第75話「出会いと大発狂」
警察署から出た僕の目に、まず飛び込んできたのは――
地面に倒れたままの、小野さんの姿だった。
そして、そのすぐそばには、見慣れない男が立っていた。
迷いもなく、僕はハンドガンを引き抜いて構える。
「誰だ……?」
その男は焦ったように両手を挙げた。
「ちょ、ちょっと待て! 撃つな、私はゾンビじゃない!」
男の声は太く、しかしどこか信頼を感じさせる響きを持っていた。
それでも僕は銃口を下げなかった。疑う理由が多すぎる世界だ。
けれど、男の背後に停まる大型の軍用車両と、駆け寄ってきた二人の迷彩服の人物を見た瞬間、ようやく現実感が追いついた。
「……あなたは誰ですか? この町の住民ですか?」
「いや、違う。私は――愛知自衛隊A3部隊隊長、小暮浩人だ」
その一言が、僕の肩から力を奪った。
「……自衛隊……。この町に来てから、一度も見てなかった……。本当に……来てくれたんだ」
「今日到着したばかりだ。遅れてすまなかったな。だが今は、まずこの少女を助ける方が先だ。坊主、すぐに乗れ」
小暮隊長が小野さんを抱き上げる。彼女の体はぐったりとしていたが、確かに、まだ息があった。
「彼女……まだ、生きてるんですか!?」
「ああ。だが、危険な状態だ。内臓損傷と大量出血……長くはもたん」
「小暮隊長、急ぎましょう!」
「止血を中で行います、応急処置班に繋ぎます!」
軍用車の後部扉が開き、隊員が呼びかける。
僕はハンドガンをしまい、小野さんの後ろに続くようにして車両に乗り込んだ。
中は医療器具や簡易ベッドが並べられ、まるで移動式の救護所だった。
小暮隊長が手際よく小野さんのお腹に圧迫止血を施し、包帯を巻いていく。
僕はただ、見ていることしかできなかった。
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しばらくして、前方に座っていた二人の隊員に尋ねた。
「……この車は、どこへ向かってるんですか?」
「地下鉄・新城駅だ」
「そこから地下鉄を使って、名古屋市へ避難する予定だ。新城市はもう、持たない」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
――そうだ。
僕は避難所を離れてきた。そこには、まだ子供たちや女性たちが残っていた。
あの男性警察官だって、命を懸けて守ろうとしていたのに。
「……お願いがあります。避難所へ戻ってくれませんか?」
「戻る……? だが、そこに戻るには時間が――」
「それにこの少女の命も危ない。急がなきゃ……」
「お願いです!!避難所には、子供たちや女性がいるんです!!伝えたいんです!!今すぐ逃げるようにって!!……頼みます……!!」
僕は深く頭を下げた。
何度も、何度も。
すると――
「……わかった。行こう。坊主、お前の覚悟は伝わった」
「ただし、急ぐぞ。無駄な時間は許されない」
小暮隊長も頷き、ハンドルを握った。
僕は安堵の中、今一度ハンドガンを握り締めた。
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夜の帳が降りていた。
新城市の町並みは、まるで死の影に覆われたように、静まり返っていた。
高機動車は爆音を立てながら進み、ついに――避難所の前へ到着した。
重たい鉄製の扉が、闇の中に立っていた。
「ここだ……」
僕はドアに手をかけ、急いで中へと走り込んだ。
足元に広がる、血の跡に気づいたのは――その直後だった。
「……え……」
赤黒く固まりかけた血が、まるで誰かが引きずられたように、床一面に続いていた。
震える手で、奥の部屋の扉を開ける。
その瞬間――
脳裏に焼き付いたのは、絶望だった。
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部屋の中は、すでに“避難所”ではなかった。
腐敗臭と鉄の匂い。
首を噛まれた子供たち。
目を見開いたまま倒れている女性。
泣き叫んだまま絶命した幼児の死体。
そして、あの警察官――“みんなを守ってくれる”はずだった男の亡骸。
血だまりの中央に転がるその体は、半分喰いちぎられていた。
息が止まった。
言葉が出ない。
足が、震えていた。
僕の脳の奥にある何かが――「プツン」と、切れた音がした。
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「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
気がつけば、僕は叫んでいた。
喉が裂けそうになるほど、何度も何度も。
そして――
「グチュッ!! グチュ!!」
僕は、ゾンビと化した子供たちを蹴り殺していた。
必殺技でもなければ、足技の型でもない。
ただ、本能のままに。怒りのままに。
踏みつけ、蹴り上げ、蹴り倒す。
「何でだよ!!!!なんで!!!!なんで守れなかったんだよ!!!!!!」
「グチュッ!!! グチュッ!!!」
「ふざけんな!!!!ふざけんなああああああああああ!!!!!!」
頭が真っ白だった。
視界の端に血しぶきが飛び、破裂音と共に骨が砕ける音が耳に響いた。
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すべてを蹴り倒した頃には、部屋の中は完全に静かになっていた。
けれど、僕の内側だけは、まだ叫び続けていた。
涙も、汗も、血も混じった顔で、僕はただ立ち尽くした。
そのとき――
視界が、滲んだ。
床が歪んで見えた。
「……なんで……俺だけ……」
そう呟いた直後。
僕の意識は、暗闇に吸い込まれた。
重力に逆らえず、膝が崩れ落ちる。
そして、倒れ込むようにして、僕の身体は床に沈んだ。
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To be continued




