37話 真相
町外れの景色が見えた時、マリーエルは目頭が熱くなるのを感じた。
ふと、道の先に捉えた人影の輪郭をはっきりと捉え、マリーエルは手綱を強く押していた。
「アントニオ!」
「お帰りなさいませ、姫様」
霊鹿から飛び降りるようにして、マリーエルはアントニオに駆け寄った。
「いつから居たの? どうして?」
「姫様が祓えを行われたと〝知り〟ましたので、そこから逆算しただけです」
アントニオは跪くと、マリーエルの手の甲に額をつけた。やつれた顔で心底嬉しそうに笑みを作る。
「クッザール隊長は戻ってるか?」
カルヴァスが霊鹿番に霊鹿を預けながら訊くと、アントニオはふっと意識を引き戻され、不機嫌そうに眉を寄せた。
「少し前にお戻りになりましたよ。今は広間にいらっしゃると思います。対影用本部として使っていますので」
「カオル隊……いや、グランディウス王は?」
「姫様お戻りの報せを出しましたので、陽が上がりきる前には恐らく」
アントニオはマリーエルに向き直ると、僅かに眉を下げた。
「王が戻り次第、姫様へお話したいことがあると。それまで体をお休め下さい。――そちらがインターリとベッロですね。姫様の教育役である私が預かります。本来であれば、姫様の身の周りのことを決めるのは世話役ですが……アメリアのことは残念でなりません」
「……うん」
マリーエルは繋がったままのアントニオの指先を握った。温かさが沁みていく。
「じゃあ、オレはクッザール隊長の所に、報告に行ってくるわ」
霊鹿番とのやり取りを終えたカルヴァスは、既に道を歩き始めていた。
「うん、有難う、カルヴァス! また後でね」
マリーエルの声にひらひらと手を振り、歩いていく。すぐに何人かの兵が寄ってきて、何事かを話し始めた。
「さて、私達も行きましょう。まずは湯あみとお召替えを。お食事はされますか?」
アントニオが世話を焼き始めると、インターリが「手厚いねぇ」と茶化した。
インターリは医術師により絶対安静の扱いとなり、マリーエルの自室近くに用意された部屋に、ベッロと共に押し込まれた。
自室は変わらずマリーエルを迎え入れた。ただ、一人だった。ふと体が重く感じて窓枠に背を預ける。知らず息が漏れた。
呼び鈴が鳴り、カナメが顔を覗かせた。
「厨で足りない材料を貰って来たんだ。以前約束しただろう。こんな時は茶でも飲んだ方が良いと思って」
カナメは窺うようにマリーエルを見つめている。
マリーエルは零れるように笑ってから、カナメを迎え入れた。茶は深く甘く、様々な感情を静めてくれた。
広間に向かいながら、知らず気を張っていたのだとカルヴァスは実感した。マリーエルの護衛という大役を終え、それを報告するのが待ち遠しい。それと同時に気がかりもあった。アメリアのことをどう伝えるべきか。黙っていてもいずれ知ることとなる。
広間に入ると、クッザールが地図を広げて何やら話し合っている姿が見えた。カルヴァスが歩み寄ると、顔を上げたクッザールが柔らかく目を細めた。
「帰ったか。ご苦労だった。迎えに出られなくてすまないな。少し気になることがあって偵察に出ていた」
「判ってますよ。ただいま戻りました」
周りの兵が、カルヴァスの帰還に沸き立つ。
「休ませてやりたい所だが、お前の意見も聞きたい。――食事は取ったか?」
クッザールが差し出した、手の込んだ肉料理に視線を落としつつ、カルヴァスはそれを断った。
「ひとつだけ、隊長のお耳に入れたいことが」
怪訝そうにしながらも、クッザールは窓際の小部屋にカルヴァスを誘った。
いざ目の前にすると、何と伝えるべきか分からなくなる。しかし、自分が伝えるのが最適だろう。カルヴァスはアメリアのことを端的に伝えた。
眉間に皺を寄せ、耳を傾けていたクッザールは、暫く黙した後、そうか、とだけ言った。
「このような時に伝えるべきかと悩みましたが、マリーが戻った今、すぐに判ることなので」
「あぁ、そうだな。すまない。お前も辛いだろうに」
「……アメリアは姉のような存在でしたから」
「そうだな」
クッザールは、長く息を吐きながら柱に背を預けた。再び、そうか、と呟く。
「彼女にはいくらでも婚姻話はあった。力がないことを気に病んでいるのだとばかり……。しかし、女神、か。つくづく私には手の届かぬ人だったんだな」
クッザールは思い悩むようにすると、小さく笑った。
「かの地で彼女が想い人と共に居られることを願うよ」
空を見上げていたクッザールは俯き、再び空を見上げた。
「マリーエルを無事連れ帰ってくれたこと、礼を言う。また色々頼らせて貰うぞ、カルヴァス」
「任せてくださいよ、隊長」
気安い調子で返すと、クッザールは兄のような顔で笑った。
王の間を訪れたマリーエルは、父王と同じ装飾を身にまとった兄カオルと向き合った。
「よく戻った。世界樹の枝葉の澱みを祓ったことで、世界樹から受ける気が安定している、と精霊王からも聞いている。ただ……」
「精霊国では、影憑きの被害が増えている」
「そうだ」
カオルは話を続けようとして、頭上の精霊石の王冠を取り外し、卓の上に置いた。
「その前にお前も聞きたいだろう。我等が父の死の真相を」
少しの間を空けてから、マリーエルは頷いた。
「あの時、私はグラウスの外れで影の対処に追われていた。そんな時、城から王の乱心との報せが届いた。父上は、起きる筈ではなかったフリドレードとの戦を引き起こし、無益に兵と民の命を失わせた。その上で、乱心とは? 急ぎ城へ戻った私は、信じられないものを見た。町から城へと続く、数多の屍だ。我が民の。私は屍を辿った」
カオルは窓の外に視線を移すと、溢れ始めた光に目を細めた。
「この場所だった。あの夜、屍の中に立ち、父上は……アンジュの頸に手をかけていた」
マリーエルは息を呑んだ。とても信じられない。しかし、兄が嘘を吐く筈がない。
「私は縋り付いていた母上と共に、父上を止めようとした。しかし、その時、父上の体から影が溢れ出し、その体を包み込んだ」
「何ですって?」
マリーエルの視界がぐらりと揺れた。まさか、父が影憑きであったというのか。
口を噤んだマリーエルに、カオルは悲しそうに首を横に振った。
「お前がこの国に居ても父上は救えなかっただろう。あの影は濃く、全てを飲み込もうとした。だから私は……俺は、父上を斬った」
ぐっと息を吸い、歯の間から漏れる音がする。苦しそうに目元を覆うカオルの許に歩み寄ったマリーエルは、その肩に手を添えた。カオルはその手に手を重ね、苦しそうに頷く。
「真相とは言ったが、私に判るのはこれだけなんだ。父上の身に何が起きたのか。何故あのような無謀な行いをし、暴挙に出たのか。精霊王とも話したが、あちらも影の浸食が酷いらしい。影とは一体……それを、測りかねている」
カオルは引き出しから一冊の本を取り出した。それを開き、マリーエルの前に差し出す。
「何が見える?」
視線を落としたマリーエルは、空の頁を見つめ首を振った。
そうか、と本を引き寄せたカオルは数頁捲って、その表面を撫でた。
「これはグランディウスの名を継いだ者のみに読むことを許された書だ。歴代のグランディウスが記している。主に初代が書き記しているがな。あるいは精霊姫の目にも映るかと思ったが。試すようなことをしてすまない」
カオルは、しばし内容を改めると、苦々しげな笑みを漏らした。
「これには苦労させられている。書に認められねば、全てが読める訳でないからな。国の為、民の為各地を巡る内、読める箇所が増えていった。父上は何処までをご存じだったのか。今となっては判らない」
顔を上げたカオルは、入口に視線を止め、奇妙な顔を浮かべた。その視線を追ったマリーエルも、思わぬことにすぐに口を開けなかった。