3話 浜に揚がったモノ
「姫様、起きられますか」
少し焦りを含んだアーチェの声に、マリーエルは目を覚ました。
「あれ、どうしたのアーチェ……今日はお昼過ぎに食事会が──」
窓から入り込む陽の光は、まだ柔らかい。
「少々問題が起きたようです」
「え、問題?」
体を起こしたマリーエルに、アーチェは手際よく身支度を済ませた。
続きの間に入ると、皆が窓から外を眺めて話し合っていた。
「何があったの?」
マリーエルの声に、カナメが振り返った。
「巨大生物が浜に揚がったんだ」
「え……?」
世界樹の枝葉の祓いに大陸へと旅立った時、炉の国までの船旅で襲撃に遭った正体不明の巨大生物。この所被害はないと報告を受けていたが、それが浜に打ちあがったというのか。
慌てて窓から浜を見ると、浜には人だかりが出来ていた。人だかりに囲まれるようにして、小山のような巨大生物が横たわっている。その体には網が掛けられ、エランの民が沖から浜へと引き揚げたのだと判った。
この場から見れば、まるまると太った魚にしか見えないが、周囲のエランの民と比べるとあまりに巨大だった。加えて、普通の魚にはない筈の、陸の命在るモノのような腕が生えているのが不気味だった。
「おい、お前等、実際に見てくるから此処で──あぁ、マリー起きたのか」
部屋に飛び込んできたカルヴァスが、こめかみを押さえながらマリーエルに視線を向けた。普段よりも機敏さの失われた足取りで、部屋に置かれた剣を手に身支度を整えている。
「カルヴァス、もしかしてお酒が残ってるんじゃ……」
「あー、まぁな。今日は此処らの誰もこんな調子だよ。祭の次の日なんだからな」
カルヴァスは水瓶から水を汲むと、一息にそれを呷った。
「コイツ起こしたの、僕」
インターリがニヤニヤしながら言うのに、カルヴァスは「はいはい、有難うな」とあしらってから、カナメに向き直った。
「ひとまず、オレが見てくる。こっちはお前に任せる」
「判った。……本当に、大丈夫か」
カナメの気遣うような声に、カルヴァスは手をひらひらと振った。
「確認してくるだけだから、平気だって。ぞろぞろ大勢で見るものでもないしな──そんじゃ、行ってくる」
カルヴァスはそう言って部屋を出て行った。
窓から覗いていると、暫くの後に火色の頭が浜を進んで行くのが見えた。エラン兵と並んで巨大生物へと向かって行く。
「でも、何で急に……」
「漁の成功を祈るって言ったって、随分な大物だよね」
もう既に興味を失いつつあるインターリが、窓枠に頬杖を突きながら言った。
「確か、姫様方はアレに遭ったことがあるのですよね」
「うん……あの時は船にあった雷撃石で退治したんだけど……。あの巨大生物って何処から来たんだろう。インターリとベッロは聞いたことある?」
マリーエルが訊くと、ベッロは小首を傾げてからゆるりと振った。インターリも、浜からちらと視線を移し「ないね」と答えた。
「〈鬼〉とは違って、噂を聞いたことはないよ。まぁ、今はどうか知らないけど。こういうのは、むしろアントニオだったり、アンタの兄さんの方が詳しいんじゃないの。あの発明兄さん」
「そう、だね……」
マリーエルの四番目の兄であるヨンムは、華発の国国王ジョイエルスと様々な発明品の共同開発をしている。鏡話を使っての連絡も多く取っているから、今大陸の情報はヨンムと、知の者であるアントニオの許に集まってると言って良い。しかし──。
「アントニオ、大丈夫かな」
マリーエルは眉を寄せ、エランに発つ直前のことを思い返した。
ある時、アントニオは突然うわ言を口走り、倒れてしまった。数刻その状況が続いたが、意識を取り戻した後も酷い頭痛などを抱え、今でも臥せっている。
医術師によれば、これは病などではなく、知の精霊の力によるものだろうとのことだった。アントニオ自身、未だ何が起きているのか判らないらしく、〝判らない〟ということに対しての不安や戸惑いを抱えたまま、臥せっているしかない状況だった。
アントニオが知の精霊に呼び掛けてみると、これは〝知の洪水〟であり、知が落ち着き定まるのを待つしかないと告げられた。そう告げた知の精霊自身も、激しく動揺し、それ以上を語ることはなかった。
知の精霊の力は、マリーエルが触れることの出来ない程に混乱の中にあった。
「影の出現以来、この世界はあらゆるモノが形を変えている。恐らく、あの巨大生物もそういった類のものなのだろう」
カナメの言葉に、マリーエルは頷いた。
影憑きでさえ、命在るモノの器を思いのままに操る法を得ている。巨大生物は、深淵の女王が現れるのと前後して命世界で目撃されるようになった。関連があるのは間違いないだろう。
「ねぇ、アレが影憑きってことはないんだよね」
「……え?」
インターリの言葉に、マリーエルは目を瞬いた。
「だからさぁ、今まであんなの居なかった訳でしょ。だったら、アレも影憑きなんじゃないのって」
「確かに……」
浜に打ち揚がった巨大生物に目をやったマリーエルは、じっと見つめ、首を振った。
「でも、そんな感じはしない……アレは多分……この命世界のモノ」
「だとしたら──」
考え込んでいたカナメが、僅かに緊迫感のある顔で続けた。
「影に侵されることもあるんじゃないのか」
ハッと顔を上げたマリーエルは、皆の顔を見回し言った。
「行こう。何かあったら、浜に居る皆が危ない」




