第79話「リリィの助言」
あの瞬間――あの、耳を裂く金属音と骨を砕く衝撃が車体を襲った瞬間、
僕は確信していた。
ああ、これはもう助からない。
視界は暗転し、世界が音を失った。
重力の感覚も、痛みの感覚すらもどこか遠くに押しやられていく。
まるで、自分の身体がゆっくりと水の底へ沈んでいくような、そんな感覚だった。
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僕は、その底なしの暗闇の中で謝罪していた。
誰にでもなく――いや、確かに誰かに。
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小野さん……
助けられなくて、ごめん。
「僕が必ずあなたを助ける」
そう、胸を張って言ったのに。
言葉だけで、何も出来なかった。
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みんな……
ごめん。
僕がみんなより先に逝くなんて、自分でも情けないし、恥ずかしい。
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博士……
もっと話したかった。
あの時の研究のことも、インフィニティのことも……。
でも、結果はこのザマだ。
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謝罪の連鎖が、心の中で止まらない。
そんな自分を、どこか冷めた視点で「本当に僕らしいな」と見下ろす別の僕もいた。
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やがて、僕の思考は「死」のその先へと滑り込んでいく。
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天国と地獄――
もし死後の世界が本当に存在するのなら、僕はどちらに行けるのだろうか。
天国なら、虹の橋を渡り、優しくて親切な人たちに迎えられるだろう。
温かい食事と、柔らかいベッド、穏やかな笑顔。
「もう怖くないよ」と肩を叩いてくれる誰か。
だが――僕は人を殺している。
ゾンビ化していようと、元は人間だ。
その事実は消せない。
ならば、行き着くのは地獄だろう。
炎と絶叫と血の匂いの中で、永遠に責められる。
そう、僕は――天国には行けない。
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そう思った、その時だった。
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闇が、突然、色を変えた。
真っ黒だったはずの世界が、ゆっくりと、しかし確実に白に染まっていく。
雪のような白ではない。
それは色彩の概念すら拒絶するような「無機質な白」だった。
天井も床も、境界すらもない。
方向感覚も、重力の感覚も、すべてが消え去っている。
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音はない。
風もない。
感覚すら、研ぎ澄まされすぎて無音に溶けている。
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――知っている。
この光景を、僕は「前にも」見たことがある。
「あ……これ……まさか……」
思い出しかけた、その時だった。
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コツ、コツ、コツ……
乾いたヒールの音が、真っ白な無に反響した。
その音は遠くから確実に近づいてくる。
やがて、白い靄の向こうから小柄な影が現れる。
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帽子の先に金色の意匠。
肩を包む黒いマント。
裾を縁取る金緑色が、まるで古い聖堂のステンドグラスを切り取ったように煌めく。
そして、深い蒼色の瞳。
真っすぐに僕を見つめる眼差しは、優しくも、何かを見透かすようでもあった。
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「……リリィ……? 本当に、リリィなのか……?」
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彼女は微笑んだ。
「そうよ。私はリリィ。これで……二回目ね」
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「なあ、リリィ……僕は……死んだのか?」
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リリィは一瞬だけ表情を曇らせ、
次の瞬間――
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(。>﹏<。)
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まるで少女漫画の登場人物のように両手で口元を押さえ、顔を赤らめた。
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「え? な、なんだよその顔……?」
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僕は視線を下に落とした。
……そして、すぐに理解してしまった。
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「えっ……(。>﹏<。)!? な、なんで僕……すっぽんぽんなんだよ!?!?」
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リリィは堪えきれないように小さく笑った。
「フフ……たまに起こるの。夢の中での現象よ。気にしないで」
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「気にするなって……無理だろ……」
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羞恥と困惑が入り混じったまま、僕は彼女の言葉を待った。
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リリィは真顔に戻り、ゆっくりと言った。
「太一君に……いくつか、助言を話してあげる」
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「助言……?」
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そう言われても、僕の中で疑問しか浮かばなかった。
この世界は夢か死後の世界かすら分からない。
なのに、未来の助言? そんなの信じろという方が無理だ。
……けれど、話くらいは聞いておく価値がある。
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「私が太一君に伝える助言は、三つ」
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「三つ……?」
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リリィは右手の人差し指を立て、淡々と告げる。
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「一つ目――昏睡状態の少女は“絶対”に守り抜くこと」
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「……昏睡状態の少女? それって……小野さんのことか……?」
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「そうよ。あなたの仲間の一人。その少女を、どんなことがあっても守り抜いて」
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「……それは……もう、決めてることだ。守るよ。何があっても」
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リリィは小さく頷き、二本目の指を立てた。
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「二つ目――建物の中に入り、捜索すること」
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「……捜索? どういう意味だ?」
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「太一君が最後に見た“何か”……あれは、とても大きな教会よ」
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「教会……だって? なんで僕がそこを……いや、いい。最後の三つ目を教えてくれ」
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リリィは三本目の指を立て、少しだけ口元を緩めた。
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「三つ目――名古屋市から脱出して、三重県の大紀町を目指すこと」
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「三重県の……大紀町? なんでそんな場所に?」
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「理由? あるわ。でも――お・し・え・ま・ちぇん、ふふっ」
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「……お前、今わざと“おこちゃま”みたいな語尾で煽っただろ!!」
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「ごめんごめん! 悪かったわ。でも……理由は本当に教えられないの」
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「……“そっちの事情”ってやつか……。分かったよ」
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ふと、彼女の声が遠ざかり始めた。
視界が、ゆっくりと揺らぎ始める。
白い世界が、まるで液体が蒸発するように色を失い、崩れていく。
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「……時間ね。助言の通りに進めば、必ず道は開ける。頑張って……太一君」
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その言葉に頷きかけた瞬間――
僕は、ある違和感に気づいた。
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「なあ、リリィ! 助言をくれたってことは……まさか……僕、生きてるのか?」
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白の彼方、揺らめく輪郭の中で、彼女ははっきりと言った。
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「あなたは……生きてるよ」
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その瞬間、視界は真っ暗闇に塗り潰された。
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To be continued




