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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第一部 影の揺りかご

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27話 願い

 雪は一度強く降り、深く積もったが、世界樹の枝葉に着く頃には殆ど止んでいた。しかし、空は変わらず重い雲で覆われている。


「この地は随分と澱みを溜めておる。鬼のものと混じって見るに堪えん。姫よ、気は確かに持てておるか」


 先行して世界樹の枝葉へと向かい、マリーエル達を待ち受けていたアールが言った。


 地から張り出したこの地の世界樹の枝葉は酷い有様だった。澱みに絡まりつかれ、影がその触手を伸ばしている。穢れの気配は辺りを覆っていた。


「……うん。体は怠いけど、平気」


 マリーエルは世界樹の枝葉に近付くにつれ徐々に重くなった体を引きずるようにして馬を降りた。アメリアに支えられ、地に屈みこむ。穢れが酷く、息をするのも辛い。


「まずはオレ達が出る。影が落ち着いたら祓えを頼む。出来るな?」


 マリーエルが頷くと、カルヴァスはカナメを見やってからアールに視線を向けた。


「こいつらはまた何か視るかもしれない。こっちは任せていいんだな?」


 アールはふんぞり返り、鼻を鳴らした。


「勿論じゃ。この地には儂の眷属も多く、穢れなど物ともせんわい。お主は影を断つことを考えよ」


 カルヴァスは横に立つインターリとベッロに目配せし、地を蹴った。


 斬り、蹴散らし、引き裂いて、影を討ち、祓えの場を整える。


 マリーエルは地に杖を突き、頭を垂れると祈りを捧げた。息を吸い、自身の気とこの地の気に集中する。


 インターリとベッロが地を駆ける音とカルヴァスの操る炎の気配がする。カナメがマリーエルに近付こうとする影を斬り裂き、アメリアがマリーエルの体を支える。


 乱れる気に、澱みの気配が滲む。気を取り込もうと焦ると、身の内を通り逃げていく。精霊の力を導き、気を抑え込む。強引にでも流れに乗せなくては……。


「マリー!」


 呼ぶ声に顔を上げると、体に草花を巻き付かせたカルヴァスが眉根を寄せ、それらを焼き払っていた。辺りを見渡せば、マリーエルを中心としてあらゆる草花がその枝葉を伸ばしていた。草花は雪景色で馴染まぬ頭を垂れている。


「落ち着け。お前なら出来る」


 息苦しさを覚えたマリーエルは、軽い眩暈に襲われ、目を閉じた。ぞわぞわと足元から悪寒が這い上がってくる感覚がある。気を緩めたら一息に飲み込まれてしまいそうだ。


 穢れがマリーエルの心に這い寄ってくる。


「だ、だめ……」


「大丈夫」


 最早支えとなっていた杖を握る手に、温かい感覚が重なった。アメリアの甘い香りがそっと体を包み込む。今の彼女にはすみれの香りも寄り添っている。


「大丈夫。絶対に。皆を信じて。私達も貴女を信じてる」


 ふと、頭を圧迫していた感覚が緩んだ。周囲の音が戻り、それを飲み込んでしまうように深く息を吸う。


「うん、出来る。成してみせる。絶対に!」


 しかし、その言葉は突如響いた音にかき消された。


 地を割るような轟音が響き、雪煙が上がった。状況を把握するより前に、バキバキと樹々がなぎ倒され、まるで山がそのまま動いたような塊が、マリーエル達の前になだれ込んできた。穢れの気配が濃く広がり、醜悪な姿が幾つも揺らめく。それはぐるりと頭を回し、辺りを探っている。


「鬼……⁉」


 カルヴァスがマリーエルの許まで地を駆ける。鬼に食らいつこうとしたベッロをインターリが引きずるようにして後退する。


 鬼は、呆然と目を見開いていたカナメに目を止めると、その巨体を震わせた。ガバリと口を開け、切り裂くような聲で咆えた。それは実体を持った波となり、マリーエル達の体をいともたやすく吹き飛ばした。


「くそ……、こんな数――」


 素早く身を起こし、マリーエルの前に立ち塞がったカルヴァスが奥歯を噛み締めた。迫りくる鬼の一撃を炎剣で受け、斬り上げる。その閃きはいつもより鈍かったが、しかし確実に鬼を削ぎ、押し返した。肩口から血が滲み、カルヴァスは呻き声を上げた。


「姫よ、儂の力を導くのじゃ」


 マリーエルの肩を跳んだアールの体が見る間に膨れ上がり、筋骨隆々の逞しい腕で鬼を殴りつけた。鬼の体が粉々に砕け、地に穢れの染みを作る。


 マリーエルはするすると力が抜ける感覚に、歯を噛み締め、杖を頼りにアールの気を導くのに集中した。


「ねぇ、まさかここで戦おうなんて思ってないよね⁉」


 鬼の間を縫い、剣を揮っていたインターリが、額の汗を拭い言った。


「当たり前だろ。こんなん相手にしてらんねぇ――よ!」


 カルヴァスが鬼に斬り込み、アールが鬼の体を粉砕する。カルヴァスは辺りに視線を走らせ、舌を鳴らした。カナメの姿が見えなかった。


「カナメの奴、何処だ?」


「あ? 何処だよアイ――」


 言いかけたインターリは、響いた悲鳴に目を見開いた。ベッロの体が軽々と飛び、べしゃりという嫌な音を立て地に落ちた。力なく口を開き、ピクリともしない。


「ベッロ! くそっ」


 インターリは鬼に阻まれ、駆け寄ることが出来ない。剣を揮い、脚で蹴り上げ、路を開こうと足掻く。


 その時、目の前に立ち塞がる鬼がふいに動きを止め、倒れ込んだ。その背に、カナメの姿があった。苦しげに顔を歪め、肩で息をする。


 そのすぐ後ろには、無数の鬼が揺らめいていた。鬼達はカナメに向けて穢れた腕を伸ばす。


「後ろだ!」


 カルヴァスの声にカナメが振り向く。


 マリーエルは肌が粟立つのを感じた。


「アールお願い……!」


 胸が締め付けられるような嫌な感覚を必死で振り払い、ただ力を導くのだけに意識を向ける。頭が割れるように痛む。


 むぅ、と唸ったアールが、なだれ込んだ鬼を打ち砕いていく。


「マリー!」


 アメリアが声を上げた。振り返り、そのすみれ色の瞳を見る前に、目前まで迫る鬼の鋭い手が視界に割り込んだ。




 何も出来ない自分が嫌だった。


 周囲から寄せられる期待と、失望と、現実と。


 何故、力を持たずして生まれたのか。


 何故、強大な力を持つ精霊姫の世話役と選ばれたのか。


 何度も繰り返す問いなどに構わず、マリーは愛おしく温かい笑みを向け、懐いてくれた。


 マリーの心の支えになろうと全てを捧げ、生きてきた……筈なのに。


 いつしか自分の心は他の者に向いてしまった。それでも、マリーはその心を守り、幸せであれと願ってくれている。


 視界の中でハッと振り返る横顔。光を受けて色を変える髪が、迫り来る醜悪な姿に被る。腕を伸ばそうとしても届かない。体が痛む。


 何よりも守らなくてはいけないものは何だ。


 ――マリーを、失ってしまう。


 呻きと共に息の塊が吐き出され、次は吐くのか吸うのか、それさえも判らない。指先は届かない。目の前でその体は易々と引き裂かれ、潰されてしまうだろう。


 何故、私には力がないのか。彼女を救えるだけの力が。


 何の為に命を与えられたのか。


〈私の器にはなりえるのよ〉


 突如頭の中に響いた声に、アメリアは息を呑んだ。


〈私の器となりこの地に横たわれば、貴女の願いは叶えられる〉


 アメリアは躊躇いなく全てを受け入れた。




 光が溢れた。


 大地が軋み、大きく深く開いたその中に、鬼が残らず飲み込まれていく。


 シン、と静寂が鳴った。


 アメリアが光を溢れさせながら、佇んでいる。


「アメリア……?」


 マリーエルは、軋む体でアメリアの許へ駆け寄った。まるで聖なる歌を纏ったような姿に、一瞬たじろいでから、その手を掴む。


「もしかしてアメリアも呼び掛けを――」


 言いかけたマリーエルは、拭えない違和感に言葉を飲んだ。


 静かに見つめ返すアメリアの瞳が、まるで見知らぬ光を灯している。肌の内側から発光している不思議な紋様は、美しい軌跡を描いて這いまわり、そこから(ほど)けるようにしてアメリアの体が崩れ始めた。


「アメリア⁉」


 アメリアの懐を飛び出し、その体を抱き止めようと伸ばしたすみれの精霊の腕を、アメリアの体はすり抜け落ちた。この世界に現れるだけの力が足りない。


 アメリアの体は、まるで花が散るようにはらはらと崩れていく。


「何が……どうして⁉」


「貴女を守ることが出来て良かった」


 その体は、隆起した大地や芽吹いたものに覆われていく。引き剥がそうとしたマリーエルは、自身の中にはない力がこの地を清めていくのに戸惑った。


 聖なる力に、アメリアが飲まれていく。


 アメリアはふと視線を横に向けた。もう、伸ばす腕はなかった。


「貴方のことを――」


 言葉は崩れゆく音に吸い込まれるようにして消えた。


 ただ、大地を風が吹き抜けた。


 静寂の中、すみれの精霊がゆらりと手を掲げ、大地を撫でた。その姿が解けていく。


「すみれの! やめんか!」


 アールの声が響く。


 すみれの精霊はマリーエルを見つめた。


「すみれは咲く。姫よ、すみれの祝福はいつまでも君の許に。私は、彼女と共に」


 ひと際強く、甘い香りが辺りに広がった。すみれの精霊が解け散った場所から、まるで寄り添うようにすみれの花が芽吹き、開く。すみれの花は周囲を覆い尽くした。


「そん、な……」


 マリーエルは震える両手に目を落とし、目の前の事実をかき消そうと、地に咲く花に手を伸ばした。嗚咽が漏れ、視界が滲む。やだ、やだ、と声が漏れる。


「嫌だよ、こんなの!」


 疲労を抱えた体が制御を失い、崩れ落ちる。ふと焦げ臭い匂いがして抱き上げられた。


「カルヴァス……! アメリアが、精霊の力が……!」


「判ってる。今は――くそっ」


 カルヴァスは後方に視線を向け、眉間に皺を寄せた。闇色の鎧をつけた一団が近づいて来ていた。


「ご同行願おう」


 鋭い槍の切っ先を突きつけながら、一番上等な鎧を身に着けた女が言った。




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