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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第一部 影の揺りかご
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35話 姫としての立場

 エランの町は、マリーエルの帰還に沸いていた。


 民は次々にマリーエルの許へ駆け寄り、嬉しそうに取り囲んだ。


「アンタ達、姫様の道を塞ぐんじゃないよ!」


 と女達が声を上げると、歓迎の輪は解散したが、月光城へ向かう道すがら、民達は熱い視線をマリーエル達へ向け続けた。


「無事に戻って来たね、マリーエル。あぁ、民の歓迎を受けたかい? あの一件以来エランでは君の人気が高まっていてね。元々精霊姫は特別な存在だが、皆が皆、グラウスの祭を見に行ける訳ではないから」


 応接の間で出迎えたセルジオは、マリーエルと深く抱擁すると、難しい顔をした。


「ここに来るまでに色々と耳にしていると思うが、精霊国の状況は実に深刻だ」


「……はい」


 セルジオは皆に座るように言ってから、考えるように顎に手を当てた。


「今現在こちらで把握していることを話そう。フリドレードとは膠着状態だ。これにはカオル新王が当たっているが、何分最初に仕掛けたのは前王だからね。それを理由に臨戦態勢を解かないし、話し合いも平行線だ。間に立つのはジュリアスのリーベスだが、根本的な解決には至っていない。エランでも、物資の提供などしているが、戦を起こすつもりはないのでね」


 カルヴァスは卓の上に広げられた地図に目を落とし、眉間に皺を寄せた。


「影憑きの被害はどれ程までに広がっているのですか。ここまでフリドレードとの戦が長引くのは少々疑問なのですが」


 カルヴァスの問いに、セルジオは顎を引いた。


「あぁ、これはまだ確証がある訳ではないのだが、フリドレードは気の乱れを利用していると考えられる。それを領主のランドシに質そうと、知らぬ存ぜぬだ。前王の起こした戦の際に死者が多く出た。そして民の間に不安が広がっている。そうなれば、影憑きの数も急速に増える。クッザール隊を主に、その対処に追われる。そうしている間にフリドレードは王権を主張しようと企んでいる……ように見える」


「気の乱れを利用しているというのなら、私がそれを調律すれば良いのではないでしょうか」


 マリーエルが言うと、セルジオはゆるく首を振った。


「本来ならそれもひとつの手だろうが、君には早々にグラウスへと戻り、祓えを済ませて欲しい。精霊姫の帰還と、その威光を示すことにより納得させた方が、フリドレード含め、被害が少なく済む。それに、影の気配は日々濃くなっている。早急な祓えが必要だ」


「そう、なのですね……」


 俯いたマリーエルに、セルジオが表情を緩めた。


「全てのモノを救いたいという気持ちは私も理解できる。だが、それが叶わない時もある」


 そこで言葉を切ったセルジオは、皆を見回した。


「己が出来る分、可能な分だけ精一杯やっていこうじゃないか。自分が思っているより出来ることは多いかもしれないからね」


 セルジオの笑みに、マリーエルは笑みを浮かべ、頷いた。


「早速だが、君に頼みがある。この地の気を探り、祓えの儀を行って欲しい。エランでは影憑きの被害は少ない方だが、用心に越したことはない。そしてこれは兵達の士気にも関わる。我が兵団は、明朝ジュリアスに向けて発つ。君達は我等と共に路を進み、グラウスに着いたらクッザール隊と合流し、精霊城へと戻る。ということを提案したい」


 セルジオはカルヴァスに問うような視線を向けた。


「判りました」


「では、祓えの支度をしてきます」


 そう言ってマリーエルが立ち上がった時、セルジオはカルヴァスを呼び止めた。


「君に聞きたいこともある。私はこう見えて友思いだからね」


「……はい。では、後程」


 セルジオの瞳の奥には、この場に居ない者への憐憫(れんびん)の光が灯っていた。




 祓えの支度を終えたマリーエルは、月光を受ける町を見渡せる丘で、祈りの為に跪いていた。その背後にはセルジオを始め、エラン兵が頭を垂れている。


 エランの潮風が心地よく吹き、気が満ちている。それに綻びが出ないよう、祈る。


 マリーエルは、以前より自身の内を巡る気の流れが強くなったのを感じていた。杖を手に立ち上がり、舞う。


 凛とした音が鳴り、アールが姿を現した。逞しいその姿に、エラン兵は目を瞬き、一心に見上げている。アールは満足そうに頷いた。


「姫よ、儂も力を貸そう。我等は森の戦士。そして作り手でもある」


 マリーエルと舞い始めたアールは、ふと森の奥に目をやった。誘うように手を差し出すと、森の奥から甘い香りが広がり、花弁が舞う。


 現れた彼の姿に、マリーエルは胸の奥で痛みを覚えた。息を吸い、それを落ち着かせる。アールの誘いに沿って気を流し、誘う。


 すみれの精霊が、マリーエルに寄り添うと笑みを作った。


「これが精霊姫の気の流れ。実に心地よい」


 栗鼠の精霊とすみれの精霊と共に舞うマリーエルの姿は、エランの兵の目に強く焼き付けられた。すみれの花が咲き乱れ、栗鼠が辺りを駆ける。


「精霊の声の渡る地でありますよう」


 マリーエルが深く頭を垂れると、セルジオに続いて皆が同じようにした。


 興奮冷めやらぬ兵達を帰した後、町を見下ろしていたセルジオがマリーエルの許に跪き、手の甲に額をつけた。


「この度のお計らいに、感謝します」


「私の役目を果たしたまでです」


 セルジオが笑んでから、森の奥に目を向けた。そしてマリーエルの肩で木の実を頬張るアールを尊そうに見つめた。


「この地に新たな加護が頂けるとは。これでまたエランの地も強固に、栄えるだろう。兵達の士気も上がったよ。勿論、ただ牽制(けんせい)の為の出軍だが、士気は高い方が意味を成す」


「あのすみれのは成ったばかりじゃ。儂の力も加われば気も安定しよう。共にこの地を見守ろうではないか。エランのよ」


 アールが言うと、セルジオが恭しく頭を垂れた。


 夜が明け、マリーエル達はセルジオ隊の列に加わった。路は戦の痕を残していたが、澱みの気配や穢れも薄く、影との交戦もなくグラウスへと進む。


 霊鹿上のセルジオが、興味深そうにインターリとベッロに目を向けた。


「まさか獣族に会う日が来るなんてね。大陸の大戦の時に随分と酷い目に遭ったようだが……。胸が痛むよ。しかし、マリーエルの許に来たのならもう心配はないだろう。あぁ、落ち着いたら会いに行っても良いかね。色々聞きたいことがあるんだ」


 そこで、インターリの刺すような視線に気が付いたセルジオは、満面の笑みを浮かべた。


「流浪の暗殺者インターリ。炉の棟梁から聞いたことがある。君も随分と大陸では名を馳せているようだ。私は君にもとても興味がある」


 露骨に嫌そうな顔をしたインターリは、視線を背け、ベッロに脚を早めるように言った。遠ざかる二人の後ろ姿を、セルジオが無念そうに見やった。


「彼はまるで猫みたいだね。狼と猫。面白い組み合わせだ」


 朗らかに笑うセルジオに、カルヴァスが呆れたような顔をする。


「相変わらず――」


 言いかけたカルヴァスは、前方から響いた細い笛の音に口を閉じた。


 セルジオが全軍を止めると、兵が駆けて来てセルジオに礼を取り、話し始める。


「ジュリアスから逃れて来たという者達がおりまして。ただ、どうも一人が影による傷を受けているようです」


「ジュリアスから……」


 セルジオは何事か悩みながら、マリーエルを振り返った。


「影憑きになる前に祓えるかもしれない。行っても良いですか?」


「救える者が居るなら救おう。それが我々の役目だ」


 兵の案内に続くと、男が女を守るように抱えていた。身なりの立派なセルジオが到着すると、怯えたように首を引っ込める。


「怖がらなくていい。手当てをしよう」


 セルジオの目配せにマリーエルが歩み出ると、警戒していた男は何度か口を開けたり閉めたりしてから、女の傍から退いた。


 マリーエルは女の前に跪くと、気の流れに潜り込み、眉根を寄せた。随分と深く穢れを受け、澱みを溜めている。


「あ、あの……私は、影憑きになるのですか」


 女は苦しそうに言うと、体を震わせ始めた。息が上がり、不安に瞳が揺れる。周囲を取り囲む兵の姿を見て、体を強張らせる。


 マリーエルは女の頬に優しく触れると、目を合わせた。


「大丈夫。私が貴女を蝕もうとする穢れを祓います」


 肩口の傷に手を当て、女を抱きかかえるようにしたマリーエルは、澱みを掬い上げ、穢れを祓った。ふぅと息を吐き、身を離すと、女は目を瞬き瞳に涙を溜めた。随分と顔色が良くなっている。


「手当てをお願いします」


 マリーエルの言葉に、兵が傷口の手当てを始める。


 黙って様子を見守っていた男が、マリーエルの前に伏した。


「有難うございます、精霊姫様! まさか貴女様にお力を頂けるとは……!」


「間に合って良かったです」


 セルジオは恭しくマリーエルを立たせると、カルヴァスに受け渡した。


 男が縋り付くような瞳でそれを追う。


「良かった。精霊姫様が戦に加わってくだされば、フリドレードの奴等もジュリアスから退くでしょうから」


「彼女はジュリアスには向かわないよ」


「何故です⁉」


 男は心底驚いたように目を見開き、マリーエルの背を目で追った。


「彼女には彼女の使命がある。戦は彼女の領分ではない」


「でも、この戦は姫様の父上が起こしたものじゃないですか!」


 ひと際大きく響いた声に、エランの兵が殺気立った。男がさっと地に伏せる。緊張に震えている。


「この戦を長引かせているのは影の存在だ。精霊姫様は影を祓う為に尽力されている」


 セルジオが「先に行きなさい」とマリーエル達に促すと、手当てを受けていた女が弱々しい声でマリーエルを呼び止めた。マリーエルは深く息を吸ってから振り向いた。


「姫様のお力のお陰で私はまだ生きることが出来ます。有難うございました」


 辛そうにしながらも頭を垂れる。マリーエルは顔を上げるように言ってから、微笑みを作った。


「貴方達に精霊の加護がありますように」


 エラン兵達と路を進んでいたマリーエルは、霊鹿の駆けてくる音に振り向いた。セルジオが追いつき、気遣うような瞳でマリーエルを見つめる。


「大丈夫かい。ジュリアスの受けた影憑きの被害はグラウスに次ぐ。それに加えてフリドレードとの仲裁に入り、民の不安も大きいんだ」


 セルジオの言葉に、マリーエルは小さく頷いた。


「いえ、民の間に不安が膨れているのは判っていますから。私は、私に出来ることを成し、民の不安を拭うことを考えます」


「あぁ、そうだね。我々に出来ることを成そう」


 セルジオは、マリーエルの強い意思の宿った瞳に、笑みを作った。


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