30話 澱みから生まれたモノ
集落に戻り、カナメの姿を探した。
「アイツ、何処まで行ったんだ」
辺りを見渡していたカルヴァスが、突然奇妙な声を上げると、パッと駆け出した。
「お前、ふざけんなよ!」
カルヴァスが駆けて行った先で、金属のぶつかる音と、ドサリと何かが倒れ込む音がする。
「インターリ! 縛るもん持ってこい」
「あぁ、成る程ね」
カルヴァスが剣を蹴飛ばし、組み敷いたカナメを睨み付ける。
「棟梁は、こんなことをするためにお前に剣を渡した訳じゃねぇだろ!」
インターリが持ってきた縄でカナメの腕を縛り上げると、カルヴァスは悔しそうな顔をした。
「一人になりたいって言うからそうしたけどよ。こんなことをさせる為じゃねぇよ!」
カルヴァスの声にカナメは脱力して俯いたままだった。
言葉を続けようとするカルヴァスを制し、マリーエルはカナメの前に膝をついた。
「あのね、ここでも世界樹は視せてくれたよ。温かい腕が、小さなモノを抱き上げていた。それにはね、カナメの体にあるような紋様が描き出されていた」
カナメの肩がピクリと動いた。緩く顔を上げると、今までに見たことのないような歪んだ笑みを浮かべる。
「それは俺だ。俺は――澱みから生まれたモノだ。影なんだ。長の書にそうあった」
「……は?」
カルヴァスが声を上げ、怪訝そうな顔でカナメを見下ろす。
「だました、ってそういうことね」
インターリの声が冷たく響く。
「でも……でもね――」
「触るな!」
マリーエルが伸ばした手に、カナメは声を荒げ、後ろに退く。酷い拒絶を瞳に宿し、カナメはマリーエルを睨み付けた。マリーエルは手を上げたまま、身を動かすことが出来なくなってしまった。どうしよう。どうやって伝えよう。
「お前が影だってどういうことだよ。その体はこの集落の者から奪ったっていうことか?」
カナメはゆるく首を振る。
「違う。俺は澱みが凝り、育ち、人を模しただけのモノだ」
「でも! でも、カナメはここで族長さんに育てられたんでしょ? 嫌な気配だってないし、族長さんだって――」
再び伸ばした手を、カナメは心底嫌そうに避けた。
「君が穢れる」
「カナメは穢れなんかじゃない!」
しかしカナメは聞く耳を持たず、うんざりしたように眉間に皺を寄せた。
「話し合うつもりも、理解されようとも思わない」
おもむろにカルヴァスが剣を抜き、カナメに突きつけた。
「カルヴァス⁉」
「お前が影だってんなら、祓うしかねぇよな」
「何言ってるの⁉ やめてよ! インターリ、止めさせて!」
マリーエルはカルヴァスの腕にしがみ付きながら、インターリを振り返った。しかし、インターリも剣を抜き、カナメに突きつける。ベッロがオロオロと歩き回る。
「お前がやりづらいって言うなら、僕がやるけど?」
「止めて、インターリ!」
「あぁ、殺してくれ。その方が良い」
カナメが言った。妙に静かな声は沈黙を落とした。
マリーエルは頭がグラグラと揺れる感覚と、吐き気に襲われた。涙が溢れ、震える手で縋りつくと、カナメがそれを避けるように身をよじった。
「……これ以上、困らせないでくれ」
「嫌だ! だって駄目だよ、こんなの! 殺してなんて……そんな……。一緒に、考えようよ」
カナメは苦しそうに視線を逸らすと、歯を噛み締めながら声を漏らした。
「一緒には、居たくない。これ以上。君とは」
その言葉は突然遮られた。マリーエルの身を引いたカルヴァスの拳が、カナメの顔面に食い込んだ。何の受け身も取らずに吹き飛んだカナメの体が、ぐしゃりと倒れ込む。
「慌てんじゃねぇよ。やっぱり納得いかねぇな! きっちり説明して貰うぜ。それでも死にてぇってんなら殺してやるよ!」
いつまでも身じろぎひとつしないカナメに、カルヴァスは苛立ちながら歩み寄った。胸倉を乱暴に持ち上げ、そして、止まった。
「……わりぃ、強く殴り過ぎた」
カナメは、鼻からダラダラと血を流しながら、気絶していた。
焚火に照らされてカナメは横たわっている。時折呼吸が聞こえてこないので不安になり、顔を近づけると、小さく呼吸しているのが判り、安堵する。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって」
「……カルヴァスが気絶する勢いで殴ったんでしょ」
「いやぁ、前からちょっと殴りたかったんだよな」
「なんでよ!」
「なんでも」
そう言いながらも心配しているのか、カルヴァスは注意深くカナメを観察している。
マリーエルはカナメの手当てをした手布を見下ろした。それは血色に汚れている。影にこのようなことが出来る筈がない。
「やっぱり影なんかじゃないよ。澱みから生まれたんだとしても、影なんかじゃない。だって――」
その時、カナメの目蓋が震え、ゆっくりと目を開いた。
「カナメ! 大丈夫⁉ 鼻とか頬とか痛むよね?」
カナメは「マリー」と口の中で呟いてから、ハッとして顔を背けた。
「放っておいてくれ」
その時、マリーエルの中で生まれたのは、悲しみではなく怒りだった。
「もう! 強引にでも調べてやるんだからね!」
マリーエルは縋り付くようにして、カナメの首に抱きついた。
戸惑った声が耳元で聞こえたが、構わずカナメの気に潜り込む。鼓動が、気の流れが、優しく、マリーエルを撫でるように過ぎていく。
息を吸うのと同時にマリーエルは体を起こした。続いてふっと息を吐く。じわり、と涙が滲んだ。
「カナメは穢れてなんかないよ」
カナメは疑わしそうに眉間を寄せた。
「嘘なんて言ってないよ。カナメは穢れてなんかない。澱みから生まれたのは本当のことかもしれないけど」
「ならば影ということじゃないか。危険だ」
食いしばった歯の隙間から漏れる声に、マリーエルは首を横に振る。
「ううん。カナメの魂の気配は命世界のモノ達とは違うかもしれない。でもね、ちゃんとこの世界に在るよ。だから、大丈夫だよ。影なんかじゃないよ」
「だが……」
マリーエルはどうにか想いを伝えようと口を開いたが、言葉が上手く出て来なかった。喉から熱いものが上がってきて、瞳から零れ落ちる。
「カナメは穢れてなんかないよ。大丈夫だよ。だから……殺してくれなんて、言わないで。もし、もし本当にどうしようもなくなったら、私がなんとかするから。一緒に居てよ。居なくならないで」
途中から声が大きく振るえ、ぼたぼたと涙は零れ続ける。
「まぁ、オレはさ……」
カルヴァスが歩み寄って来ると、マリーエルに新しい手巾を手渡し、その頭を撫でてからカナメに向き直った。
「お前がどうしても死を選ぶってんなら止めようもないと思ってるけどよ。マリーが問題ないって言ってんのに、何を気にするんだ? こんなに泣かせてさ」
カナメは答えを求めるように視線を彷徨わせ、結局何も答えることが出来なかった。
「それに穢れだなんだって、この世界で一番そういうのに強いのはマリーだろ。お前が澱みから生まれたとして、今はオレ達と変わらず生きてるじゃねぇか。そこから逃げてどうすんだ?」
危険が、と言い掛けたカナメに拳を振り上げたカルヴァスは、長く息を吐いて拳を下げた。
「止めとくわ。次は目ぇ覚まさないかもしれないし。ともかく、澱みから生まれようとお前はお前だ。オレ達の……お前の今までは何だったんだよ」
その言葉に、カナメの顔が歪んだ。目の端から一筋の涙が零れ落ちる。顔を背け、静かに肩を震わせる。マリーエルはその肩に触れた。
「何か問題があるなら一緒に考えよう。何とかならなくても、でもきっと皆で考えれば見つかるよ」
カナメは横目でマリーエルを見ると、戸惑いながら口を開いた。
「本当に……良いのか? でも、もし――」
「良いに決まってるでしょ!」
マリーエルは涙を拭っていた手巾を投げつけた。べしょりという音を立ててカナメの顔面に落下する。そのままカナメは暫く沈黙した。
「あの……きちんと謝罪がしたい。拘束を解いて貰えないか」
手巾の下からくぐもった声が言った。
「いや、そのまま話せよ。手巾だけは外してやるからさ」
カルヴァスはニヤニヤと笑いながら手巾をつまみ上げた。少しむくれていたカナメは真剣な顔をマリーエルに向けた。
「すまない。早合点して君を傷つけた。確かに君にこそ……いや、皆に話すべきだった」
マリーエルは勢いよく頭を振った。
「一度に色んなことが起きたんだもん。冷静で居られる訳ないよ。私の方こそ、こんな時に頼って貰えるように居られなくてごめんね」
いや、と頭を振ったカナメは、改めてマリーエルを見つめた。
「俺は澱みから生まれたモノだ。でも、それでも君が良いと言ってくれるなら、君の傍に居させてくれないか。もう一人で決断したりしない。一緒に考えてくれと言おう。君と共に生きて良いだろうか?」
マリーエルは再び熱いものが込み上げて来るのを感じ、啜り上げた。涙を拭ってから笑顔を作る。
「勿論だよ」
カナメが笑うのが、視界の中で滲んでいく。ぽんぽんと頭を撫でるカルヴァスの手が髪をくしゃくしゃと弄び始める。
「いやぁ、良い感じのことを言ってるけど、格好付かねぇなぁ」
ニヤニヤと笑うカルヴァスに、カナメは苦々しそうに口を引き結ぶ。
拘束を解こうとしたカルヴァスの手をマリーエルが引き止めた。
「逃げたりしないよね?」
「あ、あぁ。勿論だ」
うろたえるカナメに、カルヴァスが可笑しそうに笑う。
「お前、今、信用ないからなぁ」
拘束を解くと、カナメはマリーエルの前に跪いた。
「信用を取り戻せるよう、誠心誠意努めよう」
真っ直ぐに見つめるカナメの手を取ったマリーエルは、額を甲に付け、祈るようにした。
「あのね、精霊国ではこうやって親愛を伝えるの」
カナメがおずおずとマリーエルの手を取り、同じように親愛を返した。
「作法は合っているだろうか?」
「うん。有難う、カナメ」
微笑むカナメの瞳に、温かみが戻った。
「あのさ、つまりカナメって、見た目は僕らと見分けのつかない鬼ってこと? 鬼も澱みから生まれるって話なんでしょ」
頬杖を突きながら様子を見守っていたインターリが言った。皆で首を傾げる。
「現状はそんな感じなんじゃねぇのかな。そう考えれば、澱みや鬼がコイツに反応してた理由も説明できる、か?」
「鬼……確かに、影よりはそちらに近いのかもしれない」
「生まれ方は同じだけど、何かが違ってたってことだよね。やっぱり族長さんの書いた紋様が……?」
首を傾げていると、インターリが鼻で笑った。
「まぁ、いいや。何かあってもお前だったら余裕で倒せそうだしね」
ポツン、と呟かれた声に視線が集まる。
「インターリ、羨ましい。カナメ」
いつの間にか変体したベッロが、マリーエルの許に歩み寄った。カルヴァスが悩むように片手で目元を覆い、カナメはさっと視線を逸らす。
ベッロは構わずマリーエルの手を取り、額を甲にこすりつけた。
「ベッロ、見る、だった。約束。一緒に居る」
そう言ってから、硬直したインターリの手を引っ張り、マリーエルの手を示す。
「インターリも一緒。約束。インターリ、嬉しい」
ニコニコと笑うベッロに、インターリは溜息を吐いた。
「お前はまず服を着ろよ。僕が良いって言うまで姿は変えるなっていつも言ってるだろ」
ベッロの姿は、全身が毛に覆われているとはいえ、かなり際どいものだった。
インターリが投げつけた外套を身に着けたベッロは、照れたように笑った。
「走る姿、慣れる、だった!」
マリーエルは笑いながらベッロの手を取ると、親愛を返した。嬉しそうに何度も額をこすりつけるベッロにカルヴァスが「何度もやるもんじゃねぇの」と言うと、得心いったように退き、インターリに期待の目を向ける。
インターリはじろじろとマリーエルの手と顔を交互に見ながら、唇を噛んでいる。
「これは精霊国の作法だし、無理しなくて良いんだよ」
そう言うと、インターリはギリリと歯を噛んでからゆっくりとした動作でマリーエルの手を取った。皆の視線が集まり、沈黙が落ちる。
沈黙に耐え兼ねたように、インターリはマリーエルの手を投げ離した。
「僕は大陸育ちだからね! 精霊国の作法とか判んないから! 判ってないのにやる意味ないでしょ! 大体こういうのは――」
捲し立てるインターリに、マリーエルは思わずクスッと笑った。気分を害したインターリがそっぽを向く。
「一緒に行こうね、インターリ」
唇を尖らせていたインターリは、ベッロを指さし「コイツを連れて行って貰わないと困る」とだけ言って背を向けた。