9話 世界樹の声を聴く者
「件の者を捕らえました」
広間へと駆け込んできた兵の言葉に、カオルが頷き、国王とクッザールと顔を見合わせた。
「連れて来たまえ」
すぐに廊から三人がかりで一人の青年が引き出された。手枷をされ、跪かされた青年は、不服そうに皆を睨み付けている。精霊国では見られない織物の衣服を纏い、そこから覗く腕や首筋には彫り紋様が見えた。
兵の一人が「この者の所持品です」と細身の剣を掲げ見せた。カオルとクッザールがそれを検分し、青年を観察しながらゆるりと立ち上がった国王にそれを手渡す。
「さて、どうしたものか」
剣を見やりながら、国王は青年を見下ろした。
「これは炉の国で造られたものではないな。随分と細身だ。一体、何処から来たのだね?」
国王の問いに、青年は無言で返した。
精霊国で使用される剣は、国内の職人か、炉の国の民が造ったものが殆どだ。
国内では主に、火山を有するフリドレード地方で造られている。
炉の国の民は古くより武器造りを生業とし、炉と共に生きる。かつて英雄グランディウスも炉の民の造った剣を携えて世界を旅したという。
青年の剣は、炉の国で造られるものよりずっと細身の刀身を持ち、目を凝らさねば見えぬ程の紋様が見て取れた。それは、光を冷たく返すが、見る角度によっては光を通しそうだった。
「これは茶飲み話ではない。民を守る者として、不審な者は質さねばならない。何処から何をしにこの地を訪れたかは知らぬが、それが理解出来ぬ訳ではあるまい?」
無言を貫く青年に、国王は威厳ある王の眼差しを向けた。
成り行きを見守っていたマリーエルの隣へカルヴァスが歩み寄ってくると、胡散臭そうに青年を見やりながら耳元で言った。
「影の浸食を受けないんだとよ」
そう言いながら、ちらと細身の剣に視線を向けている。
「それは……生きてるからじゃなくて?」
マリーエルの言葉に、カルヴァスは益々不信感を募らせた顔をした。
「違ぇよ。影はアイツを襲わないし、その影響も受けないってこと。影憑きってことでもない。この国に来た目的を言わないし、質した兵を打ち倒して逃げた。何がしたいんだか訳わかんねぇぜ」
マリーエルは思案しながら青年を観察した。夜霧色の髪の隙間から、海に沈む灰色の瞳が覗いている。捕らわれた時に負ったであろう、手当てを受けていない肩の傷が痛々しかった。
黙り込んでいた青年がふと目を上げ、マリーエルに目を止めた。驚いたように目を見開くと、眉間に皺を寄せ、思案するように口を引き結ぶ。
カルヴァスがさっとマリーエルを隠すように前に立ち塞がった。
「……見えない」
「見なくていいだろ」
マリーエルはカルヴァスの背から青年の方を覗き見た。海灰色の視線は、未だ探るようにマリーエルに注がれている。マリーエルはそろそろとカルヴァスの背の後ろに戻った。
「その紋様、全身に彫られているな?」
卓上を駆け青年の許へ跳んだアールが、跪く青年の足元でふんぞり返った。
「何だ、お前は……!」
心底驚いた顔をした青年は、警戒を露わにして身を引いた。アールがチッチッと鳴く。
「ふん、この儂を知らぬとはな! しかし、儂の考えが正しければお主が知らぬのも当然じゃろう。かの地に儂の眷属はおらぬからな。しかし、敬うことを忘れるな! 剛勇な森の戦士、またはアールと呼ぶことを許そう!」
アールは青年の反応を待たずにその体を駆けのぼり紋様を観察すると、頭上に座り込み得心が言ったように頷いた。
「これはある部族が……いや、その中でも一部の者――そう、長のみに許された言葉じゃな」
黙り込む青年の髪を掴み、どうなんじゃ! とアールは答えを急かす。
「……そうだ。誰もが使えるものではない」
青年は不愉快そうに顔を歪め、掴まれた髪を手放させる為に頭を振った。頭上で激しく揺さぶられたアールは宙でくるりと回り、「乱暴者!」と甲高い声で叫んだ。
青年は、皆の顔をじろりと睨み付け、静かだが怒りを滲ませた声で言った。
「何故、このような扱いを受けなければならないんだ」
その問いに、誰も答えない。クッザールが静かに前へと出た。
「あの影が何か知っているだろう?」
そう訊くと、青年は眉根を寄せた。
「知る筈がない。こちらこそ訊きたいぐらいだ。そもそもあの影に襲われている者がいたから手を貸しただけなのに、斬りかかられ、追われ……俺が一体何をしたというんだ。この国では人助けは悪事なのか」
クッザールが問うような視線を兵に向けると、もごもごと口を動かしたまま何も言わなかった。
「だが、影の浸食を受けないというのは奇妙だ。そのような状況で影が何かを知らぬだと? 当然、関与を疑われて然るべきとは思わないか」
カオルが言うのに、青年は不快そうに目を細めただけだった。
小さい腕を組み、考え込んでいたアールが小首を傾げながら口を開く。
「彼の部族の由縁かのう。こやつの部族では世界樹の声を聴くという」
「彼の部族?」
カオルの問いに、アールは部屋の中を見回すと、舌打ちをした。
「知識の器はおらんのじゃったか。器を失ってしまうだなんだと知識の奴が狼狽しておったわ。まぁ、よい。確か複数の瞳を持つと聞くが──」
アールは、チッチッと鳴いてから青年の顔を覗き込んだ。
「お主はあの地で生を受けた者ではないな? 何じゃ……この匂いは? 儂には覚えがない」
その言葉に、青年は難しい顔をした。
「あの地で育ったのは間違いない」
「じゃろうな。でなければ、この紋様を得ることもないじゃろう」
カルヴァスの後ろから様子を見守っていたマリーエルは、再び青年と目が合い、ハッとしてカルヴァスの背にしがみついて隠れた。
「何故、彼女を気にする?」
クッザールが訊いた。
青年は、たっぷりの沈黙の後、再び顔を出したマリーエルの髪と瞳を疑わしげに見比べた。
「えぇと、この髪と瞳が珍しいかもしれないけど――」
「お前は黙ってろって」
カルヴァスがマリーエルを背後に隠すように押し返す。
「違う。長の卜占はこのことだったのかと思っただけだ」
青年が静かな声で言った。
「卜占?」
場の緊張感が削がれ、新たな疑念が生まれる。精霊国では精霊の歌を聴き解す為、占いの類は遊び程度にしか信じられていない。
「卜占……それを頼りにここまで来たというのか?」
クッザールが疑わしげに訊く。
「違う。ここに来たのは長に言われたからだ。長は世界樹の声を聴き、俺に精霊国へ向かえと言った。そうしたら卜占通りの少女が居た。君は何者なんだ」
「待て。その卜占とは?」
クッザールの問いに、青年はじれったそうに身をよじった。
「俺の集落では幼い頃に長より卜占が成される。そこに『花と光を宿す少女』という文言が出てくるんだ。それは恐らく、君だ」
青年に真っ直ぐに見つめられたまま、マリーエルは言葉を返せなかった。えぇと、と言い淀むと、青年はゆるく頭を振った。
「理解してくれとは言わない。これは俺の為に成されたものだ。俺達はこの卜占をなぞるように生きる。生きていればいずれ答えを知ることとなる」
ふぅん、と唸ったアールが小首を傾げた。
「その卜占の内容を聞いても良いかのう?」
目を瞬いた青年は、小さく頷いた。
「聞かれて困るものでもない」
そう言って、卜占の内容を誦し始めた。
滓が凝り器は満たされる
開きし箱に血を受けし娘
剣となりて貫かん
花と光を身に宿す娘
歌い誘う
ひとつに痛み、ひとつに安寧を
二つの世界を抱く娘
その手に委ね
ふたつをひとつに
ひとつをふたつに
滓の求む光やいずこ
「聞いてみたところで儂にはさっぱり判らんが」
聞き出しておいて無責任なことを言い出したアールは「しかし世界樹の声か」と唸った。
「初代グランディウスも、さる部族から世界樹の声を託されたという」
ふいに、国王が言った。
「この者がその部族の者だと?」
カオルが言うと、国王はたっぷりと考えてから頷いた。ちらとアールを見やり、もう一度自身を納得させるように頷いて見せる。
「世界樹の声を聴く者が共にあれば、判ることもあるかもしれぬ」
「この者をマリーエルの旅に同行させるということですか」
信じられない、とばかりに眉を顰めたクッザールに、国王は難しい顔で沈黙した。
やり取りに耳を傾けていた青年が、膝でマリーエルの許へとにじり寄るようにしてから、真剣な顔で言った。
「すぐに信用して貰えるとは思っていない。剣の腕には自信がある。護衛として信頼を勝ち得ようと思う」
青年は真っ直ぐにマリーエルを見つめた。その視線を遮るようにカルヴァスが前に進み出た。
「何勝手にその気になってるんだよ」
カルヴァスが怒気を含んだ声で言った。難しい顔をしたクッザールが、剣を抜きかけたカルヴァスを手で制す。張りつめた空気に皆、黙り込んだ。
マリーエルは青年の様子を伺った。この空気の中で一心にマリーエルを見つめ、それはまるで、生へと縋りつこうとしているように見えた。命乞い、という訳ではない。もっと根本的な、願いとしてのそれだった。
マリーエルは立ち上がると、カルヴァスの脇を抜けて青年に歩み寄った。
「マリー、待てよ」
動揺し、咄嗟に腕を掴んだカルヴァスに笑顔で小さく首を振ると、マリーエルはその手を解き、青年の前に屈みこんだ。
「私はマリーエル・グラウス・ディウス。貴方のお名前は?」
マリーエルの言葉に、青年は不意を突かれたように目を瞬いた。しかし、すぐに表情を引き締めると、深く頭を垂れる。
「俺の名はカナメ。〝繋ぐもの〟という意味だ。俺は卜占の意味を知りたい。その為に君の許しを得られるならば、側に置いてくれないだろうか」
「うん、良いと思う」
マリーエルの返答に、動揺の声が上がった。
「いや、何でそうなるんだよ!」
カルヴァスの声に、マリーエルは小首を傾げてカナメの瞳を覗き込んだ。
「うーん。あの影みたいな冷たい感じも嫌な感じもしないし。それにお父様もアールもカナメが一緒に来るのはいいかもしれないって考えてるんでしょ? 卜占……には私に関する言葉が出てくる。それが何故なのかは私も知りたい、かな。一緒に居れば判るんでしょう?」
「いや、だからって得体が知れない奴なんて……危険は影だけじゃないんだぜ」
カルヴァスが言うと、国王が「確かにそうだが」と言った。
「しかし、今この時にこの者が現れたのは、世界樹の意思なのかもしれぬ」
王の言葉に、皆思案するようにカナメを見つめた。
慎重な話し合いの後、結局カナメはマリーエルの旅に同行することとなった。旅の性質上、臨時の隊は少人数で編成され、他にカルヴァスとアメリアの帯同が決まった。
あまりに大きな隊を動かしては、他の面倒事が起きかねない。事実、現状では影の対処に割く人員が十分であるとはとても言えず、予測出来る問題は避けて通るべきだった。
「マリーエル・グラウス・ディウス。こちらへ」
父王に呼ばれ歩み寄ると、王は温かい手でマリーエルの手を包み込んだ。
「使命の為旅立つ者に、贈り物をさせて欲しい」
そう言っておもむろに人差し指から指輪を抜くと、マリーエルの手のひらの上に乗せ、握らせた。グランディウスの紋が入った指輪だ。
「これは――」
マリーエルが驚きに指輪を見つめていると、後ろに控えていたクラヴァットが「差し出がましいですが」と眉間に皺を寄せて口を挟んだ。しかし、王はそれを手で制すると、マリーエルの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「判っておる。これはグランディウスの名を継ぐ者が手にしもの。しかし同時に誓いの指輪でもある。グランディウスの力の象徴を示し、この世界を安寧へと導くもの。姫は――マリーエルは、今その為に旅立とうとしている。この指輪を授けるに相応しい。そうだろう?」
国王は第一継承者カオル、第二継承者クッザールに目配せした。二人は殆ど迷いなく頷き返し、クラヴァットはそれ以上の口出しを止め、大人しく引き下がるしかなかった。
指輪を授かるということは、グランディウスの名をも背負うということ。
マリーエルの指には、それは随分と大きかった。しかし、父王からの信頼に応えねばならない。
迷った末にそれを親指につけると、マリーエルは深く頭を垂れた。




