22話 華やかさの裏側
豪奢な部屋に案内されたマリーエルは、ひととおり部屋を眺め、感嘆の息を吐いた。全てが集まる華発の国の名は、見せ掛けだけではないようだ。
「あんなに気色悪い奴だと思わなかったんだけど。ここの国王」
今後の進路を話し合った後、インターリが吐き捨てるように言った。
「お前、この国で仕事をしたことあるんだろ?」
怪訝そうに訊くカルヴァスに、インターリは鼻で笑う。
「一介の暗殺者なんかに国王自ら会う訳ないだろ。僕はある程度仕事をこなしたからムシカと顔を合わせることもあったけど、そこまでだよ。それとも何? 精霊国では国王自らどんな者とでも面会する訳?」
皮肉たっぷりの言葉が刺々しく響いたが、「まぁそうだけど。コイツも最初は王の許に引き出されたし」と、カルヴァスがカナメを指したことで沈黙が落ちた。
「ある程度はオレ達でふるいにかけるけどよ。大抵のことは王の判断を仰ぐぜ、オレ達は」
「俺はあの時の一度しか言葉を交わしたことはないが、思慮深い方だったと思う。兵達にも慕われていたようだし。俺は王を拝した地で育っていないから判らないが、王とは民の声を聴き判断する者ではないのか?」
カルヴァスとカナメを交互に見やってから、インターリは大きな溜息を吐いた。
「精霊国ってやっぱりよく分かんないわ。でも、お姫様の髪をほいほいくれてやる奴等じゃなくて安心したよ」
「心配してくれたんだね」
マリーエルが言うと、インターリは鼻で笑い飛ばした。
「違うね。アンタの様子じゃその内、指だ、目玉だって取られそうだからね。不安でしかないよ」
「そんな物騒な」
マリーエルが言うと、インターリはこれ見よがしに舌打ちした。
「アイツが言ってたこと理解してる? 本当はアンタ自身が欲しいけど、髪の毛で我慢してやるって言ってたんだよ。どうすんの。アンタが本当に困った状況になった時に、妃の座に収まるなら貴女が望む物は全て用意しますなんて言われたらさ。それに、アイツは精霊姫様だなんだって言いながら、アンタのことを物扱いじゃないか。何だよ、髪が欲しいって。気色悪い」
「それは……」
言葉に窮したマリーエルに、カルヴァスが溜息を吐く。
「あまり虐めてくれんなよ。そりゃオレだってもう少ししっかりして欲しいとは思うけど。オレ達の姫様はこんな感じなんだ。無理に変えなくてもいい」
「どうだかね。余程周りがしっかりしないと今後どうなるか判んないよ。ま、今回のことで正確に判ったよ。精霊姫の価値ってのがさ。――お姫様は城に向かうまでに獣族の姿を見たでしょ?」
インターリはベッロの鼻先を撫でながら、吐き捨てるように言った。ベッロは話に飽きたのか寝息を立てている。
「うん。皆、姿を変えずに生活してるみたいだったね」
「奴らは特別区で暮らし、殆どこの町から出ることはない。出るには国王の許可が必要だ。生きていくのに危険はないが、自由はない。その生き方を奴らが選んだ理由は何だと思う? ベッロの一族みたいに安住の地を求め流離う者達もいるのに」
暫しの沈黙の後、カルヴァスが呻いた。
「成る程。通貨ってそういうことにも使えるのか」
渋い顔を浮かべたカルヴァスを見やり、マリーエルは眉根を寄せる。
「通貨……って、獣族の人達を買ったってこと?」
マリーエルが訊くと、その声はぽつんと部屋に響いた。
異文化である通貨に感じていた興味深さが、途端に穢れを前にしたような気分に塗り替わっていく。
インターリが鼻で笑う。
「ここは全てが集まる華発の国だからね。でも、奴らにとっては逃げ回るよりそれが最善だったってこと。あいつらはそれを選ぶことが出来た。――で、今、姫様が感じてる気持ちがアンタの周りが感じるものと同じだと思うけど?」
マリーエルは口を噤み視線を落としたが、すぐに顔を上げ、インターリに向き直った。
「有難う、インターリ」
「……は?」
怪訝そうな顔をしたインターリに、カルヴァスが笑う。
「だから言ったろ。マリーはこういう奴なんだって」
カルヴァスがマリーエルの髪をくしゃくしゃと搔き回す。助けを求めて身をよじったマリーエルは、アメリアの視線がぼんやりと手元に止められているのに気が付いた。
「アメリ――」
『何をやっているのです⁉』
ふと響いた怒声に、マリーエルは肩をびくつかせた。話し合いの途中で席を外したアントニオが鏡の中に戻って来ていた。
「呼び出しは大丈夫だったの?」
『……雑事です。私は知の者としての役目もありますから。それにしても……』
アントニオは溜息を吐くと、恨みがましく横を見た。その頬をヨンムの手が押しのける。
『いつまで拗ねてるんだよ。マリーエルは待ってればその内帰って来るだろ。それよりもこっちの方が――』
言いかけたヨンムはカチャカチャと手元を動かしていたが、その手を止めた。
『アントニオのことは僕に任せて、マリーエルは自分の使命に専念すること。いいね?』
マリーエルが答えるより先に「そろそろ休ませてやれよ」と言い残し、ヨンムは鏡の前から姿を消した。すっかりしょげたアントニオは、触れようとするように鏡に手を伸ばし、「そうですね」と呟く。
「大丈夫だよ。霜夜の国にある二か所の祓えを終えたら帰るから」
アントニオは黙りこくった後、そういえば、と口を開いた。
『こちらに来る前に言いかけたことは大丈夫でしたか? 気になることが、と言っていましたが』
小首を傾げたマリーエルは、少しだけ考えて、あ、と声を上げた、耳を澄ませていたカナメが僅かに身を乗り出す。
「あのね、世界樹の枝葉で私とカナメが視たものがあってね。そのこと」
マリーエルが話し出すと、カナメは緊張を緩め、背もたれに寄り掛かる。それをカルヴァスが横目で見やった。
『成る程。やはり世界樹の声を聴く力というものを有しているのでしょうか。カナメの部族の風習は秘されていて私でも判りません。ですが、そうですね、そのような事例がないか当たってみましょう。――この鏡はジョイエルス王の手に渡りますから、どのような結果だろうとすぐにはお伝え出来ませんが』
忌々しげに呟いたアントニオに、マリーエルは笑い掛ける。
「でも、きっとアントニオが調べてくれたことはどこかで役に立つ。知識はあって困ることはないもんね」
マリーエルの言葉に、アントニオは信じられないものでも見たようにじっと見つめ、何かを言いかけてゆるく首を振ると、笑みを作った。
『ええ、あって困るということはありません。――姫様のお帰りをお待ちしています』
アントニオはもう一度じっとマリーエルを見つめた。決心したようにひとつ頷き、手を翳すと、鏡は静まり、ただマリーエルの顔を映すだけとなった。