36話 避難地で
間もなくグラウスとの境に着くと、クッザール隊が出迎えた。エラン兵団はジュリアスに向けて。マリーエル達はグラウスに向けて路を分かれる。
「お気をつけて」
マリーエルが言うと、セルジオはマリーエルの肩に手を置いた。
「君もね。全てが落ち着いたらまた様子を見に行かせてもらうよ。エランにもまた訪れて欲しい」
「はい、必ず」
マリーエルは、ジュリアスに向けて歩を進めるセルジオ隊を見送った。
「グラウス城までの行路はどうする?」
カルヴァスがクッザール隊の兵の一人を呼び寄せ訊いた。トルマと名乗った彼は、マリーエルに緊張の視線を送りながら、地図で路を示した。
「どの路をとっても影憑きとの衝突は免れませんから、ここは大通りを行った方が良いかと。クッザール隊で影との交戦は担います。マリーエル様はお早いお戻りを」
トルマの言葉に頷き、マリーエルは再び霊鹿の背に乗った。
グラウスの町が近付くにつれ、森の樹々は張りを無くし、精霊石は輝きを鈍らせた。影憑きの襲撃を受ける度、クッザール隊から分隊を編成し、マリーエル達はグラウスへの路を急ぐ。
通りかかる集落は、焼け崩れ、割れた地や草々には血と思しきものがこびりついていた。
「この先にこの辺りの集落の者を集めた避難地があります。今夜はそこで休みましょう」
トルマの案内で訪れた避難地は、痛々しい戦の痕が残されているものの、人々が寄りそうようにして生活をしていた。
マリーエルの帰還に、民の間で歓声が上がる。
「お前、確かこの辺りの集落の出だったよな」
カルヴァスの言葉に、トルマは表情を曇らせた。
「この辺りはフリドレード進行の際に手薄になった所を影憑きにやられましてね。一応自分がここの復興を任されてます」
そこでマリーエルと目が合ったトルマは、慌てて頭を下げた。
「この周辺の影憑きはあらかた片付け終わったんで、後は住めるよう直すだけです。ただ人手も資材も足りなくて……。皆で力を合わせているんですが」
マリーエルは辺りを見回してから、トルマに向き直った。
「私に出来ることはありませんか?」
マリーエルが言うと、トルマは「とんでもない」と首を横に振った。
「大陸までのお役目から帰られた姫様にそのようなこと……。本来なら、集落を挙げてお迎えしたいくらいですのに……!」
マリーエルは集落の様子に目を向けると、気の流れを探った。
「水の精霊の気が乱れてる」
トルマはあっという顔をして、眉を寄せた。
「それが、一番近い水場が穢れてしまって……」
「じゃあ、それを私に任せてください。この地で亡くなられた方へのお祈りも」
トルマはぐっと涙を堪え、カルヴァスを伺い見た。彼が頷くと、トルマは深々と頭を垂れた。
マリーエルが祓えと祈りをする間、民はマリーエルの後を追い、縋るような視線を向けていた。
「ほら、皆。姫様がお休みするのに差し障る」
焚火を囲むマリーエルの許に集まって来る民達を、トルマが追い払う。幾分か活気を取り戻した民達が「お前だけずるいぞ」と言いながら去って行く。
「申し訳ありません。マリーエル様」
頭を下げるトルマに、マリーエルは首を振る。
「いいえ、いいんですよ。皆、不安でしょうから。私に出来ることなら」
「なら、今は休むことだな」
カルヴァスが、組んだ脚に頬杖を突きながら言った。
マリーエルは避難地に着いてからというもの、民の声を聞き、勇気づけるように話し続けた。加えてエランの町からの強行軍に体は軋んでいる。横を見れば、ベッロは丸くなって眠り、カナメもウトウトと目をしょぼつかせていた。
「相変わらずカルヴァスは元気だね」
「そりゃあ、鍛え方が違うからな」
そう言って笑うカルヴァスに、隣に腰掛けたトルマが満面の笑みを浮かべる。
「カルヴァス副隊長が戻られて、兵達も安堵してますよ」
「まだやる事は山程あるけどな。ま、皆でやってこうぜ」
トルマが嬉しそうに頷くと、じっと耳を傾けていたインターリが「あのさぁ」と声を上げた。視線を向けたトルマを睨むようにしてから、つまらなそうにマリーエルを見つめる。
「お姫様って本当にお姫様なんだね」
「何だ、それ。当たり前のこと言ってんなよな」
カルヴァスが鼻で笑うと、インターリは拗ねたように唇を尖らせる。
「別に疑ってた訳じゃないけど。と言うか、お前もだよ。ソイツ「副隊長!」って目をキラキラさせてやんの」
むっ、としたトルマが口を開こうとすると、カルヴァスがそれを押しとどめて笑う。
「相手すんな。コイツはやっかんでるだけだから。ほら、お前のこと放っておいたりしないから安心しろって。な、マリー?」
「え、うん。放ったりしないよ」
インターリは見る間に顔を歪めると、ベッロに寄り掛かるようにして目を閉じた。
「そうそう、今は寝ちまえ。また腹の傷が開くぞ」
「怪我してるんですか。だったら益々あっちの家で寝た方が良いのでは」
トルマが言うのに、カルヴァスは手を振った。避難地は幾つか残った家屋に子供や年寄りなどを寝かせ、他の者は野営を組んで生活している。マリーエル達は家屋を使うようにと勧める民に断り、野営を組んでいた。
「こんな状況でそんな贅沢は言ってらんねぇよ。オレ達は民を守る為にあるんだ。それに、精霊姫様が野営で良いってんだから気にすんな。不貞腐れてるアイツもだいぶ頑丈だぜ。正直、オレはもう駄目かと思ったんだけどな」
「悪かったな、頑丈で」
目を瞑りながら言い返すインターリに、マリーエル達は思わず笑い合った。
「マリー、お前ももう寝ろ」
「そうだね」
マリーエルは横たわると、瞳を閉じた。
今夜の星々は、薄い光を地上に注いでいる。目蓋越しにそれを感じながら、マリーエルは眠りに落ちた。
明朝、避難地を発ったマリーエル達は、影憑きに路を阻まれた。
グラウスの町が近付くにつれ、生者の影憑きが増えていく。
「マリー、行けるか⁉」
「うん!」
マリーエルは生者の身を侵す影を祓い続けた。力なくその場に崩れ落ちる民を、クッザール隊が保護していく。
「こうも生者の影憑きが多いと、やたらと斬り進む訳にもいかねぇ」
影は、命在るモノをかすめ取ろうと触手を伸ばす。
マリーエルは穢れを祓い、影に対抗した。しかし、影の気配があまりにも濃すぎる。
「グラウスは特に精霊の力が強い筈なのに、どうしてこんなに……」
「力が強いからこそ、ということもあるかもしれん。それに、恐らく深淵の女王はこの地に潜んでおる」
アールは精霊界と命世界を行き来して、両世界からその力を揮っている。精霊界においても、深淵の女王の影響は強く現れ始めていた。
「心して挑むのじゃ、姫よ」
「うん、行こう」
グラウス城が間近に迫る。