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10話 旅立ち

 迅速に旅の支度が進められた出立の前夜、予定されていた葬送の儀を終えたマリーエルは、整えられた自室を見渡し、訪れる筈だった日々に思いを馳せた。


 精霊姫として生を受け、使命を果たすことを胸に過ごし、ただ精霊の歌を聴くのに優れている者として、歴代の精霊姫のように名を記すだけになるのだろうと。

 

 しかし、今それは実際にマリーエルの使命として動き出している。

 

 窓の外や廊から聞こえる慌ただしい喧騒は心を搔き乱した。逃れるように部屋を出る。

 

 人目を避けながら廊を歩き、気が付けば外れにある中庭に辿り着いていた。今は星々の光を受けるのも苦しくて、廊の隅に座り込み、ぽっかり空いた窓から星空を見上げた。


 遠くに喧騒を感じながら、大気に溶けてしまいたくなってくる。


 目を閉じると、葬送の儀の風景が蘇った。


 遺体は広間に静かに横たえられていた。花がまるで花畑のように手向けられ、その体を覆っていた。


 多くの者が息を潜めるようにして見守る中、マリーエルは祈りを捧げ、葬送の(ことば)をあげた。火の精霊の力を導くと、その気配は濃くなり、次第に膨らみ音を立てて爆ぜた。


 炎が上がり、横たえられた遺体を飲み込んでいく。熱風が吹き、バチバチという炎の音に、悲鳴と嗚咽が混ざり始める。器を離れた彼等の魂の気配を感じ、精霊の力がそれを気の流れに乗せ、世界樹まで還るよう導く。


 もし、精霊姫として成熟していたら。こうして器を壊す必要はなかった。全てが巡り、還ることが出来たのだ。いや、そもそも彼等が命を失うこともなかったのかもしれない。


 マリーエルは、塵となった彼等の器が風に乗るのを見つめた。


 激しく燃える炎の臭いと、熱さと、吹き抜けた一陣の風。残された人々の声。胸がつかえ、鼻の奥が痛む。


 息苦しさを感じて体を伸ばそうとしたマリーエルは、ふと近づいて来る足音に身を縮こめた。対面の廊からのようだ。途切れ途切れに聞こえる話し声から意識を逸らそうとしても、自然と耳に入ってきてしまう。


 動くに動けず息を潜めていると、その声がアメリアのものだと気がついた。駆け寄ろうとしたマリーエルは、しかしどうにも割って入れるような雰囲気でないと察し、動きを止めた。


「とても寂しく思います」


 クッザールの声だ。


「クッザール様のお気持ちは嬉しいですわ。ですが、私はマリーエルの世話役として彼女について行くことに迷いはありません。そして――」


 アメリアの緊張と気遣いを含んだ声が、言い淀んだ。


 クッザールが、声にならない声で呻いた後、息を吐き、ふっと笑った気配がした。


「私にこのようなことを言う資格がないのは判っています。そしてマリーエルは私の大切な妹です。――どうか、ご無事で。この想いが貴女を守りますように」


 そう言ってアメリアの手を取ったクッザールは、その指先に口づけを落とし、額を合わせた。


 窓の端からそれを目撃したマリーエルは、必死に胸の鼓動を抑え、息を詰めた。


 精霊国では親愛、敬愛を示す時、相手の手の甲に額を合わせる習慣がある。友愛を示す時は両手で相手の指先を軽く握る。そして指先に口づけを落とす場合、それは恋慕を意味する。


 お部屋まで送りましょう、という声が聞こえ、二人の気配が去って行くのを耳で追い、十分遠ざかったのを確認してから、マリーエルは混乱した頭のまま踵を返した。


 全く気が付かなかった自分に驚き、姉のように慕っている女性に実の兄が恋心を抱いていたということに混乱し、動転していた。


「何処に行ってたんだ、マリーエル」


 ふと呼び止められて飛び上がりそうになった。振り向くと、手燭を手にしたヨンムが怪訝そうな顔をして立っていた。


「ちょ、ちょっと散歩。落ち着かなくて」


「あぁ、朝、出立だからな。まぁいいやこれ」


 ヨンムは無造作に懐から何かを取り出すと、戸惑うマリーエルに押し付けた。包みを開き、よく見れば、細工の施された小さな手鏡だった。


「成人の祝いに渡そうと思っていたんだ。本来なら定期的に報告を貰ってゆくゆくは精霊国内で使用出来るよう整える筈だったんだけど」


「使用出来る……?」


「それは僕が今研究してるもので、離れた場所でも鏡を通して対話が出来る……筈のもの」


 マリーエルはまじまじと鏡を見つめた。細工は緻密だが、一見ただよく磨かれた鏡だ。


「まぁ今の所はお前程の力がなければ対話は出来ないのだけどね。それは元々一枚の鏡だったものを割った欠片のひとつ。お前が肌身離さず持っていればお前の気が流れて、力を持ち、呼び合う筈。……多分。僕の理論上はそう。まぁとにかく持っていてよ。旅の途中に使えるようになるかもしれないし、そうじゃなくてももし何かが起こったら、帰って来た時に知らせて欲しい」


 ヨンムは一方的に話し終えると、気まずそうに視線を逸らした。


 マリーエルは鏡を懐に仕舞い、ヨンムの空いた手を取った。


「ヨンム兄さま、有難う。成功をお祈りしています」


 ヨンムはぎこちなく口角を上げ、笑った。


「当たり前だよ。僕は絶対に研究を投げ出さない」


 ヨンムを見送り、自室に戻ったマリーエルは、寝台に横になり、浮ついた気持ちのまま眠りに落ちた。




 兵からの報告を聞き終え、王の間に戻っていたグランディウス王は、一冊の本を取り出し開いていた。王にのみ読むことが許されているという〈王の書〉に答えを求めるように目を落とし、暗い顔を浮かべる。


 この世界の安寧を取り戻すため旅立つ娘。


 精霊王に良き器と称される息子たち。


 怯える末妹を気遣う心優しき娘たち。


 妻に、忠臣に、守るべき民達。


 王の書の空白の頁を見つめる。


 王は過ぎった不吉な予感を払うように頭を振って、それを否定した。




 薄く朝日が照らし出した町外れ。ひと揃いの荷を積んだ霊鹿を前に、アントニオは今にも泣き出しそうな顔をしていた。そんな顔をしている自覚もなく、マリーエルの世話を焼いている。


 祓えの旅にアントニオは選出されなかった。それは彼の怪我の具合もあるし、彼の有する知識の為でもあった。


 その事実を知らされてすぐは、どうしてもお供するのだと勝手に荷造りまで始めていたが、国王直々に城へ残るよう命じられ諭されれば、従うしかなかった。


「手綱は離してはいけませんよ。アメリアが居るので心配は要らないかと思いますが、いついかなる時も姫であるという自覚を持つこと。判っているとは思いますが、その指輪を授かったということは――」


「おいおい、これから出立だってのに説教か? 餞別の言葉でも贈ってくれよ」


 呆れ顔で言ったカルヴァスに、アントニオは恨めしそうな目を向けた。帯同者に選ばれたカルヴァスへの嫉妬が漏れ出しているのに気が付いていない。


「貴方の腕だけは確かなようですから、その力を遺憾なく発揮されることを祈っています」


 それだけ言って、ちらと黙々と準備を進めているカナメを胡散臭そうに一瞥する。


 アントニオの知識では彼の出自に危険はないと判っているのだが、それでもどうしても受け入れがたい相手なのであった。それはつまり〝悪い虫〟というような。


 マリーエルに視線を戻したアントニオは、再び眉を下げた。


「ヨンム様が研究されているという鏡ですが、私もその研究に加わることとなりました。そうすれば鏡を通して貴女の力になれるでしょう。私に訊いて頂ければ何だって判りますからね。ですから……その……」


 アントニオが珍しく口ごもった。


 マリーエルは不安を押しやって彼の胸の中に飛び込んだ。困惑していたアントニオはすぐに抱き返すと、幼い頃そうしていたように優しく頭を撫でた。


「姫様、どうかご無事で」


「待っていてね」


「勿論です」


 アントニオは跪くと、マリーエルの手を取り、額を合わせた。


「そろそろ出発しましょう」


 様子を見守っていたアメリアが静かに言った。


 霊鹿に乗り、皆の顔を見回す。


「行こう」


 霊鹿が歩き出すと、少しずつ生まれ育った町は遠ざかっていく。


 その時、角笛の音が遠く聞こえて来た。それはマリーエル達の出立の為に鳴らされたものだった。


 森の入り口まで進んでから振り返ると、グラウスの町を背景に、アントニオがじっと見送っていた。


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