34話 帰郷
「マリー様! お帰りなさい」
炉の港に着き、聞き覚えのある声にマリーエルは振り向いた。
「カッテ!」
カッテは両手を広げ、マリーエルの体を包み込んだ。弾力のある豊満な筋肉から顔を離すより先に、「カッテ!」と諫める声が響く。チッと舌打ちをしてから、一度それを恥じるようにしたカッテがニッと笑み、腕の中のマリーエルを覗き込んだ。
「何だか随分と精悍な顔立ちになりましたねぇ。旅の成果があったみたいだ」
「また会えて嬉しい」
「約束したからね」
ふいにカッテはいじけた子供の顔をして「まだアタシは航海の枝細工を受け取れないんだ」と言った。それから不思議そうに辺りを見回し、首を傾げる。
「さっきからアメリアの姿が見えないけど……」
マリーエルがアメリアの身に起きたことを話すと、カッテは再び豊満な筋肉でマリーエルを包み込んだ。
「辛かったね」
「うん……」
身を離す時、マリーエルの髪紐に気が付いたカッテは、口元を和らげた。
「つけてくれてたんだね」
「お気に入りだよ」
嬉しそうに微笑んだカッテが、懐から小さな包みを取り出した。
「実はさ、あの子に似合いそうな組み紐を見つけたんだよ。帰って来た記念にあげたらアタシらでお揃いってことになるじゃないか。マリー様も喜んでくれるかなと思ってさ。これは、マリー様が持っててくれるかい?」
包みには、すみれ色の石と金細工が編み込まれた組み紐が入っていた。
「有難う……大切にするね」
マリーエルはカッテの胸に飛び込み、溢れそうになった涙を押しとどめた。
優しさに包まれていると、カルヴァスがマリーエルを呼んだ。
「今夜は棟梁の所に世話になる。カッテ、お前達は出航の準備を頼むぜ」
「おぅ、任せな。それにしても随分でっかい船に乗って来たね」
カッテは、華発の船を興味深そうに見上げた。
「華発の取って置きらしい。中もなかなかだったぜ」
ふぅん、とカッテは船を眺めまわし、桟橋のエルベルに視線を移した。エルベルは華発の船長と何事かを話し込んでいる。マリーエルに視線を戻したカッテは、ニッと笑った。
「さ、マリー様はアタシ等に任せて、休んできてください」
棟梁の館についたマリーエル達は、ささやかな歓待を受けた。
「精霊姫様のお力添えもあってこそ、この地は安定している。影の被害も増えていない。感謝申し上げる」
棟梁が深く頭を下げた。感心したようにマリーエルを見つめていたが、ふと気遣うような顔をした。
「姫さんの旅路は過酷なものとなったようだな。だが、旅の目的は果たした。顔つきで私等には判る」
「有難うございます」
棟梁は小さく頷くと、顎に手を当て、難しい顔をした。
「それにしても流浪の暗殺者インターリか。まさか姫さんと共に居たとは。なに、とっちめようなんて思ってない。不審な死体の犯人は奴じゃないみたいだし、私等としては義手に興味があるんだ。その造り手は炉の民じゃないもんで、製法を聞き出すことも出来なくてな。インターリの遣い、として奴の工房に潜り込めるのは有難いこった」
ガハハと笑う棟梁は、杯の中身を飲み干し、また新たに酒を注いだ。広間の向こうで、炉の民に囲まれるカナメに目を向け、嬉しそうに目を細める。
「ああして、私等の造ったものを使い込んでくれるってのは、嬉しいもんだ」
矢継ぎ早の質問を逃れ、マリーエルの許に戻って来たカナメがふぅ、と息を吐いた。炉の民は、今はカルヴァスに様々な武器を見せ、それを扱って見せるカルヴァスに歓声を上げている。
「さぁ、兄さんも飲みな」
棟梁に勧められた杯を受け取り口にしたカナメは、奇妙な顔で杯を見下ろした。
「あれ、まだ飲んでなかったんかね? 酒は駄目かい?」
「さっきまでは果汁を飲んでいて……この酒は、凄く強いような」
そう言ってカルヴァスを振り返る。カルヴァスは炉の民が勧めるまま次々に飲み干しているが、僅かに頬を上気させているものの、前後不覚になっている様子はまるでない。
「カルヴァスってお酒強いんだよ。よくクッザールお兄様と飲んでるけど、他の人達はついていけないもの」
つい、と杯を干した棟梁がガハハと笑う。
「今夜はたっぷり飲んで食えば良い。姫さん等は、この後も成さにゃならんことがあるんだろう」
棟梁は、ふいに陽気さを潜ませ、難しい顔をした。
「精霊国からの武器の依頼が増えているし、セルジオからの報せにも察するところがある。ここには華発程じゃないが、ある程度噂ってのは入って来るんだ。いいかい、姫さん。何があっても姫さんの胸ン中に在るモノに変わりはないってことを私等から言わせて頂く。それが繋がりってもんだ」
そう言った棟梁は、「いや、部外者が簡単に言うもんじゃないな」と首を振った。
「いえ、有難うございます。深く心に留めておきます」
「そうかい」
棟梁はもう一杯だけ酒を飲むと、職人に呼ばれ、広間を出て行った。少しして、金属を打つ音が聞こえてくる。
温かい空気に、喉を通る果汁が美味しい。
「あれ、棟梁は?」
炉の民の輪から戻って来たカルヴァスが、辺りを見回した。
「呼ばれて工房の方に行ったよ」
そうか、と器から果実を取り、噛り付く。
マリーエルは長い息を吐いた。
「精霊国を出てここに着いた時は、まだ理解しきれてなかったんだなぁ。学んだ気になって、判った振りをして。色んなことがあったし、これからもきっと色んなことが起きる。本当に私に成せるのか不安に――」
ふと口を出た言葉に、マリーエルは口を噤んだ。その考えを払うように頭を振る。
カルヴァスが酒器を弄びながら、小さく笑った。
「こういう時は不安が沸き上がってくるもんだ。でも、お前なら……オレ達なら乗り越えていける。もしお前が不安で押しつぶされそうになったら、オレが背負っていってやるよ」
器を眺めてから、カルヴァスは残った酒をぐいと飲み干した。
「そろそろ休もうぜ。これ以上飲んでたら、インターリの奴が文句を言い出しかねないぜ」
そう言って立ち上がったカルヴァスは、黙り込んだままのカナメに視線を下ろし、眉間に皺を寄せた。
「コイツ、泥酔してねぇ?」
「え、あれ、カナメ?」
マリーエルの言葉に、ゆらりと顔を上げたカナメは、口をもにゃもにゃと動かしてからマリーエルにもたれるようにした。その肩を掴み、カルヴァスは溜息を吐く。
「お前まで背負うとは言ってねぇよ」
夜が明けてすぐ、マリーエル達を乗せた船は炉の国の港を発った。
窓には、カルヴァスが作った航海の枝細工が飾られている。
「知らない顔が増えてるね」
カッテが好奇心に満ちた顔でインターリとベッロを見比べた。
マリーエルが二人を紹介すると、カッテは面白そうに目を細めた。
「獣族ってのに、会えるとは思わなかったよ。アンタの毛並みはふさふさで気持ちがいいねぇ」
カッテがベッロの体を撫でるうち、変態したベッロが笑顔を浮かべる。
「ベッロ。マリーと一緒。約束。カッテ、友達?」
カッテは目を瞬いてから、豪快に笑った。
「そう、友達さ。アンタいいねぇ。アタシよりデカい女ってのはそう居ないんだけど。まぁ、そうだね、とりあえずその姿になる時は服を着な。目のやり場に困る奴らが居るんだからさ」
インターリが投げてよこした衣服を掴み取り、身に着けたベッロは、カッテの言うままに屈みこみ、櫛を当てられるのに任せている。
「で、そっちの顔色が悪いのは、寝てなくていいのかい」
カッテが訊くと、腹を押さえ顔を顰めていたインターリは、鼻で笑った。
「船が思ったより狭いからね。体を休めるのも難しいんだよ」
「何だって?」
声を荒げたカッテは、しかし思案顔になった。
「まぁ、あの船に乗って来たならそう感じるだろうね。昨夜も親父とあっちの船長が話していたけど、今後、精霊国と直接やり取りをしたいんだってさ。ただ潮の流れの問題であんな大型船はエランに着けないけどね。どうなることやら」
そう言いながら、カッテは呆れた風に部屋の隅を見やった。
「それにしても、アイツは相変わらずなんだねぇ」
部屋の隅に丸くなったまま反応を返そうとするカナメに、良いから寝てな、と制する。
「酒に酔って、船にも酔ってんだ」
カルヴァスがカナメを見やりつつ言う。
「克服したと思ったんだけどね」
マリーエルは、華発の船のことを思い出しながら言った。
「そういや、行きに出た巨大生物はどうなった? 噂になってる風でもないし」
カルヴァスが訊くと、カッテは肩をすくめた。
「どうなんだろうねぇ。あれ以来出てないのは確かだよ。幾つもの船がアイツ等に苦しめられたけど、あれきりさ。勿論、今後も十分用心するに越したことはないけどね」
カッテの言う通り、精霊国への航海は順調に進んだ。
影の出現以降起きた海流の変化は、結果的に精霊国への流れを強くし、到着を早めた。
エランの町が、海の先に見える。
「マリー様。アタシ達民はアンタのことを信じてる。精霊国に平穏を取り戻して下さい。それで、またアタシ達の船に乗りに来て下さいよ。その時はアタシが航海の枝細工を受け取るからさ」
そう言ってカッテは笑った。




