第83話「家系と居場所」
ページをめくるたび、紙の繊維が指先にこすれ、乾いた音を立てた。
茶褐色に変色したページには、細かな活字と不揃いな朱の書き込みがぎっしりと詰まっている。
僕は呼吸を潜め、視線だけを走らせた。黙読がゆっくりと、けれど確実に、胸の奥を熱くしていく。
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そこに記されていたのは――
「森下家」の始まりは西暦191年5月。
この月、東海の中央のとある町で、1人の男が叫んだ。
乾いた紙に活字が浮かび上がるように、僕の脳裏に“その場”の気配が立ち上がる。
埃っぽい広場、風に揺れる布、ざわめく人垣。
そして、若い叫び声。
「京の『山野家』は我らを餓死させようとしている。
今年も農作物は不作し、餓死者は増加した。
それなのに、山野家や山野家を従っていた家来は今何をしているかわかるか!!?
……有利な生活をしているんだよ!!!!
朝起きたら豪華な朝食を食べ、羽根つきやかるたをし、生け花を飾ったりする。
そんな生活を毎日している!!!
皆はどう思う!!!?
こんな生活をしている『政府』を許す者はいないだろう。
なら、我に続け!!!
我に続けば、必ず『政府』を討つことができる!!!
さぁ!!!今決めろ!!!
『我に味方するか!!!』『我に味方しないか!!!』を!!!」
読みながら、手の中の紙が少し震えた気がした。
文字が火花のように弾け、人の胸を撃ち抜く。
そこへ、次の行が続く。
近くで聞いていた農民や一般市民、下級武士たちは答えを口にした。
「私はあなたに味方する!!」
「ワイも!!!命を掛けても『山野家』を討ちます!!!」
「私は女だけど…戦ったことはない…でも、何か力になれば手伝います!!!」
「畜生!!!『山野家』め、下級武士を差別しやがって…今に見てろ!!!」
反対はひとりもいない――と記されている。
飢えの中でも、人は炎を持てる。
行の間からそんな熱が立ちのぼる。
しばらくしてその男は、とある言葉を口にした。
「我の名は『森下源五郎』!!!
この世界の『すべて』を知りたい男!!!
『勝者は東にあり!!敗者は西にあり!!』
今すぐにでも『京』で反乱を起こす!!!
皆の者、良いか!!!!?」
“勝者は東にあり、敗者は西にあり”。
どこかで聞いた、血が騒ぐ合図だ。
ページの向こうで、人々の喉が裂けるほどの歓声が上がる。
皆、餓死寸前の中でも、「声」を出した。
まるで、空腹がなかったかのように人々は皆、団結した。
源五郎は微笑んだ。
「国を変えたい」「世界のすべてを知りたい」
この2つの目標を子供の頃から立てていたのは源五郎自身だけだろう。
まだ16歳。
成人になってから約2年しか立っていない少年。
その少年が一瞬にして、「人々を従えた」。
十六にして、世界を背負うと宣言した少年――森下源五郎。
僕は無意識に唾を飲み込む。
この紙に刻まれた文字は、ただの過去ではない。
今を引っ張る鎖のように、僕の指に絡みついてくる。
源五郎や従った人々は、武器を持ちながら、各地で色々な人々を従い『京』まで目指していった。
東海の西、近畿の南の人々を従えていった。
源五郎に従った人々は、組織名を『反山野家派』とした。
“反山野家派”。
名前は単純だが、切実な意志がにじむ。
そして――
191年6月中旬。
源五郎率いる『反山野家派』の人々は、山野家の本政府場所『京』に到着した。
到着した際、源五郎はこう言っていたといわれている。
「いいか…お前ら。
我らが時代を変える時が来た。
ここからは、命を『買う』ことはできない。
我らは命を掛けて、敵に『売る』ことになる。
……皆の者!!!!この戦、勝利するぞーーー!!!」
“命を買うことはできない。敵に売ることになる”。
言葉の重さが胃の底に落ちる。
彼らはその覚悟を叫びで共有し、いよいよ火蓋が切って落とされた。
そして、戦の火蓋が落とされた。
源五郎率いる『反山野家派』と山野家やその家来、『零の刀団』率いる『山野家派』が翌年の西暦192年1月中旬まで、『京』を中心に起こった反乱。
この反乱は後に**『京の乱』**と呼ばれた。
“零の刀団”。
刃の冷たさが文字から滲む。
ページの端に墨で描かれた古い刀の素描が、薄く影を落としていた。
西暦192年1月中旬。
この戦に勝利した『反山野家派』の本隊長『森下源五郎』は『京』で新たな政府を設立した。
新たな政府の設立と同時に、日本の『権力』が、森下家に変わったのだった。
行はそこまでで、ぷつり、と切れていた。
次のページへ指を滑らせる――が、紙が、ない。
綴じ糸が露出し、後半は“破り去られて”いた。
僕はゆっくりと息を吐いた。
紙の匂いに混じる、金属と埃の匂い。
静かな部屋の中心で、時間だけが止まっている。
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「……ここまで、か。」
僕は閉じられた本を胸に当て、部屋の片隅を見た。
床ににじむ薄いシミ。
さっき感じた“生臭い匂い”は、きっとこの部屋がただの保管庫ではなかった痕跡だ。
――けれど、今の僕に必要なのは、匂いの意味じゃない。
情報だ。
名前だ。
繋がる線だ。
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「森下家にこんなことがあったなんて……でも……亮さんの名前はなかった……」
声に出した瞬間、胸の内側がからんと空洞の音を立てた。
予想はしていた。
けれど、期待もしていた。
この紙束のどこかに“森下亮”の文字が現れて、すべてが線で結ばれることを。
書かれていないのは、僕が悪いわけじゃない。
この資料に“すべての事実”が欠けているのが悪い。
――そう言い聞かせることで、やっと足の震えを止めた。
本をケースの上へ戻し(割れたガラスが、かすかな音を立てた)、僕は踵を返した。
資料室を出て、中央のホールへ戻ろう。
少なくとも、東側は洗い終えた。
扉に手をかけた、そのときだ。
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頭の奥で、低く冷たい声が蘇った。
あの地下研究所の、最期の別れ際――
「この世界に、『俺のすべてを知っているクソジジィ』がいる。
そいつを見つけろ。そいつを……必ずな」
足が止まる。
こめかみがわずかに脈打つ。
僕しか知らない言葉。
“居場所”へ続く唯一の糸。
――なのに、手繰るべき方向が、どこにも見えない。
「場所なんかわかるはずないのに探しても……意味ないじゃん……」
吐き出した言葉は、情けなく床に落ちた。
けれど、それが今の等身大の僕だ。
目の前にぶら下がる扉は、どれも鍵がかかっている。
鍵穴の形すら見えない。
僕は額に触れ、深く息を吸い込む。
酸素が肺に入ってくるだけで、少しだけ頭が冷える。
東側の捜索は、終わった。
成果は――「森下家の骨格」だけ。
亮さんへ直結する一本の線は、見つからなかった。
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扉を開け、長い廊下に出る。
石畳に靴音が返ってくる。コツ、コツ。
遠くの西側から、久野さんと岡本さんの声が微かにして、すぐに消えた。
彼らも彼らで、手の中に何かを掴もうともがいているのだろう。
中央のホールへ戻ろう。
小暮隊長が待っている。
小野さんが眠っている。
そこに戻らなければ、僕の“今”は保てない。
歩きながら、もうひとつの声が脳裏をよぎる。
あの白い無音の世界で、蒼い瞳の少女が告げた“助言”。
リリィの助言――教会を捜索する。
僕は上を仰ぎ、息を細く吐いた。
「リリィの助言は……本当なのか? 嘘なのか?」
わかったことは、あまりに少ない。
紙の山は、過去の炎だけを残して、現在への道筋を示してはくれない。
もしかしたら――騙されたのかもしれない。
そんな黒い囁きが、背後から服の裾を引いた。
それでも、足は止めない。
疑いと希望は、いつだって背中合わせだ。
信じるという行為は、何かを掴んだあとにするものじゃない。
“掴みに行く”前に、先に胸の中へ灯すものだ。
コツ、コツ。
中央へ続く廊下の音が、規則正しく戻ってくる。
扉の向こうに灯りが見える。
僕は拳を握り直し、ホールへ向かった。
――“家系”は見えた。
――“居場所”は、まだ遠い。
それでも、進むしかない。
To be continued




