21話 王の求めるもの
ムシカは中庭が見渡せる謁見の間に、マリーエル達を案内した。華麗な装飾を施された調度品は、どれも華発の花模様があしらわれている。
「こちらでお待ちください」と頭を垂れ一度部屋を出て行ったムシカは、豪奢な服に身を包んだ男に付き従い戻って来た。
「我等が華発の国国王ジョイエルス様です」
ムシカが恭しく屈み、手を掲げる。それを手で制したジョイエルスは、マリーエルに目を止め、ハッと息を飲んだ。
そのまま見惚れるジョイエルスに、ムシカがそっと耳打ちをする。ジョイエルスは誤魔化すように咳払いをすると、改めて笑顔を作った。
「ようこそ我が華発の大輪城へ。精霊姫様に拝謁出来るとは大変喜ばしいことです。――これを記念に何か作らせようか」
思案顔になる国王に、再びムシカが「国王」と諫める。
「あぁ、急ぎの旅だというのに引き止めていたのだね。何か……そう、精霊姫様の路行きに役立つような物を贈りたい。受け取って貰えるだろうか」
「お気遣い有難うございます。ですが、お気になさらずに」
ジョイエルスはまるで宝物でも見るような目つきで「そうかい」と独り言ち、マリーエルを見つめている。はぁ、と吐息を吐く。
「貴女がお生まれになったと報せを受けた時にはまだ国王となっていなかった為に、生誕の祝いには先代が行ったのだ。その後、王となってから暫くは旅に出る暇もなく……。あぁ、精霊姫様。至高の方。本当に、お美しい……」
うっとりとしたジョイエルスは、ハッと我に返り、椅子に座り直す。
「そうだ。我が国で一番速い脚を用意させますから、今夜はこの城に滞在されては如何かな。もうじき夜にもなりますから」
そうですね、とムシカは窓の外に目を向け頷いて見せる。そわそわと瞳を輝かせるジョイエルスに、カルヴァスに目配せをしてからマリーエルは頭を下げた。
「では、ご厚意に甘えさせて頂きます」
「あぁ! そうか、良かった。すぐに部屋を用意させよう」
国王の声にムシカは軽やかに部屋を出ると、控えていた者に部屋の支度を命じた。
「支度が終わるまで――そうだ、茶でもどうだろう?」
マリーエルが頷くと、ジョイエルスは嬉しそうに笑い、唇を舐めた。
まるで熱に浮かされたようにジョイエルスはマリーエルを見つめている。非常に居心地が悪いが、ジョイエルスもそれを抑えようと努力をしているのを見て取って、マリーエルは気付かぬ振りをした。
「華発へと通じる路で、今何かと騒ぎを起こしている鬼……いや、影というのでしたか。それを精霊姫様が祓ったのだという噂を耳にしたが。貴女の旅とはそれと関係があるのだろうか」
ジョイエルスは、運ばれてきた茶の産地や茶菓子について語り終えると、おもむろに訊いた。
「はい。それを祓う為に私は参りました」
感心したような声を上げてから、茶をゆっくりと味わったジョイエルスは、小さく息を吐いた。ただ一人ジョイエルスの後ろに立ち控えていたムシカが、さっと茶器に茶を注ぐ。
「精霊姫のみに行える秘技。その為貴女は旅立たれた。華発ではあらゆる技術や人や物を集めているからその色は薄く見えるかもしれないが、今でも精霊を信仰している。この地は精霊国のように精霊の力で満たされている訳ではないが、儀式や礼等は精霊国を手本にしていてね。先代が新しいモノ好きだった為に少し形が変わってしまったものもあるが……。特に私は幼い頃から……その、憧れがあるんだ」
ジョイエルスは取って置きの秘密を打ち明けるように言った。ほんのりと耳を染める様子に、ムシカは感じ入ったように目頭を押さえる。
「そこで、その……ひとつ提案なのだが。精霊姫様が望む物は何であれ用意しましょう。それだけのものが我が華発にはあります。我がグリエ家の教えとは〝与え、そして求めよ。あらゆるものの価値を見出し、正しき扱いを〟。私は――この国は、信仰の依り代を必要としている。もし許されるのならば、姫様の御髪を賜ることは出来ませんか。まさか精霊姫様をこの地に留める訳には参りませんから、せめて御髪を。この地で祀り、民の拠り所となるよう、霊殿も見事なものを建てましょう」
嬉々として語られたジョイエルスの言葉に沈黙が落ちた。その中でインターリの舌打ちが響く。ジョイエルスはそのことを気にも止めず、熱心にマリーエルを見つめている。
『姫様、少しよろしいですか』
硬い声が沈黙を破った。
マリーエルは懐から鏡を取り出すと、恐る恐る覗き込んだ。眉間に皺を寄せるアントニオの顔を目にして、背筋に冷や汗が流れ落ちる。
『ジョイエルス王とお話をさせて頂いても?』
マリーエルは素早くジョイエルスへ鏡を手渡した。食い入るように見つめるジョイエルスに鏡がどういう代物かを手短に説明する。彼は目を丸くしながらもその中に見入り、その後ろからムシカも同じようにしている。
『私はマリーエル様の教育役であるアントニオ・リンステラ。先程よりこの鏡にてお話を耳にしていましたこと、お詫びさせて頂きます。ジョイエルス様、先程のご提案ですが、もう一度伺っても?』
ジョイエルスは思わずといった風にマリーエルと鏡を交互に見やってから、「御髪を頂きたい」と答えた。
少しの沈黙の後、アントニオはより低い声で言った。
『ジョイエルス様の御嗜好は存じております。ですが、そのご提案はあまりにも――我が精霊国の〝姫〟に対するものとは捉えがたいものなのですが』
ジョイエルスはさっと顔色を変え、口を噤んだ。きまりの悪そうな顔をして、項垂れる。
「私としたことが……。マリーエル様。私は……本当に申し訳ない」
その時、鏡の向こうで何やら話す声が聞こえ、しばしの沈黙の後「ねぇ」とアントニオではない声が聞こえて来た。マリーエルが鏡を覗き込むと、ヨンムが軽く手を上げた。
『ジョイエルス王に提案があるんだけど』
ジョイエルスがハッと顔を上げた。手短に挨拶を済ませたヨンムは「早速だけど」と話の主導権を握った。
『僕の大切な妹の髪は渡せないけど、華発の国の価値観も理解している。僕にとっては判りやすい価値観だね。――ということで、この鏡をジョイエルス王に、と考えているのだけどどうでしょう? その代わりにマリーエル達の旅に必要なものは全て揃えて頂きたい』
ジョイエルスの「え?」という声に被さるようにして、鏡からも同じ言葉が響いた。
『どういうことです、それでは姫様とのお話が――』
『うるさいよ、アントニオ。研究は次の段階に進んだんだ』
ヨンムの面倒そうな声がアントニオを丸め込み、アントニオの声は聞こえなくなった。
『大陸の半分までの旅でマリーエルの気は取り込んだ。今度はマリーエル以外の者が持った場合を検証したい。僕は、ゆくゆくはこの鏡話を世界各地で使えるようにしたいんだ。この技術をまず手にするのが、全てが集まる華発の国の国王だなんて、これ以上はないと思わないか?』
ヨンムの言葉にジョイエルスの顔がぱっと明るくなった。
「ヨンム王子はあらゆる技術に精通し、日夜研究に身を捧げているお方だと聞き及んでおります。そんな方との素晴らしい技術の共同開発に携われるとは。それで私は何をすれば?」
逸るジョイエルスに、ヨンムは滅多に見せない笑顔を浮かべた。鏡話についての理論を軽く明かし、瞳を輝かせるジョイエルスの関心を最大限に引く。
『ひとまず今夜はこの鏡をマリーエルの手元に置くことにしましょう。明日より本格的に研究に入れるようこちらでお願いしたい事をまとめておきます。国王もお忙しいと思いますから』
「あぁ、そうですね。この後の精霊姫様方の旅に、一抹の不安なきようこちらで全てご用意しましょう」
ジョイエルスはムシカに荷の準備をあれこれ命じてから、改めて非礼を詫びた。
「誠に失礼な申し出を致しました。マリーエル様方はお休みを。この後は全てこの私にお任せ下さい」
その瞳はまだ未練を含んでいたが、ジョイエルスはそれを払うように、何処か軽い足取りで部屋を後にした。




