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1話 精霊姫教育役の苦悩

 アントニオは眉間に深い皺を寄せ、目の前の少女を見下ろしていた。

 

 グラウス城――別名精霊城の一室である。


「貴女が精霊姫としてその名に恥じぬよう教育することが私の役目であると尽力してきたつもりですが、恥じ入るべきは私の方かもしれません」

 

 思わず小さな溜息を漏らすと、少女がビクッと肩を震わせた。その拍子に柔らかく波打つ髪が光を受けて踊る。花咲く瞳が気まずげにアントニオを(うかが)い見る。


「そんな目で見ても無駄ですよ。全く貴女は」

 

 冷たく突き放すと、少女は拗ねたように頬を膨らませる。こういう態度を取れば大抵の場合許してもらえるということを理解しているのだ。


 他の者はそれでも良い。しかし、だからこそ。

 

 不満を紛らわせるように筆を揺らしていた少女――マリーエル・グラウス・ディウスの手を、アントニオはぴしゃりと叩いた。マリーエルは小さく悲鳴を上げると恨みがましく睨み上げる。勿論、力の限り叩いた訳ではない。そんなことをする筈がない。

 

 彼女が生を受けてすぐに教育役に任命されたアントニオは一心に尽くしてきた。それは彼にとって信念であり、生を受けた意味であった。

 

 しかし近頃、あらゆる選択肢を間違えたのではないかと思うことが度々あった。

 

 大量の知識を持っていることと、それを与えることは全く別なのだと痛感する。


「仕方がないので貴女でも読めるよう、絵がふんだんに使用されている書物を選んで来ましたよ。これなら実践しながらでも知識を付けることが出来ますから」

 

 そう言いながら机の上に書物を出すと、マリーエルは口を曲げた。


「これ、アンジュが読んでいたものじゃないの」

 

 アンジュとは彼女の十も下の妹である。


「ではこちらにしますか? 何度もお勧めしましたが」

 

 絵は解説程度で文字がびっしりと書いてある書物を取り出す。


「アントニオの意地悪! こっち読むから良いもん」


「もうじき成人なされる女性のする仕草と言葉遣いではありませんよ」

 

 その言葉にマリーエルは渋々といった風に居住まいを正すと、改めて拗ねた表情を作った。

 

 彼女がいつも以上に勉学に身が入っていないのには理由がある。間近に迫った彼女自身の成人の儀のことだ。精霊姫は、精霊の祝福を受けた姫として、精霊王に舞を奉じることになっている。それが楽しみで仕方ないのだ。卓に着いている今と、舞の稽古の時では表情の明るさが全く異なっている。

 

 マリーエルが生まれる前まで、精霊王は一年(精霊国においては最初の種蒔(たねまき)から開花、収穫を繰り返し、その後ひと時大地が眠る期間)の終わりから始まりに際しグランディウス王の前に現れるのみであったが、マリーエルの器としての充実を確認するかのように折に触れて顕現していた。精霊王の気を身の内に巡らせることでマリーエルの精霊姫としての気の力もより強く育っていく。


 精霊国史をたどれば、前の精霊姫が存在したのは二代前の王の治世だ。強大な力のせいで早逝した者も少なくないが、マリーエルは平然と精霊達と戯れ、その力を巡らせ導いている。

 

 アントニオはふとマリーエルの瞳に映る世界の在り様を想像しようとして諦めた。

 

 自身の気の殆どは膨大な知識を得て維持するのに使われている。知識の精霊の呼び掛けを受けたからといって、マリーエルのように多くの精霊の力を導ける訳ではない。どのような精霊が力を司っているのかを()()だけである。

 

 そんな自分にどうして精霊姫の視る世界を想像出来る?

 

 知識とは多くの者に共有されてこそ〝知識〟となるのだ。

 

 ふと窓辺に目をやると、アントニオの視線を一身に受けていたマリーエルが期待に不安を滲ませた表情を浮かべた。アントニオは長く息を吐いた。


「ここまでにしましょう」

 

 その言葉を聞いた途端、マリーエルの表情がぱっと輝いた。

 

 見計らったように部屋の呼び鈴が鳴った。


「食事の支度が出来たけれど、そろそろ終わったかしら?」

 

 入り口の幕をくぐり、女が柔らかな笑顔を覗かせた。

 

 露に濡れるすみれ色の瞳が興味深そうに二人を行き来し、問うように瞬く。明け方の陽の色の髪を耳に掛けてから、もう一度訊ねるように首を傾げた。

 

 口を開きかけたアントニオを遮るようにマリーエルが立ち上がり、声を上げる。


「終わったよ! 昼餉(ひるげ)はなあに、アメリア?」

 

 すぐさまアメリアの許へ駆け出して行きそうになるマリーエルを、アントニオは鋭く呼び止めた。


「こちらの書物は課題としてお渡しします。読んでおくように」

 

 絵の多い方の書物も重ねて渡すと、マリーエルの表情が引きつった。


「貴女の予定を考慮してこの量です。貴女なら読める筈です。そう信じましょう。良いですか。成人の儀が終わり学びも終わる訳ではありません。貴女がどのように身を振るとしても知識があって困るということはありません。無くて困るというのは大いにあると思いますが。それは貴女も理解している筈でしょう? 貴女が打てば響くような方であったなら……そのような事は申しません。私にも責任はある。しかし多様な工夫を凝らし貴女に真の知識を授けようと思っていても、貴女がその調子ではどうしようもありません。貴女が興味ないと投げ捨ててしまう事柄をどうやって学んでいただけるのか、これもまた私の学びと――」


「うん、学びには書物を読むことから! 有難う、アントニオ!」


 説教が本格的に始まる前に、マリーエルは書物を手に部屋を飛び出した。


 アントニオはアメリアの目配せに、行って良いと手で示してから再び溜息を吐いた。


 知識を駆使しあらゆる手を使って来た。しかしどうにもマリーエルは感覚的なこと以外には意識が向かないらしく、気もそぞろになってしまう。感覚的に伝えようとすれば面白がるだけで学びには繋がらない。知識の精霊の呼び掛けを受けた者として全くの不名誉なことなのではあるが、アントニオの中でいけないとは思いつつも甘やかしてしまう部分も十二分にある。


 アントニオはまたひとつ息を吐くと、マリーエルの教育についてあらゆる知識を駆使し悩み始めた。



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