20話 華発の国
夜が明ける頃には雨も上がり、麓の宿まで戻ったマリーエル達は、悲惨な光景に言葉を失った。
宿は影の襲撃を受け、怪我人の手当てに追われていた。マリーエルは一人一人の状態を確認し、必要であれば影を抜き、祓えを行った。
「申し訳ございません」
宿の主人は何度も頭を下げた。預けていた馬の一頭が影に襲われ怪我を負ったのだ。幸い死に至るような怪我ではないが、これからの旅に耐えられるものではない。
「ひとまず、命を守れたことで良しとしましょう。他に怪我や、何処か体に異変を感じている方はいませんか?」
「いえ、もう十分。お力をお貸し頂きました」
祓えを行ったことで、マリーエルがかの精霊姫だと宿の者達に知れ渡った今、皆遠巻きにしつつも好奇心に満ちた視線でマリーエルの挙動を窺っている。
「馬は、私が育てたものをお使いください」
マリーエルが未練の籠った瞳で馬を振り返り答えられずにいると、カルヴァスが代わりに答えた。
「あぁ、有難い。アイツの面倒はアンタに任せるぜ」
カルヴァスは辺りを見回し、宿から離れた場所でベッロと佇むインターリに呼び掛けた。
「おい、インターリ! 何やってんだ。そろそろ行くぞ」
その途端、宿の客達の間に動揺が走る。カルヴァスはその意味に気付かない振りをし、ニヤニヤと歩み寄って来たインターリに訊いた。
「で、お前は移動手段どうすんの」
「コイツがいるじゃん」
「ベッロ?」
ベッロは嬉々として尻尾を振ってみせる。
「じゃあ、都合つける必要もない訳だな。それなら、いい。行くか」
宿の者達は、不安そうにインターリを見やってから、マリーエルに深々と頭を垂れ見送った。
「役に立ったでしょ、〈インターリ〉って名も」
ベッロの背に乗り、カルヴァスの横に並んだインターリが可笑しそうに笑った。
「多分、な。だけど、弊害はないだろな? 面倒事が増えるのは御免だぜ」
「ないよ。僕はそれを潰して来たんだから。この名を恐れない奴は滅多に居ない。それに、今僕を殺す意味もない。個人的な恨みとかは知らないけど」
「そうかよ」
低い声で話し合うカルヴァスとインターリの向こうに、尖塔のようなものが見え始めた。
「ねぇ、インターリ! あそこが華発の国のお城?」
「ううん、ただの門」
速度を緩めマリーエルの横に並んだインターリの答えに、マリーエルはぎょっと目を見開いた。
「それじゃあ華発の国の町って……もっと大きいの?」
『あぁ、華発の国まで着いているのですね』
ふと応じた声に、マリーエルは胸元に視線を落とした。鏡を取り出すと、眉間に皺を寄せたアントニオの姿が写っていた。
『姫様、お顔がやつれて見えるのですが……。アメリアは何をしているのです?』
アントニオは責めるような声を出したが、鏡を覗いたアメリアの顔を見るや心配そうに眉間の皺を深くした。
『まぁ、貴女も無理をしないように。それで、カナメとやらはどうですか?』
ぞんざいな言い方にカナメは鏡に目を向けたが、静かに視線を投げただけだった。
「いつも助けてくれてるよ。あ、でもひとつだけ気になることがあるの」
そのマリーエルの言葉にカナメは落ち着きをなくし、それを敏感に感じ取った馬がいななく。カナメが馬を宥める間に、器用にベッロの背で伸びあがったインターリが、マリーエルの手元を覗き込んだ。
「ねぇ、鏡を見て何やってるの? 何か聞こえるんだけど」
マリーエルは鏡を掲げて見せた。鏡の中を見つめたインターリが奇妙な顔をする。
「これは私の兄の発明品なの。鏡を通して話が出来るもので……あ、紹介がまだだったね」
マリーエルの紹介を聞き、数回瞬きをしたアントニオは目を見開いた。
『〈災厄のインターリ〉ですか⁉』
「今は〈流浪の暗殺者〉って呼ばれることの方が多いけどね」
マリーエルが話し出す前に、カルヴァスが鏡を奪い取った。
「こいつは確かにその〈インターリ〉だ。ベッロっていう獣族と精霊国に来たいらしい。それをマリーが提案した。こいつの腕は確かだ。片腕の義手はオレの方で預かってる」
アントニオは暫く黙り込むと、ははぁ、と声を上げた。
『随分と手練れのようですね。知識として残せるだけの痕跡がありません。しかし、客観的な事実とすり合わせるなら、その獣族の方は月を拝す一族の姫ですね』
「え、お姫様なの?」
マリーエルの声に、ベッロは首を傾げる。続いてインターリに問うように目を向けたマリーエルは、言葉を飲み込んだ。インターリは敵意さえ感じる鋭い視線で鏡を睨み付けている。その様子に気が付いたカルヴァスが溜息を吐いた。
「お前ベッロに関わることだと駄目な。露骨すぎる弱点どうにかしろよ」
「で、そいつは誰で、アンタらは何してんの」
最早殺意を隠そうともしないインターリに呆れの視線を向けながら、カルヴァスはアントニオについて話した。インターリは若干表情を緩めると口端を歪める。
「随分気持ち悪いことしてんだね」
『お言葉ですが、別に貴方の頭の中を覗いている訳ではありません。多くの者が認識し知識として扱えるものに触れているだけです。〈インターリ〉の行動や噂から考えるに随分と苦労をして来たようですが、それでその随分な態度が許される訳ではありません。精霊国では気に入らないものを考えもなしに殺してしまおう等ということは許されませんし、礼儀を弁えない者には救いの手も差し出されません。姫様は限りなくお優しい方ですが、そのような態度で居るのはおよしなさい。姫様が許しても私が許しません。精霊国で生きていくつもりなら、何が一番大切なのかをよく考え肝に銘じ行動を――』
「何なのコイツ⁉」
苛立つインターリに、マリーエルは微笑んだ。
「私の教育役だよ」
インターリは苦虫を噛み潰したような顔をしてから、そっと身を引いた。
『ともかく、姫様が彼等を迎え受けると言うならば、こちらで必要なことは済ませておきます。今は姫様の使命が最優先ですね。華発の国と言えば、かつて盛運王が拓いた国。初代グランディウスも彼の手配する品々に助けられたとか。今でも〈全てが揃う国〉として大きな取引所を設け、大陸での一大交易場として機能しています。象徴ともいえる大輪城は最新の技術の粋を集め、幾度も姿を変えながら常に瑞々しく咲き誇る大輪の花のようだと評判ですね』
「へぇ、そうなんだ。見るのが楽しみだなぁ」
『……以前に授業でお教えした筈ですが?』
マリーエルが黙り込むと、インターリがニヤニヤと笑みを作った。
『そういえば、先程気になることがあると言っていませんでしたか?』
「あぁ、それはね――」
その時、ベッロが前方を見つめながら、不安そうにキュウと小さな声を上げた。
道の向こうから馬の蹄の音が近づいて来る。花の刺繍が施された幡を掲げ、胸には精霊国を表す、光を受けて色を変える布を差した兵が、マリーエルの許へ向かって来ていた。
ひと際洗練された飾り鎧を着た兵の一人が、馬を降りると恭しく礼を取る。
「精霊姫様ご一行ですね? 我等は華発の国国王ジョイエルス様の命で皆様をお迎えに参りました」
インターリが鼻を鳴らし、それを一瞥した兵が僅かに目を細めてから、笑顔でマリエールを見上げる。
カルヴァスが前に出て華発の兵を見回した。敵意がないことは明らかだが真意が判らない。
「精霊国クッザール隊のカルヴァス・ルクトルだ。迎えに来たとは?」
「ええ、精霊国にてお務めに身を捧げているという精霊姫様が華発の国にいらしているとのこと。是非、ご挨拶をと。王自らお迎えに上がるのが道理ですが、ここの所大陸では影の障りが起きております。ですので、我等が代わりお迎えに参りました」
兵達の身なりは一目で最高級のものと判る。王に近しい者であることは確かだ。
「カルヴァス」
後方のカナメが固い声で呼んだ。カルヴァスが肩越しに見ると、ずっと後方にも華発の兵が見える。
「姫様方がどの路から我等が華発の国へいらっしゃるのか判断がつきかねましたので、全ての路にてお待ちしておりました。なにせ、華発に繋がる路は無数にございますから。あぁ、でもこちらの路を往って良かった。この路は三番目に大きな路ですが、炉の国からならば一番近い路ですからね。こうして最初にお目にかかる栄誉に預かることが出来ました」
カルヴァスは指示を仰ぐようにマリーエルに視線を向けた。マリーエルは小さく頷いてから華発の兵に笑みを返した。
「急ぎの用とは言え、失礼をしました。是非ジョイエルス様へご挨拶をさせて下さい」
マリーエルの声に、華発の兵は深々と頭を垂れた。
「光栄でございます。私は国王隊隊長ムシカと申します。私が責任を持って国王の許へご案内致します」
「この度の訪問は公式のものではないから、こうも仰々しく案内されると困るんだが……」
カルヴァスが言うと、ムシカは「全て心得ております」と、薄布を掛けた籠を呼び寄せた。
「姫様方はこちらへ」
そう言ってムシカはマリーエルとアメリアを籠に乗せると歩き出した。付き従っていた兵は数を減らし、先頭をムシカ、籠の両脇をカルヴァスとカナメ、その後ろにインターリ。更にその後ろに数人の兵が従うだけとなる。
華発の町に入ると人通りが増え、薄布越しにその喧騒が伝わって来る。国王隊というだけで道が開くのか、大通りをするすると進み、何事もなく大輪城へと着いた。
籠を降りたマリーエルは、色の洪水に目を瞬いた。
大輪城はあらゆるものが所狭しと並べられていた。それは無造作に押し込まれている訳ではなく、見る者を考え飾られていた。手前の建物は宝物殿として開放され、多くの人でごった返している。人々は収蔵品に夢中で国王隊に連れられた客人など目にも入らないようだった。
無骨な印象のグラウス城とは違い、まさに大輪城という名が相応しい。
「時に精霊姫様。あの者の素性はご存知ですか?」
奥宮に進みながら、ムシカはこれみよがしにインターリに視線を送ると言った。
「ええ」
マリーエルが答えると、物知り顔で頷く。
「あの〈インターリ〉を手なずけるとは流石は精霊姫様。彼は貨さえ与えればどんな仕事でもこなしますが、どうにもそれだけではない事情があるようですね。我等が華発の国も彼には幾度か仕事を任せましたが……いえ、我等が華発の国は各地からあらゆるものが集まる地。治安を守るにはあらゆる手段が必要なのです。あぁ、ご心配なさらず。特に貴い方々は私達国王隊がお守りしますので。――姫様、あちらをご覧下さい」
ムシカは透明な石板を散りばめた戸を開け、その先に広がる景色を示した。
階段を多用し、何重にも層を重ねた城は、遥かな高みから町を一望出来る。花弁のように広がり、城下町は花畑のように見えた。建材さえも計算して造られていた。
「わぁ、凄い……」
マリーエルが思わず声を上げると、ムシカは満足そうに笑い、辿って来た路を指でなぞり説明した。
「町の外から幾筋にも至る路は、最後この大輪城へと向かう大通りへと繋がるのです」