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精霊国物語  作者: 夢野かなめ
第一部 影の揺りかご
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13話 エランの町

 翌朝、エランの町に下りたマリーエルは、その活気に目を瞬いた。グラウスとはまた違った荒々しさも含んだ活気で賑わっている。民は皆、影の出現に不安はあっても、それを奥底に隠し、普段通りの生活を送るよう努めている。


 マリーエルは長方形や楕円の、様々な素材で作られたものを奇妙な気持ちで見つめた。


「これを渡すとご飯が食べられるの?」


 グラウスでは、厨役(くりややく)が必要な分を作り、配る。町の民であっても数人で食事を作りそれを分け合っている。他のものと交換したいのであれば互いにそれを交渉する。資材や人手、グランディウスであれば民を守ること。


「場所にもよるが大体そのくらいだ」


 カナメが袋の中からいくつか見せながら言った。見せながら適当に放り込んでいるところから、カナメ自身も通貨にそこまでの執着がないのが判る。


「話には聞いてたけど、実際に使うのは初めてだぜ。いちいちこんなものを持ち歩くのは面倒な気がするけど、ある意味簡単で良いか。大陸で交渉するのも手間がかかりそうだし。……報酬の分配もこれを使えば楽だよな」


 そう独り言ちながら小石でも弄るようにしていたカルヴァスは、通貨を仕舞うと、少し先の看板を指さした。


「そこの飯が旨いって聞いたぜ」


 カルヴァスは早速エランの兵と親交を深めていた。クッザール隊の副隊長カルヴァス・ルクトルの名は国中に知られているし、彼はとても器用だった。


「いらっしゃい……おや、まさかカルヴァス殿では? そちらにいらっしゃるのは精霊――奥の卓にどうぞ」


 食事処に入ってすぐ、店主が驚きの声を上げてから、はっと口を(つぐ)み奥に案内した。


 エランの町の道々で目線を投げかけられることはあっても、皆、それが本当に精霊姫なのかという自信が持てずに目線を送るだけにとどまった。兵だけが、カルヴァスの姿を見つけると嬉しそうに挨拶をし、マリーエルの姿に背筋を伸ばした。


 店主は以前にグラウスの祭見物に行った際、カルヴァスの姿を見たのだという。


「職人の家からたたき上げでクッザール隊の副隊長にまでなるとは、憧れる者も少なくありません。カルヴァス殿がエランに滞在されていると皆噂しています。そして――」


 主人は遠慮がちにマリーエルを見つめると、頭を垂れた。


「精霊姫様。まさかこうしてお話する機会が訪れるとは。光栄なことです」


 そう言いながら、小箱を取り出しその中を見せた。上質な紙に押し花が包まれていた。


「これは精霊姫様十歳の生誕祭の時に撒かれた花です。残念ながらその時姫様の後ろ姿しか見えなかったのですが、これを記念に。この紙も乗って行った霊鹿と交換しちゃいまして。妻に怒られましたが、良い思い出です」


「そう言って頂けて嬉しいです」


 マリーエルが答えると、店主は恐縮しながらも光栄です、と繰り返した。


 代金は結構ですから、と次々に自慢の料理を運んでくる店主に参りながらも、魚を多く使ったエランの料理に舌鼓を打っていると、突然外の通りから騒々しい音と共に、悲鳴と怒声が上がった。影だ、と聞こえる。


 マリーエル達はすぐに通りに走った。周りの家々から武器を持った人達が飛び出し、道は込み合っている。


「クッザール隊カルヴァス・ルクトルだ! 道を開けろ!」


 その声に、道が開ける。


「あぁ、カルヴァス殿! 影を捕らえた所です!」


 筋骨隆々のエラン兵が、手にした槍で地に蠢く影を縫い留めている。影の欠片は、カルヴァスが歩み寄るより先に霧散した。


「随分小さい影だな。どこから沸いた?」


 それが、とエラン兵が答えようとした時、マリーエルは嫌な気配に意識を取られた。


 陽が照る道の先を、虚ろな目をした男が歩いて来る。服は薄汚れ、引きずる脚は不自然に曲がっている。


「あやつ……姫よ、判っておるな」


 マリーエルの帽子から顔を覗かせたアールが、耳元でチッと声を立てた。


「アンタはナビィの⁉」


 男の顔を見て驚きの声を上げた女が、次の瞬間にくぐもった悲鳴を上げた。恐怖が周囲に広がっていく。


 男が、声を上げた女の肩口に食らいついていた。民が武器を放り、男の体を引き剝がしにかかる。顔をのけぞらせた男の口には、女の肩口から噛み千切った肉片が覗いている。


 男がぶるぶると体を振ると影が飛び散り、民達が(おのの)き、手を放して後退した。


「やはり影憑きか⁉」


 兵達が壁際に追い込もうと武器を構える。


「止めて頂戴!」


 その時、ひとりの女が彼等を押しのけるようにして男の許まで駆け寄った。噛みちぎった肉片をぐちゃぐちゃと咀嚼する、虚ろな目の男を抱き締める。


「ナヴィ! よく見なさい! アンタの旦那はもう――」


 追いかけて来た女達が口々に言う。ナヴィはそれを鬱陶しそうに睨み付けると、男を手で示した。


「もう、何ですって? 彼は……アタシの愛しい人は帰って来た。さぁ、影を剥がして! そうすれば元通りになるんでしょう。誰か早――」


 そこまで言ったナヴィは目を見開き、切り裂くような悲鳴を上げた。


 掲げていた手に男が食らいついている。男は、あっと驚くナヴィに爪の割れた薄汚れた手を伸ばし、その髪を無造作に掴んだ。勢いのままナヴィは押し倒され、下敷きになった体が見えなくなる。覆いかぶさった男の体から影が溢れる。


「あぁ、くそ。行けるか、マリー⁉」


「うん……!」


 カルヴァスは頷くと、細剣を構えるカナメを一瞥し、「お前はマリーが集中出来るよう守れ」と言って駆けだした。一瞬呆けたカナメは、表情を引き締めるとマリーエルに視線で頷いた。


 カルヴァスはエラン兵の動きを読みながら剣を揮った。影は見る間に減り、男の姿が現れる。その下でもぞもぞとナヴィが抵抗しているのが見えた。


 マリーエルは深く呼吸をすると、気の流れに集中した。この地は水の精霊の気に満ちている。呼び掛けずとも応えてくれた。


「今じゃ、姫よ」


 力の奔出が放たれた。影憑きの男目掛けて水飛沫が飛び、うねりが身を包む。男の身の内に潜む影が洗い清められ流されていく。強風がそれらを吹き飛ばすと、静寂が訪れた。


 呆けたように立ち尽くしていたエランの民達は、ハッと我に返ると物言わぬモノと化した男の下からナヴィを引き出した。ナヴィは呆然と目を見開き、ただ男を見つめている。ずるり、と男の虚ろな目玉が地に落ちた。吹く風がそれを撫で、小さな粒子と変化させ運んでいく。ナビィは引きつった悲鳴を上げた。


「何をしたの! 誰よ! 影を剥がせば元通りになるって……アタシの……愛しい――」


 ナヴィは憎しみを込めた瞳で振り返った。周囲の皆を睨み付け、愛おしい相手を葬り去った者を探す。


「アンタ、まずはその手の手当てを――」


「黙れぇ!」


 ナビィは食いちぎられた手から血を(あふ)れさせたまま、乱暴に腕を振るった。暴れまわっていたナビィは、ついによろめくと、その隙に抱え込まれ、治療所へと運ばれていった。


 ひとりの女が歩み寄って来ると、マリーエルに頭を垂れた。


「姫様、すまないね。あの子はアイツが姿を消してから気を病んでしまってね。姫様がアイツを救ってくださったことをアタシ達は判ってる。本当に有難う」


「わ、私は……」


 マリーエルは上手く言葉を見つけられずにいたが、全て承知だとでも言いたげに女は温かい手でマリーエルの腕を撫でると、治療所の方へと走っていった。


「エラン城へ戻りましょう」


 アメリアがそっと言った。


 城へ戻ると、アメリアの淹れた茶を言われるままに一口飲んだ。海風に冷やされた体に、温かさがじんわりと広がっていく。ほっと息を吐いた途端、マリーエルの視界は滲み堪え切れなくなった。涙が溢れ、嗚咽が漏れる。


 体が柔らかく包み込まれた。顔を上げると、アメリアが優しい瞳で覗き込んだ。


「こういう時、貴女はぎゅーってしてって言ってくるのに。なかなか言って来ないんだもの」


「……成人したのに、そんな甘えたこと言ってられないよ」


 マリーエルは涙を拭った。泣いている暇なんてない筈だ。


「いいのよ」


 しかし、アメリアは柔らかく笑うと、僅かに腕に力を込めた。


「いいの。成人したって誰の支えも必要なくなる訳じゃない。私はこういうことでしか貴女の力になれないわ。だからもし、こうすることで貴女の力になれるならそうさせて頂戴」


 その温かさに、一度止めた涙は再び堪えることが出来なくなった。次々に涙が溢れ、アメリアの服を濡らしていく。


「俺は君がしたことに間違いはないと思う。影に憑かれてしまった以上、ああする事が誰にとっても救いになる」


 カナメが真剣な顔で言った。


 三人の視線が集まると、カナメは気まずそうに眉根を寄せる。その様子に、マリーエルは思わず微笑んだ。


「……うん、有難う。まだ何処か覚悟が出来てなかった。影を祓うだけが全てじゃない。それぞれの想いや事情があるってことを全然判ってなかった。でも、私、頑張るよ」


「その感じでいいんじゃねぇの。お前は十分頑張ってると思うし、そんなお前にだからこそ救われる奴は居るしな。――ほら、今は食え」


 カルヴァスはニッと笑うと、包みをマリーエルの前に差し出した。それは食事処の店主が、お食事中だったからと残りを届けてくれたものだった。


「もう、私はカルヴァスみたいに単純じゃないんです」


「そうかぁ? じゃあこれ食ってみろよ。旨いから」


 ほれほれ、と差し出すカルヴァスをアメリアが叱り、隣で包みを開いたカナメが淡々と食事を始める。その光景を見ながら、マリーエルは旅の意味を噛み締め、決意を新たにした。


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