第67話「脱出命令」
僕は扉を勢いよく開けて廊下に飛び出した。
だが、次の瞬間――足が止まった。
「……な……なんだ、これ……?」
廊下一面が、血と肉片で覆い尽くされていた。
壁に飛び散った赤黒い飛沫。
床を染める重たい粘液。
腐敗と鉄錆が混ざった臭いが鼻を突く。
しかも、そこに転がるのはただのゾンビだけじゃなかった。
異形の開発生物たち――D-41、C-97、C-257――
それらがまるで“見えない刃”で両断されたように、首や胴体を切断されていた。
その切断面は、あまりにも鋭く、綺麗すぎた。
「……これ、斬った跡だ……」
斬撃――しかも一撃必殺の、精密すぎる殺意。
人間技じゃない。
(まさか、これを――森下さんが……?)
その瞬間、僕の脳裏をいくつもの「過去の場面」が駆け巡った。
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保健室でのこと――
田中と佐藤さんが激しく口論したとき、森下さんは迷いもなく刀を二人の間に投げた。
もし距離感が一寸でも違っていたら、どちらかが斬れていた。
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そして、旧体育館を出ようとしたとき、
出現した化け物「C-257」をたった一振りで真っ二つにしてみせた。
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「ありえない……」
「普通の人間じゃ、ありえない……」
僕は息を呑んだ。
これは――もしかすると、「転生者」か「異世界から来た存在」じゃないか?
そんな考えが頭に浮かび、そして、否定できなかった。
そのときだった。
ザッ……ザッ……ザッ……
左側の通路から、足音が近づいてくる。
静かで規則正しい足音。
軽やかで、揺るぎないリズム。
僕は反射的に左を向いた。
そこにいたのは――
「……森下……さん……」
彼だった。
血の飛沫を浴びながらも、服はほとんど傷ついていない。
手には、鞘に納められた一本の長い刀。
彼は僕の姿に気づき、右手を小さく上げて笑った。
「太一、ここにいたのか。手がかりは見つかったか?」
――この人、笑ってる……こんな惨状の中で、何事もなかったように。
僕は声を震わせながら、問いかけた。
「森下さん……聞きたいことがあります。」
彼は少し首を傾げる。
「ん? なんだ?」
「……この廊下で……大量のゾンビと、開発生物を斬り殺したのは……あなた、ですか?」
その瞬間、森下さんの顔から笑みが消えた。
ほんの一瞬の沈黙――だがそれが、全てを物語っていた。
「……そうだ。俺がやった」
「やっぱり……そう、なんですね」
僕の声が震える。
「でも、でもそれは――おかしい!!
あれだけの数、あれだけの強さの敵を、一人でなんて……そんなの、常識で考えたら無理です!!」
「……そうか?」
彼は静かに言う。
まるで、自分の力の“異常さ”に気付いていないかのように。
僕は一歩、彼に詰め寄った。
「森下さん、お願いです! 教えてください!!
あなたは――転生者ですか?
それとも……別の世界から来た“何者か”なんですか!?」
「もし、変なことを言っても……僕、信じます!!」
僕の声が廊下に響いた。
森下さんは目を伏せ、少し口を開いた。
「……それは……」
そのときだった。
――ジジジ……ジジジ……。
天井に設置されたスピーカーから、電子音が鳴り響いた。
その直後、女性の機械的な声が建物全体に流れ出す。
「あと5分で、地下研究所を含む練馬区全域は、証拠消滅のため爆発させていただきます。
助かりたい場合は、地下への階段を使用し、地下2階までお越しください。
そこには緊急列車がございます。それにご乗車ください。
……繰り返します――」
「……!!」
僕は全身が一瞬で冷え切った。
(まただ――!!)
(あの時と同じ放送が、流れた――!!)
だが今回は違う。
仲間たちが全員揃っている。
僕は、もう一度誰も失いたくない。
森下さんは咳払いをして、話題を切った。
「太一、行くぞ。ここが1階だから、入口近くの階段から地下2階へ降りるんだ」
「はい!!」
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残り4分30秒。
僕と森下さんは全力で駆け出した。
自分の心臓の鼓動がうるさいほど響く。
階段を降りる一歩一歩が、爆発のタイムリミットと競争しているようだった。
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残り3分56秒。
地下2階の広間に到達した瞬間、緊急列車が視界に飛び込んできた。
その前には、仲間たち全員の姿があった。
博士が手を振って叫ぶ。
「太一!! こっちじゃ!!」
天野君が続く。
「早く!! 早く来て!! 山田君!!」
小野さんも両手を広げて叫ぶ。
「太一さん、急いでください!!」
僕は駆け寄りながら、安心と希望で胸がいっぱいになった。
全員が順に、緊急列車に乗り込んでいく。
やがて、残ったのは僕と森下さん、ふたりだけ。
「さぁ、行きましょう!」
「……ああ」
僕たちが、最後の一歩を踏み出そうとしたその瞬間――
――ズズズズンッッッ!!!!!!!
爆音と共に、天井が崩壊した。
粉塵が舞い、視界が白く曇る。
空気が振動し、コンクリートの破片が雨のように降ってくる。
「うわあああああ!!」
僕は腕で顔を庇いながら、咄嗟に後ずさった。
地響きが止まり、ようやく粉塵の中に、何かの影が浮かび上がる。
全身を締め付けるような重圧。
背筋を凍らせるほどの殺気。
「……まさか……」
僕はその輪郭を見た瞬間に理解してしまった。
どれだけ否定しても、何度見ても、脳が認識してしまう“異質”。
巨大な人型。
膨れ上がった筋肉。
全身に浮き出る黒い血管。
左右非対称に肥大化した腕と、獣のような唸り声。
そして――眼光。
獣とも、人ともつかぬ、純粋な破壊の意志。
「G-315……!!」
僕は思わず、声に出してしまった。
「なぜ……なぜお前がここに……一度も姿を見せなかったじゃないか……!」
答えはなかった。
返ってきたのは――
グオオオオオオオオオオオオアアアアアアアッッ!!!!!!
それは叫びというにはあまりに荒々しく、
咆哮というにはあまりに“悲しみに満ちていた”。
この怪物がどこから来て、なぜ姿を見せなかったのか。
なぜ、今このタイミングで現れたのか。
その理由は、まだ誰にもわからない。
だが、ただ一つ――
この存在が、「逃げられない絶望」だということだけは確かだった。
To be continued




