第73話「三つ首の生物」
警察署の駐車場に、沈黙が漂っていた。
夕日が傾き、赤く染まった空が、瓦礫と血と硝煙の匂いをなぞるように染めていく。
僕は一歩ずつ、足を引きずるように警察署の入口へと向かっていた。
その足元には――
冷たくなった警察官たちの死体が転がっていた。
一人は、首がない。
一人は、内臓が裂け、地面に腸が広がっていた。
一人は、自らを撃ったのか、右手にハンドガンを持ったまま、虚ろな目を天井に向けていた。
吐き気がこみ上げた。
「う……」
けれど、もう何も出なかった。
何度も吐いた。何度も涙を流した。何度も命を背負ってきた。
それでも、“慣れ”ることなんて絶対にない。
そして――
「タッ、タッ、タッ……」
背後から誰かの足音が近づいてきた。
とっさに振り返る。
そこにいたのは――
「太一さん!!!」
「小野さん……!?」
小野さんだった。
肩で息をしながら、顔には疲れが滲み、体には土埃がついていた。
「来たんですか!? 少しは休めましたか?」
「……はぁ、はぁ……まぁ……ちょっとだけ。けど、そんなことより――」
その顔が、恐怖に染まる。
「犬が……追ってきてるんです!!」
「犬……ですか? 野犬のゾンビ化したやつですか?」
「ちがいます! そんなものじゃない……!! あれは、頭が三つあって……!」
「グルルルル……」
言い終える前に、何かの唸り声が響いた。
僕たちの左――
建物の影から、重いものが地面に落ちる音がした。
「……ッ!」
姿を現した“それ”は、間違いなく犬の形をしていた。
だが――それは明らかに“犬”ではなかった。
頭が三つ。
それぞれの口からは、長く鋭い牙がのぞき、唾液が滴っていた。
背中の筋肉は、異様に発達し、全身の毛は斑状に抜け落ちていた。
体高は、おそらく130センチを超えている。
まるで人間と同じ目線で睨みつけてくる。
小野さんは息を呑んで後ずさり、叫んだ。
「化け物……!!」
「バァン!!」
彼女は震える手でハンドガンを構え、引き金を引いた。
――だが。
「……っ!? 避けた……だと……!?」
三つの頭のうち、一番左の頭が首をひねり、弾丸を“見て”避けた。
他の頭もわずかに動いて、弾道を正確に認識している。
「嘘……そんな……!」
小野さんが青ざめた顔で呟いた瞬間だった。
「――グアアアアアア!!!!」
吠えるような唸り声をあげ、三つ首の犬は地面を蹴った。
そのまま、小野さんに向かって跳びかかる――!
「小野さん!!!!!」
僕が叫んだと同時に、獣は小野さんの腹部に噛みついた。
彼女の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ぐあっ……ぁ……ッ!!」
三つ首の犬はすぐに後退し、僕の方へとゆっくりと歩を進め始めた。
「……こっちに来る……!!」
もう迷っている暇はなかった。
銃では通じない相手だ。
なら――僕は、僕自身の“武器”で戦う。
右足を一歩引き、姿勢を低くする。
風が静かに吹いた。
(やるしかない……)
太一の技読み――
「瞬脚・一閃」
空気が裂ける音が耳元を走る。
視界がブレる。
世界がスローモーションに変わる。
重力の束縛から解放されるように、僕の体が動いた。
――背後を取る。
回し蹴りを放とうとした、その瞬間。
(……!? 動いた!?)
まさかの反応速度。
こいつ、見えてるのか!?
動きを“読んでいる”のか!?
ならば――もう一段階!!
太一の技読み――
「瞬脚・双閃」
その瞬間、僕の横に“もう一人の僕”が現れた。
「っ……!?」
これは……分身……?
僕自身も戸惑ったが、考えている時間はなかった。
僕と“もう一人の僕”が同時に回し蹴りを放つ。
「ドォォォォォォォォン!!!!!!!」
三つ首の犬は、大きく吹き飛ばされ、駐車場に停まっていた車に激突した。
車が大きく揺れ、警報が一瞬だけ鳴る。
けれど、犬は――すぐに立ち上がった。
(まだ動けるのか!?)
しかし、それ以上戦うことは選ばなかったようだ。
三つの首をこちらに向け、鋭く睨みつけた後、巨大なジャンプで――
屋根の上へと跳躍し、そのまま夜の空へと消えていった。
僕はその場で息を切らしながら呟く。
「逃げた……のか……?」
けれど、それよりも――僕の意識は、彼女へと向いていた。
「小野さん!!!」
急いで彼女の元に駆け寄る。
膝をつき、彼女の顔を見る。
「う……」
彼女は微かに目を開けていた。
しかし、彼女のお腹――その部分からは、信じられないほどの血が流れ出していた。
(あ……これ……ダメかも……)
そう思うと、僕の中で何かが崩れそうになった。
「小野さん……ごめんなさい。僕が……もっと早く動いていれば……!!」
でも、返事はなかった。
彼女の片目が、じっと僕を見たまま、動かない。
涙がこみ上げてくるのを、僕はなんとか堪えた。
今は、泣いている暇なんてない。
立ち上がり、警察署の自動ドアに手をかけた。
(誰か……誰かいないのか?
誰か……まだ生きてる人はいないのか……!?)
扉は、きい、と鈍い音を立てて開いた。
僕は、血と硝煙の中、再び“孤独な戦場”へと足を踏み入れた。
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To be continued




