25話 道行き
夜が明けると、ムシカは爽やかな顔でマリーエル達を迎えに上がった。
霜夜の国までの交通路を、王付き交易団と共に行き、その先で華発最速の馬に乗り換えるのが最も速い手段だと説明する。
「そっか、また馬を置いて行かなきゃいけないんだね」
残念がるマリーエルに「華発の馬はどれも美しさと速さ、力強さ全てを備えております」と説明すると、曖昧に「そうですよね」という言葉が返って来る。
同じ馬を使うなら、どれも一流であるのが最善であろうに、と内心首を傾げながら、ムシカは行路を確認するカルヴァスに目を向ける。
「何かご不明点はございますか」
「ここまで開けた路なら、ただ馬で駆けた方が良いかと思ったんだが、交易団と共に行く理由は?」
抜け目ない姿勢に、ムシカは感心しつつ、尤もらしい理由を述べる。
「霜夜の国は長く鬼との戦が続く地。早馬で駆けては、面倒なことが起きかねません。我が華発の国との交易路は開かれていますが、霜夜の現状は逼迫しているのです。そこに影の出現もありますから。行き来を公に許されている交易団と共に行き、様々な危険を避けつつ、現地近くで馬に乗り換えることこそが、現状で最速のものでございます。交易団も出来うる限り最速で行動させて頂きますのでご安心下さい」
決して嘘ではない。ただ、あらゆる選択肢を潰し、華発が参画するように整えただけだ。
マリーエル達を馬車まで案内しながら、ムシカは様々なことを考えていた。主人は精霊姫への、いやそもそもの精霊への憧れを強く持ち続けている。大陸では原初神信仰なるものも広まりつつあるが、それを排し精霊信仰を胸に国造りをしている。
精霊の力を手にするにはどう動くのが最善か?
幼い頃よりジョイエルスに仕えていたムシカは、幾度となくそう自らに問いかけていた。
華発の国の端にある領地の、領主の息子が精霊国の上の姫と良好な関係を築いているというから、近くその血を得ることは出来るだろう。精霊姫その人に華発の姫となってくれと申し込むのは、様々な点で分が悪い。
後は、より信頼を得ること。他のどの国よりも、だ。
「さぁ、お手をどうぞ」
ムシカが手を差し出すと、マリーエルは照れたようにその手を取った。光に当たると色を変える髪と、花色の瞳がムシカの目の前で揺れる。しなやかな指は、繊細な細工菓子のようで、その身の内に強大な力を秘めているとは思えなかった。
帯同者共々馬車に収めてしまうと、華発の兵からも羨望の目を向けられているのが判り、ムシカは昂然として顔を上げた。
馬に乗り、馬車の御者に合図を出して、交易路を進み始める。
ムシカは、ちらと馬車の帆布を見透かすようにして、口を引き結んだ。
彼等は自身の価値を理解していない。そこらの旅人と自身が当価値だなどとふざけた考えは到底許せない。この私が、完璧に送り届け、信頼を勝ち得てみせる。
ムシカは唇の端を上げ、笑った。
「あー、こっちに居るのは本当慣れないな。体が鈍りそう」
暇を持て余したカルヴァスが、地図を投げ出し、体を伸ばしながら呻いた。
馬車の中は柔らかい座席が敷かれ、長時間座っていても苦でもないが、幼い頃より兵として生きて来たカルヴァスにとっては酷く居心地が悪いらしい。周辺の様子を探れないのも気が落ち着かず、帆布の端からたまに外を覗いている。
「いいじゃん、馬に乗ってたら尻だって痛くなっちゃうしさー。姫様を運ぶってんで、最上級の馬車じゃん。こんなの乗ったことないよ。いやぁ、姫様々だね。それよりも、僕が心配なのは本当にこれが最速なのかってことだけど」
インターリは寄り掛かっていたベッロから身を起こし、カルヴァスが放った地図を手に取った。
「あぁ、それは本当に問題なさそうだぜ。事前にオレが見積もった行路と期間とそう変わらない。まぁ、体力を温存した方が良いマリーにしたら、馬車での移動の方がいいのは確か、だな」
我が国が建設した道だからこそ可能な方法です。と、休憩の折り、ムシカはマリーエルに語った。
交易路を外れれば険しい地や手入れのされていない森が広がっている。あらゆる資源を保護するためです、とムシカは胸を張ったが、穿った見方をすれば、行き来が出来る道を制限して、人や物の行き来を華発の国で管理しようということだった。しかし、実際交易路は均され、行き来がし易くなっている。大型の馬車であるのに揺れが少なく、王付き交易団の名のもとに道が開けていく。
マリーエルはカルヴァス達が話すのを聞くともなしに聞きながら、密かに溜息を吐いた。
霜夜の国に近づくにつれ、穢れの気配が濃くなった。鬼の影響は酷く、それに誘われるように影も集まっている。交易路を行く途中、影憑きが現れれば、華発の者達がそれを掃討する。マリーエルが祓えを行っても、地に潜む穢れが濃く、あまり意味を成さなかった。やはり、世界樹の枝葉から穢れを祓わなくてはならない。
「少し馬車を止めて貰う?」
マリーエルの頬にそっと手を当て、アメリアが心配そうに覗き込んだ。
「ううん、大丈夫。これは穢れの影響だから。世界樹の枝葉を祓うしかないよ」
そう言ってから、マリーエルは膝の上で丸くなるアールを指先で撫でた。
「アールは大丈夫?」
「心配には及ばん。ここには儂の司る力も正しく流れておる。じゃが、鬼とやらが生み出す穢れが、ちと厄介じゃな。儂らは穢れに気を乱される。世界樹の祓えが済めば整うじゃろうが、それまでは姫も体を休めるのじゃ」
そう言ってアールは再び丸くなった。
「気分が少しでも楽になるように、何か出来たらいいのだけど」
アメリアが言うと、懐が淡く輝き出し、その小さな輝きは宙で明滅してすみれの精霊の姿を形作った。すみれの精霊はアメリアに目配せする。
「姫よ、手を」
花々を振り咲かせたすみれの精霊は、アメリアが差し出した糖壺から出した糖を纏わせ、マリーエルの手のひらに落とした。
促されるままに口に含んだマリーエルは、ふんわりと広がる甘い香りに長い息を吐いた。
「少し気分が楽になったかも。有難う」
すみれの精霊は微笑みでそれに応えると、愛おしそうにアメリアと目を合わせ、その肩に腰を下ろした。
二人が控えめに頬を擦り合うのを、カルヴァスが複雑な表情で見つめている。マリーエルは自身の兄の気持ちを考えたが、嬉しそうな二人の様子を見るうちに、それを頭から振り払った。
「ねぇ、何それ。僕にも頂戴」
インターリが這い寄って来ると片手を突き出した。その手のひらに一輪乗せると、物珍しそうにしながらそれを口に含んだ。奇妙な顔を浮かべ、口をむぐむぐと動かしている。
「精霊国では、すみれの花は色んな用途で使われるんだよ。何だか気分が良くなった気がしない?」
首を傾げたインターリは、尚、納得がいかない様子でマリーエルの周りを見回している。
「で、お姫様はコレをどこから出したの? 精霊姫の力?」
インターリの視線は幾度もすみれの精霊を捉えている筈だった。冗談や嫌味を言っているのではなく、彼の瞳に精霊の姿は映っていなかった。
「お前、やっぱり精霊の姿が見えてないのな」
カルヴァスが言った。
「何だよ。精霊なんて生まれてこの方見たことないね。……お前は見えるのかよ?」
「まぁな。コイツに関しては久し振りに姿を見たけどな。相性が悪いから」
カルヴァスは未だ複雑な表情ですみれの精霊を見つめ、ふっと逸らした。
「カナメは?」
面白くなさそうな顔をしたインターリは、探るような視線を向けた。
マリーエルから受け取ったすみれの花の香りに浸っていたカナメは、瞬きの後、手ですみれの精霊を示した。
「そこに。別に俺はいつでも精霊の姿が見える訳じゃない。もしかしたらマリーの近くに居ることで見え易くなっているのかもしれない。それに精霊ならそこにも居るじゃないか」
カナメは、マリーエルの膝の上で丸くなっているアールを示した。
「……何か、そいつは違うじゃん」
インターリは露骨にがっかりとし、そう吐き捨てた。
「お主は礼儀というものを全く持ち合わせておらんようじゃな」
インターリの頭の上に飛び乗ったアールは、怒りの鉄拳を叩き込む。インターリの悶える声に、眠っていたベッロが目を覚まし、馬車内は途端に大きな騒ぎとなった。
霜夜の国に入ると、いよいよ厳しい寒さがマリーエル達を襲った。
ムシカは最高級の防寒具を差し入れ「ジョイエルス様から皆様にご不便のないようにと申しつかっております」と繰り返した。
「この先の宿に華発最速であり、この地での路行も万全の馬を用意しております。皆様にはそちらで馬に乗り換え、森を抜けて頂くこととなります。私もご一緒したい所ではございますが、交易団の体をとったものですから、私が抜ける訳にもいかず……」
間もなく馬車を止めたムシカは、恭しくマリーエルの世話を焼くと、最後には跪き、瞳を潤ませるまでした。
「このムシカ、光栄でございました。ご用命の際はこちらを華発の兵にお見せ下さい。華発が手掛けた道は多数ございますが、どの路にも我等華発の兵は多く行き来しております故。お見せ頂ければこのムシカ、すぐに駆け付けましょう」
そう言って華発の国の花模様と、国王隊を表す薔薇の刺繍を施した手巾を差し出した。
有無を言わさぬ圧に、マリーエルはそれを受け取ると、礼を述べてから懐に仕舞い込んだ。ムシカはそれを満足そうに見つめている。
「華発の国の方々のご助力に感謝します」
事実、カルヴァスが割り出した日程より早く、霜夜の国へ着くことが出来た。
「我が王もお力添え出来たこと、喜びましょう。姫様、ご存知の通り霜夜の国は鬼との戦が続く地。それだけでなく、冷たく厳しい地でもあります。それが彼等の良き特徴でもありますが……どうか、お気をつけて」
ムシカは深く頭を垂れ、マリーエル達の後ろ姿が見えなくなるまで一心に見送った。




