第81話「教会探索前2」
息を整える。
胸の奥まで入り込んだ空気は、外の焦げ臭さとは違い、教会の前では奇妙に澄んでいた。
背後には、まだ遠くで黒煙が上がり続けている。
その煙が、まるで背中を押すように僕をこの建物へと向かわせていた。
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「教会の中に入り捜索すれば何かがある」
――リリィの言葉が、脳裏で静かに反響していた。
助言、というより命令に近い響き。
僕はそれに従うと決めていた。
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入り口の前で足を止める。
両開きの木製扉は、古く、重そうで、表面に細かい傷や手の跡がいくつも刻まれていた。
ここに至るまでに何人が出入りし、何人が帰ってこなかったのだろう。
扉の向こうに、ゾンビが群れを成しているかもしれない。
あるいは、積み重なった死体が教会の床を埋め尽くしているかもしれない。
――だが僕は、「一歩も引かない」と心の底で決めた。
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手を伸ばし、扉に触れる。
木の冷たさが指先から腕へと伝わり、その重みを感じる。
ぎぃ……と、低く軋む音が、室内へと通じる隙間から漏れた。
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扉を押し開けると、そこにはテレビや映画で何度も目にした“典型的な教会”の光景が広がっていた。
だが、それはどこか現実離れしていた。
さっきまで見ていた焦げた金属や血の匂いが、この空間ではほとんど感じられない。
代わりに、古い木と紙の匂い――そしてほんのわずかな埃の香りが漂っていた。
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左右には長く連なった横長のチャーチチェア。
その背もたれには整然と聖書が並び、どれも使い込まれて紙が少し波打っている。
奥には高い説教壇があり、その背後の壁には巨大な十字架。
外の惨状とはあまりに対照的な、静謐な空気が満ちていた。
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だが、遠くの説教壇の前で、誰かが手を振っているのが見えた。
反射的に僕は歩き出す。
チャーチチェアの間を抜けながら、視界が少しずつ明るくなる。
そして――
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そこにいたのは、見覚えのある顔ばかりだった。
チャーチチェアの上には、小野さんが横たわっていた。
顔は蒼白で、呼吸は浅く、昏睡状態のまま動かない。
その傍ら、説教壇の前には小暮隊長、久野さん、そして岡本さんの姿。
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「小暮隊長! 久野さん! 岡本さん! 生きてたんですね……よかった!」
息が少し上ずった。
この瞬間だけは、外の惨状を忘れられた気がした。
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「坊主も生きていてよかった……だが、すまないな。」
その声は、低く、どこか自分を責めるようだった。
彼は僕をまっすぐ見てから、視線を小野さんに向ける。
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「私が少女の方を優先したせいで……お前を見逃してしまった。」
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「大丈夫です。今、一番危ないのは小野さんの方ですから。」
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小暮隊長はしばらく黙って僕を見て、それからわずかに口元を緩めた。
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「そうだよな……だが、すまなかったな、坊主。」
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岡本さんが口を挟んだ。
相変わらずの鹿児島弁が、この場の緊張を少し和らげる。
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「隊長……これからも気をつけた方がいいでごわすよ。確かにあの少女を優先するのはわかりもす。じゃっどん、他の生存者のこともかんぐいがよか。」
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「おいおい岡本! 隊長相手に鹿児島弁全開じゃ、何言ってるかわからんだろ。普通に話せ!」
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「あ、し、失礼した! 久野!!」
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僕はそのやり取りに少し笑いそうになったが、小暮隊長は手を軽く上げ、場を収めた。
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「わかった、わかった……お前らの言いたいことは十分にわかった。――それより、私の話を聞いてくれ。」
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僕と久野さん、岡本さんが一斉に隊長へ顔を向ける。
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「これからお前らには、この教会全体を探索してもらう。」
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「ええーーっ!? なんででごわすか、隊長!?」
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「手がかりでもあるんですか?」
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「正直、私にもわからない。だが……何かあるはずだ。
手がかりを見つけるか、捜索が終わり次第ここを脱出する。もうすぐ軍用ヘリが到着する。その間に動け。」
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「……了解でごわす。」
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「私は少女を見張る。くれぐれも慎重にな。」
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久野と岡本は声を揃えて「はい!」と答えた。
その響きが、高い天井の奥まで反射して消えていった。
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僕は一歩下がって、改めて教会の内部を見回した。
静かすぎる。
外の炎や叫びがまるで別世界の出来事のように、分厚い壁に遮断されている。
それがかえって、不気味だった。
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リリィの言葉――
「教会を捜索する」
この場所に、彼女がわざわざ告げるほどの「何か」が眠っているのか。
その正体が何であれ、見つければ事態は動く。
けれど、そこにたどり着くまでに何が待っているのかは、誰にもわからない。
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僕は心の奥で、小さく呟いた。
(……リリィ、本当にここでいいんだな?)
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こうして、教会探索が始まろうとしていた。
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To be continued




