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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第一部 影の揺りかご
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15話 炉の国

 間もなく船は港に着岸した。


 焚火山(たきびやま)が高くそびえ、剥き出しの荒々さで港町を見下ろしている。頂上に行くにつれて燃える溶岩が(たぎ)っているのが判る。


「ヴルーナ火山とは形も見た目も違うんだね」


 マリーエルが焚火山を見上げて言うと、カルヴァスが目の上に庇を作りながら、興味深そうに呻いた。


「焚火山は炉の民の拝する大高炉の源だからな。……ここであれだけの武器が造られてんのか、すげぇ」


 港には外見も様々な人々が行き交っているのが見える。その群れの中で、炉の民の特徴である、逞しい筋肉と奇抜な髪形の厳めしい顔が、ちょこちょこと忙しなく歩き回っていた。荒々しい声で、不届き者を怒鳴りつけている。


 船に掲げられた(はた)を見止めた炉の民が、下船したエルベルと何やら言葉を交わし、どこかに駆けて行く。戻ってきた時にはこの港を仕切る(かしら)を後ろに連れていた。


 それを見やっていたカッテは、マリーエルに向き直った。


「じゃあね。帰りもちゃんとアタシ達が連れ帰ってあげるから、無事に帰って来るんだよ。その時はアタシが船長かもね」


 そう言って、カッテはカラカラと笑った。


「ご案内します」


 (かしら)が腹に響くような低い声で、船上のマリーエル達に手を上げた。


 マリーエル達はカッテに見送られ、頭の後に続いた。


 頭は厳めしい顔をしながら、小ぶりの体で縫うように喧騒の中を進んで行く。


 海上を進んでいた時は時折寒いと感じる程の風が吹いていたが、炉の国では空気は熱を含み、熱風となる。それは町の奥に進むにつれ徐々に熱を増す。見渡せば、分厚い外套を纏っている者など居ない。マリーエル達も外套を脱ぎ、町中を進んだ。


 焚火山にほど近い館に案内されたマリーエルは、汗を拭い、館内を見渡した。住居というより工房に近く、炉が何基もあり、金属のぶつかり合う音が響く。


「棟梁」


 頭が声を掛けると、一人の炉の民が顔を上げた。マリーエル達の姿に気が付くと、髭に埋もれた口元をニッと上げた。


「来たな」


 炉の民にしては長身の棟梁は、分厚い筋肉がついた腕で奥を指した。それを合図に頭は港へと去って行き、マリーエル達は棟梁の後を追った。


 工房の中を進みながら、カルヴァスが興味深そうに炉の民の仕事を見つめた。


「やっぱり気になる?」


「あのな、オレは職人の家の生まれだぜ? 今は兵として使う側だけど、こういうのは見てて燃えるだろ」


 そう言って瞳を輝かせる。


「カナメも気になる?」


 チラチラと職人達を見やっていたカナメに訊くと、彼はもごもごと口を動かし「そうだな」とだけ答えると、気まずそうに視線を逸らした。


 船上では回復することなく、それどころか巨大生物の襲撃を受けた際に再び吐き気に翻弄されることになったカナメは、下船してからもぐったりと気落ちしていた。


 アメリアが気遣わしげにカナメを見やった後、マリーエルに微笑みながら小さく頭を振ってみせた。気持ちの整理がつくまで放っておいた方が良いこともある。


 先を歩いていた棟梁が突き当りの大扉を開けると、熱気が体を撫でた。


「さて、姫さん。セルジオから報せを受けたんで、アンタ等のことは待っとったよ。私等の地にある世界樹の枝葉に案内すりゃあいいんだろ? そのくらいならお安い御用さ。私等も影憑きっちゅうやつには困らされてる。私等が出来ることならやらせてもらうよ。だが、その前に私等の都合に付き合ってくれ。アンタ等は絶好の機会にやって来た。大叔父が亡くなって、炉還(ろかえり)の儀が執り行われる」


 棟梁はそう言って大高炉の前に設えられた台を示した。そこには一人の炉の民が横たえられていた。


 マリーエルが思わず言葉を飲み込むと、棟梁はガハハと豪快に笑った。


「あぁ、姫さんの国じゃあ死は悼むものだったな。そういやぁ、セルジオが初めてこの国を訪れた時にも同じやり取りをしたもんだ。あの時は二番目の同胞の時だった」


「炉の民は、炉から生まれ炉に還る」


 大高炉に視線を釘付けにしたカルヴァスが、呟くように言った。棟梁が嬉しそうに笑う。


「よぉく知ってるな。そうさ、今じゃあこの地は様々な種族が住む国だが、古来より焚火山の麓で生きる炉の民は『炉から生まれ炉に還る』。それは誇らしいことだ。ほれ、これを見てみろ」


 棟梁は誇らしげに腕の(あざ)を見せた。


「これは先代棟梁の腕にあった傷とまるっきし同じなんだ。こうして私等は炉から生まれ変わり、炉を守り続けている」


 さて、と棟梁は(つち)を手にすると、大叔父の横に置かれた鎚に振り下ろした。コーンと高い音が辺りに反響する。それに呼応するように工房や、もっと遠くの方から同じような音が返って来る。鎚が奏でる音が一体となって炉へ響く。程なく大高炉から重く低い音が返って来たのを合図に棟梁は手を止め、大叔父の鎚をその手に返すと、体を持ち上げた。


「炉に結ばれし家族よ。炉の民よ。再び燃え出づるまでひとつと還れ」


 大叔父の体が大高炉へ投じられた。一瞬の強い光の後、瞬く間に炉の中へ溶け消えた。


「さぁて、姫さん等に腹ごしらえをさせんとな。セルジオからたんと食べさせてやってくれと頼まれてる」


 誇らしげに笑った棟梁は、大高炉の間を出て歩き始めた。




 絨毯を敷いた広間に皆で腰を下ろし、見事な細工の皿や杯に盛られた料理に舌鼓を打つ。

カルヴァスが瞳を輝かせながら炉の民の専門的な話に加わり、時折わっと場が盛り上がるのが聞こえてくる。


 マリーエルは、炉の民から感じる気の流れと同質のものを大高炉から感じ取った。炉の民は世界樹ではなく炉に還り、生まれる。そしていつの日か炉がその火を消す時、彼等は皆炉に還ってひとつとなり、(つい)に世界樹に還るという。


 ふと、アントニオの声が耳に蘇った。話に聞いていた物事を実際に目の当たりにしていることに、何処か感慨深い心地がする。僅かに、もっとちゃんと聞いておけば良かった、という気持ちが芽生える。


「姫さん、明日のことだがな」


 その声に意識を引き戻され、肩を震わせたマリーエルに、棟梁は怪訝な顔を浮かべた。


「船旅の疲れが残ってるんじゃないか。それなら明日とは言わず、暫くここで休んで行けばいい」


 杯を傾ける棟梁に、マリーエルはふるふると首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。興味深いものが多くて、ぼんやりとしてしまって……」


 マリーエルが言うと、棟梁は納得したようにガハハと笑った。


「あぁ、セルジオの奴が言っとったな。興味を持ったものに夢中になり、時には木に登り、城を抜け出し、兵や世話役が駆けずり回って――」


 そこで言葉を止めた棟梁は、恥ずかしさに顔を染めたマリーエルの様子を見て再びガハハと豪快に笑った。


「悪い、悪い。こりゃ初対面だってのに、悪ふざけが過ぎた」


 棟梁は杯を空けると、新たに持って来させた酒を注ぎ、真剣な表情を作った。


「姫さんが大丈夫ってんなら、詳しいことを話させて貰うがよ。炉の国には世界樹の枝葉が二か所ある。ひとつは火山洞窟の奥にあって、そこは炉の民以外の立ち入りを禁止してる。もうひとつは隣の華発の国との境近くにあってな。そっちには姫さん等だけで行って貰うことになる。あの辺りに住んでいた者達が居なくなって久しいが、道は残っている筈だ」


 棟梁は一度言葉を止め、杯を傾けた。


「火山洞窟の世界樹の枝葉だがな。例の影が発生してから、実のところ私等も近づけてないんだ。影憑きって奴等も出始めて、まぁそっちは港に集まる者達に依頼を掛けて殲滅しているがな。どうにも根本的な解決にはならんようだからな。だが、姫さんなら、その辺り上手くやってくれるんだろ?」


 その問いに、マリーエルは頷いた。


「はい、それが私の使命ですから」


 ふと棟梁が顔を上げ、問うような視線を向ける。アメリアが微笑みながらマリーエルの隣へ腰を下ろした。


「カナメは料理を食べてくれた?」


「ええ。少しだけれど」


 アメリアの言葉に、棟梁が頭を抱えた。


「私等は余計なことを言っちまったなぁ」


 歓迎の宴が始める前に、棟梁との雑談の中で、不審な死体の話を聞いたカナメは、「用心に越したことはない」と周辺の見回りに出てしまった。


 多様な種族が集まる炉の国の港では、常時から多少のいざこざはあり、その対応には慣れているから、棟梁はほんの注意のつもりで言ったに過ぎなかった。


 宴も随分と盛り上がった頃に戻って来たカナメは、警戒を緩めないままに広間の入り口に控え、アメリアから手渡された料理に少しだけ口をつけた。


「あの兄さんは随分と顔色も悪かったし、明日火山洞窟に行くってんなら、力をつけねぇとならないと思うんだがなぁ」


 棟梁の言葉に、アメリアが笑みを浮かべる。


「彼がああしているのは、決して棟梁の言葉だけが原因じゃないのです。その内気も済むと思いますから。それに、彼は護衛としての役目を果たそうとしているだけですわ」


 棟梁は、難しい顔をしてから、うん、と頷いた。


「ま、そういうことなら、私等からは何も言えねぇな。うん、判った」


 棟梁は辺りを見回し、少年を呼び寄せた。口髭もまだほんのりとしか生えていない、どこかもさもさとした印象の少年だった。


「すぐ休めるよう奥の間に案内させよう。姫さん等も疲れただろう。今日はもう休んだ方がいいな」


 棟梁の合図で宴がお開きとなり、盛り上がっていた炉の民達は再び工房の方へ引き返して行った。


「じゃあ姫さん。明日は早くに火山洞窟へ行くからそのつもりでな」


 棟梁も行ってしまうと、マリーエルの隣で少年はやる気に鼻息を荒くした。


「お客人、こちらですよって」


 少年の後ろを歩き、奥の間に向かう途中、独特の香りが漂って来た。


「む、この匂いは?」


 マリーエルの懐で眠り続けていたアールが、ひょっこりと顔を覗かせた。


「あぁ、温泉ですよって。奥の部屋からはすぐ目の前にありますから」


「温泉!」


 マリーエルは心躍る言葉に目を輝かせた。フリドレードにも温泉があるが、それは修養を終えた修養人が傷を癒す目的で浸かるもので、それもひとつの修養と見なされる。一番の難点は、ヴルーナ火山の頂上付近にあるせいで、それを目的にするには道程が厳しすぎるということだった。マリーエルも幼い頃、フリドレードを訪れた際に何度か浸かったことがあるだけだ。それでも、心地の良いものだったという記憶が残る。


「ほぅ、姫も好きか。命世界において実に好いものだからのう。」


「コイツ、ずっと寝こけて温泉につかって満喫しすぎだろ。姫の役に立てよ」


 カルヴァスが呆れ声で言うと、アールはむっと耳を立てた。


「立っておるじゃろう。今はこの愛らしい姿で癒しておる。時が来たら見ておれよ、小僧」


「はぁ? 大体お前は――ん?」


 言い返そうとしたカルヴァスはクスクスと聞こえた笑い声に顔を向けた。


 少年が可笑しそうに笑っている。視線を集めた少年は、はっと口を噤み、それからもじもじとカルヴァスを伺い見る。


「精霊人は精霊と対話する力を持っているってのは、本当なんすねぇ。私等は炉を作った火の精霊を拝してはいますが、対話はしません。私等が炉であるから」


 少年は、得意げな顔をするアールを見つめ、嬉しそうに笑う。


「あぁ、こいつはそんなに有難がるもんじゃないぞ。アイツにだって視えてんだし」


 カルヴァスはカナメを指さし、アメリアを伺い見た。アールが栗鼠の姿を借りて以来、アメリアの目にもその姿は視えるようになっていた。


「そうなんすか? でも、こうして皆さんに会えて嬉しいんす。その剣だって……」


 少年は、カルヴァスの腰に差した剣に視線を釘づけた。


 宴の間、カルヴァスは炉の民と互いの武器を見せ合い、剣技まで披露して場を沸かせて見せた。


「武器は同じ造り手の物でもそれを使う者によって顔が変わるもので、そこが面白くもあるんすが、皆さんは色んな作品をお持ちですねぇ」


 少年はマリーエルやカナメにも、興味深そうにちらちらと目を向けた。


「お前はどんな武器を造るんだ?」


 カルヴァスが訊くと、少年はぶんぶんと首を横に振った。


「私等はまだ未熟なもんで……でもいつかきっと素晴らしい作品を造ってみせます。炉の民だから、それは当たり前のことなんすが」


 少年が言うと、カルヴァスがニッと笑った。


「へぇ、じゃあその時は見せて貰おうかな」


『この声はカルヴァスですか? 何故……姫様がお持ちの筈では?』


「は? アントニオ?」


 廊下に沈黙が落ちた。辺りを見回すが、アントニオが居る筈がない。


 マリーエルははっとして懐から鏡を取り出した。ぼんやりとだが見覚えのある姿が映し出されている。


「アントニオ!」


 横を向いていたアントニオが、勢いよく振り返る。


『姫様! あぁ、ご無事で……いえ、疲れた顔をしていらっしゃる。今どちらですか? その内装……炉の国には到着したようですね?』


「うん、今夜は休んで、朝、世界樹の枝葉へ向かう予定だよ。ここには温泉があるんだって。あとね、海の上では――」


『落ち着きなさい。全く貴女という人は』


 久し振りの呆れ声に、マリーエルは思わず笑みを零した。それ程長い時が経った訳ではないが、酷く懐かしく感じてしまう。


「あのね、心配ないよ。皆で力を合わせて頑張ろうって思ってるから」


「そうそう。マリーは頑張ってるぜ。勿論、オレも」


 カルヴァスが鏡を覗き込み言った。へぇ、こうなるんだな、と鏡を突く。


『カルヴァス、貴方が頑張るのは当たり前です』


 アントニオが冷たく言い放つ。


「労いの言葉ってのも聞きたいもんだけどな! なぁ、この鏡って便利なものかと思ったけど、小言聞かなきゃならねぇの?」


『小言ですって? それは貴方が――』


 ふいに再びの沈黙が落ちた。鏡はアントニオの姿ではなく、マリーエルを映している。


「……もしかして力を使い切っちゃったのかな」


 誰も答えを持たぬまま、鏡を前に首を傾げるしか出来ない。鏡から目を上げたアメリアが、笑みを浮かべた。


「大陸に着いたことと、明日世界樹の枝葉に行くことを伝えられただけで十分じゃないかしら。今は体を休める方が肝心だわ」


 ね、とアメリアに微笑まれた少年は、あっと飛び上がり、案内を再開した。


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