第72話「だるまさんが転んだ」
夕日が赤く、世界を焼いていた。
茜色の光が、倒れた電柱や、吹き飛んだ瓦礫の影を長く引き伸ばしていた。
血の色に染まったような空の下、僕はひとり、黙々と歩き続けていた。
(……見つからない)
誰もいない。
誰の声も聞こえない。
誰の気配もない。
僕の足は、無意識のうちに“地獄”の中へ踏み込んでいた。
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ある路地を抜けた先で、ひときわ異様な光景に出会った。
銃を手にしたまま、立ち尽くした姿勢で死んでいる警察官。
赤ん坊を腕に抱いたまま、泣きながら死んでいた女性。
その周囲には、首が吹き飛んだ無数の死体。
電線に首を吊られた死体が、風に揺れて軋んでいる。
誰が斬ったのかもわからない、首のない胴体が、住宅の玄関前に雑に並べられている。
(やめてくれよ……)
目を逸らそうとしたが、無理だった。
どこを見ても、すでに“日常”なんて存在しなかった。
――突然。
「うぇっ……おぇぇ……」
僕は、思わずその場で嘔吐した。
胃の中はほとんど空っぽだったのに、それでも何かを吐き出さずにはいられなかった。
かつての自分なら、目を逸らして震えていただろう。
だけど、今の僕は――
11歳の小学生でありながら、戦場の現実を知りすぎてしまった。
どこかで「慣れた」と思っていた。
だけど、慣れていい光景なんて、この世にひとつもない。
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しばらくして、ふらつきながら町の中心部へ進んでいくと、そこには一人の男が倒れていた。
迷彩服を着ていた。自衛隊――だろう。
彼は、胸を押さえ、激しく血を流しながら、僕に向かって口を動かす。
「しょ……少年……ここから先は……気をつけろ……」
僕は駆け寄り、しゃがみ込んだ。
「な、なんですか!? 誰かいるんですか!?」
「ど……同僚の……自衛隊の奴が……精神崩壊して……スナイパーとして……配置されたのに……今じゃ……通る者すべてに……容赦なく……撃ってくる……」
「!!?」
「……そこにある通りだ……あれは……まるで……『だるまさんが転んだ』だ……こっちが止まっていると撃ってこないが……動くと即……狙撃……」
彼の胸に手を当てたとき、すでにその手は冷たくなり始めていた。
「……胸を撃たれて……も、もう……ダメだ……気を……つけて……」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
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(だるまさんが……転んだ……?)
僕は、通りの角まで行き、慎重に様子をうかがった。
そのとき――
「バンッ!!!」
破裂するような乾いた銃声が響き、すぐそばの道路標識に銃弾が当たった。
火花が散り、標識が倒れる。
(本当だ……撃ってきた……!!)
けれど、敵は遠距離から撃ってくる。つまり、一定のパターンがあるはず。
(……撃った直後は隙ができる。なら、その合間に……!!)
僕は地面に身を低くして、膝をつき、瓦礫の影へと身を滑り込ませた。
「……ッ!」
「バン!!」
また撃ってきた。
――でも、当たらない。こちらは見えていない。
間違いなく、敵は“動き”を感知して撃っている。
(まるで本当に『だるまさんが転んだ』……)
僕はそのまま、“ゲーム”のルールに従いながら、慎重に進んだ。
撃たれ――
その直後に次の遮蔽物へと素早く走る。
また撃たれ――
弾が外れたと同時に、地を這うように移動する。
この流れを、何度も、何度も、繰り返した。
一台の車の影から、別の車の裏へ。
潰れた自販機の影から、街路樹の根元へ。
そのたびに、息を殺し、鼓動を静め、タイミングを見計らった。
撃たれる音は全部で――
すでに20回以上。
けれど、僕の身体にはひとつの傷もなかった。
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(あと少し……あと数メートルで……)
そう思った矢先――
「や、やめろ……やめてくれ……噛むな……ッ!!」
近くから、別の叫び声が聞こえてきた。
僕は慌ててそちらの方に駆け寄る。
そこには、1人の男――おそらく“スナイパー”本人が、地面に倒れ込んでいた。
彼の腕に喰らいついているのは、ゾンビ。
「あああああ!! 離れろぉ!! お前らなんかに負けるかぁああ!!!」
必死に足をばたつかせるが、すでに右肩は大きく裂かれ、血が噴き出していた。
それでも彼は、反射的に引き金を引こうとしていた――
だが、その銃は、もはや弾切れだった。
ゾンビが、彼の胸を喰い破る直前、僕はその場を立ち去った。
(……後ろに気づかなかったんだ……)
敵は、敵を殺す。
それが今の世界だ。
(……誰かを殺すことだけに集中してたら、自分が死ぬんだ。
これが、“狂気”ってやつなんだな……)
僕は足を止めず、ただ黙って前を見て歩き続けた。
そのとき、右手の道端にある、ぼろぼろになった看板が目に入った。
【→ 新城警察署】
(……もしかしたら、まだ中に誰か残ってるかもしれない。
……助けがあるかもしれない)
その小さな希望にすがりながら、僕は静かに道を曲がり、警察署へ向かった。
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夜が、迫ってきていた。
風の音も、息遣いのように重くなっていく。
建物の隙間に、何かが潜んでいそうな気配。
だけど僕は、止まらない。
――誰かを、助けるために。
――誰かと、再会するために。
――そして、真実を暴くために。
次に待っているのがどんな“狂気”であろうと、もう怖くはなかった。
To be continued




