる。


 マリーエルは、暴れまわるレティシアに近寄ると、その体を抱きしめた。


「どんなことをされたって……どうしてもお姉様が私を許せなくても。でも、私は許して貰えるように話したい。判り合いたい」


 徐々に暴れるのを止めたレティシアが、小さく震えた。


「でも、貴女は許しを得なければいけないことなんてないじゃない。精霊姫であり、使命を果たし、皆に愛されている。私は……アンジュを痛めつけ、お父様を死に追いやり、それをカオル兄様に押し付けた。自らの欲に溺れ、多くの人々を傷つけた。貴女の顔をご覧なさいよ。その傷を! 私が付けたその傷を! 人々は私を非難し、憎むわ」


「うん……起きたことはどうにも出来ない。でも、皆に話して、許してもらおう。許してもらえなくても、でも、それでも私は傍で話を聴くよ」


 細かく震えていたレティシアが、ふっと脱力した。マリーエルの肩口に目元を押し付け、小さく肩を震わせる。マリーエルは改めてそっと、その体を抱きしめた。


「ねぇ、姉妹ってああいう風に仲直り出来るのね」


 崩れ落ちていく深淵の女王の許に降り立った輝きが言った。


 それは地にもうひとつ転がる艶めく心の臓から零れ、煌めいている。まだ影の手を伸ばそうともがいていた女王の手に輝きを重ね、それを制する。


「マリーピア……」


 モイーラが呟いた。煌めきが(かたど)ったマリーピアが、柔らかい笑みを向けた。


「お姉様が私のことを(いと)わしく想っていることは判っていました。だからこそ、あの時はお姉様に心の臓を差し出したのです。こうなった時に、一緒に還る為に。今のお姉様には聞こえるでしょう、世界樹の声が?」


 そう言うと、マリーピアは耳を澄ませるようにした。モイーラは鼻で笑う。


「嫌だわ。貴女なんか大嫌いよ。本当に馬鹿な子ね」


「それはお姉様も同じです。深淵の力を手にしたというなら、こんな見せつけるようなことをしなくてもいいのに。本当にお子様です」


 影がマリーピアを貫いたが、姿が揺らいだだけで、彼女は眉を下げた。


「還りましょう」


 マリーピアがマリーエルに目線で訴えかけた。マリーエルは手を掲げ、二人が世界樹に還れるよう祈りを捧げた。しかし、モイーラの様子を見て手を止めた。


 モイーラは愉快そうに笑みを浮かべ、嗤った。


 兄王が剣の柄に力を込め、より深く裂こうとするのを、生え出た影の手が止める。


「我が妹マリーピア。愚かな子。自身の溜め込んだ穢れも知らずに、この私を導こうとするなんて」


 戸惑いに眉根を寄せたマリーピアは、ハッと艶めく心の臓に目を向けた。マリーピアの心の臓は、見る間に艶を失い、影に侵され染まっていく。


「なんてこと……!」


 マリーピアの悲鳴に、カナメが心の臓の許へ駆けた。しかし、影の手がそれを阻み、カナメの体を跳ね飛ばす。


 モイーラ――深淵の女王は、体に深く刺さる太刀を掴み上げ、軽々と放り投げた。カオルの大柄な体が宙を飛んだ。ベッロがそれを背で受け止め、唸り声を上げる。カオルを追って放たれた影を、インターリが斬り裂く。


「何なの、アレ。いい加減消えておけよ」


 インターリは、次々に地より溢れ出る影を斬り伏せながら、腹を押さえ、眉根を寄せた。


「愚かな者達。私を、深淵の女王を視なさい。さぁ!」


 深淵の女王は、引き寄せたマリーピアの心の臓を飲み込み、嗤った。


 小さく呻いたマリーピアが、悲しそうに深淵の女王を見下ろした。


「何故、このようなこと――」


「本当に馬鹿な子。一体どれだけこの心の臓は私と共にあったと? 何故、そうしたかも判らない? それで精霊姫だなんて、思い上がりも甚だしい。私は、地の底で永遠とも思える時を、お前への憎しみを抱いて熟んでいたのよ。お前には想像も出来ないでしょう? 世界樹などには還らない。お前も還さない!」


 ぐるりと顔を巡らせたモイーラは、レティシアに歪んだ笑みを向けた。


「お前にも、この才はあったのに残念ね。お前という存在は、誰が何を言おうが許しを得ようが、破滅を生み、父の死を作った娘だった、ただそれだけのつまらないもの。無様な娘。罪を抱えて苦しむがいい」


 女王の貌が恐ろしいものへと変わっていく。影を滴らせる鋭い牙を見せつけ、嗤う。


「視よ、深淵の女王を! 恐怖し、絶望せよ! 影はお前達を嗤い、喰らい、覆い尽くす」


 深淵の女王はぐるりと首を巡らせると、マリーピアの体を掴み、その体に喰らいついた。


 マリーピアが小さく声を上げる。その体は徐々に影に浸食されていく。


 駆けつけようとしたマリーエルを、マリーピアは目線で制した。


「私はまた何も成せなかった。お姉様は――」


「そう、お前は過ちを犯した。愉快ね。さぁ、私のこの姿を視なさいな。焼き付けてあげる。可愛い、愚かな妹マリーピア。お前がどれ程穢れた存在か、地の底でたっぷり教えてあげるわ」


 深淵の女王は爛々と光る瞳で辺りを見渡し、ニンマリと嗤うと、新たに湧き起こった影に溶けるようにして消え去った。


 マリーエルは残された影を祓い、長い息を吐いた。辺りは静まり返り、言葉を発する者も居ない。皆、戸惑いと疲労に、ただマリーエルの姿を見つめた。


 明るさを取り戻した空を見上げたマリーエルは、再び長く息を吐いた。


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