第50話「激戦」
キャロットが立ち上がった。
彼の表情は、これまでのような余裕など微塵もなかった。苦悶、怒り、そして焦燥。それらがごちゃ混ぜになった感情が、あの男の顔を歪めていた。
「……山田太一……貴様……!」
僕はその瞬間を逃さず、足に力を込めて一気に距離を詰めた。体にまとわりつく空気すら、僕の味方になってくれているようだった。
「そんな攻撃で、調子に乗ってんじゃねぇーよ!!!」
キャロットの怒号が響くと同時に、大爪が空を切る。
しかし僕は、すでに“次”を見ていた。
「瞬脚・『双閃』!!」
声と共に、地を蹴った。
次の瞬間――僕の隣に、もうひとりの“僕”が現れた。
キャロットの表情が一変する。
「なに……!? 分身!? バカな……っ!!」
僕と“もうひとりの僕”は、完全にシンクロした動きで左右から迫った。
超高速で動く僕たちは、まさに“実体を持った幻影”そのもの。
(キャロットには――どっちが“本物”か、わからない!)
「どっちだ…? …左か…それとも…右か……?」
キャロットは一瞬の判断を誤った。
「――こっちかっ!!」
彼が左に構えた瞬間、僕は右から跳び上がり、回し蹴りを叩き込んだ。
「ドンッ!!」
僕の片足が、キャロットの片脚を正確に撃ち抜いた。
「ぐっ……あああああぁっ!!」
重心を失ったキャロットは、地面に崩れ落ちた。爪が床に引っかかり、甲高い金属音が響いた。
だが――終わりではなかった。
「く……クソが……貴様……足技程度で……」
キャロットは血を吐きながら、それでも立ち上がった。
彼の目は赤く血走り、完全に“理性”を失っていた。
「もう……限界だ!!こうなったらやるしかない!!」
そして左腕を高く掲げ――
「コンプリートモータリティレインジ!!」
その叫びと共に、空気が震えた。
――次の瞬間。
床が砕け、鋭い黒い爪が地中から一斉に飛び出した。
僕の周囲に展開される、異様な構図。
東、西、南、北、そして北西、北東、南西、南東――
八方から“鋭い刃”が、僕を取り囲むように現れる。
まるで巨大な黒の檻が地面から突き出たかのようだった。
キャロットの叫びが響く。
「地獄に堕ちろ!!太一ィィィィィィィ!!」
八方向から迫りくる“死”。
もし、ほんの一歩でも遅れれば――間違いなく即死だった。
(避けるしかない……!)
僕は、限界まで集中した。
足元の空気、微細な気流の流れ、キャロットの目線の先、爪の軌道、すべてを一瞬で読み取る。
「――っ!!」
体を低く沈め、右に回転しながら地を滑る。
ギリギリで、刃と刃のわずかな隙間をすり抜けた。
「――っはあ、はあっ……!」
肩にかすり傷を負ったが、致命傷には至っていない。
爪が床に突き立つ音が、ひとつ、またひとつと鳴り響き、やがて静寂が戻る。
「クソ……っ! 簡単に避けるとは……まあ、いいか……」
キャロットが舌打ちしながら、再び距離を詰めてくる。
でも僕は、心の中でひとつのことに気づいていた。
(今の攻撃は――本気だった。)
間違いなく、殺す気だった。
あれは“見せ技”じゃない。命を奪うための、“殺意の塊”だ。
もし、あの攻撃を受けていたら――僕は、もうこの世界にいなかった。
……でも、それは“もし”の話だ。
僕は生きている。
そして――“まだ”戦える。
(忘れるな。キャロットを倒さなきゃ、未来は変えられないんだ)
なぜなら、僕は今まで一度も――こんなふうに命を懸けて戦ったことなんて、なかったからだ。
「これが……本物の戦いだ!!!」
両脚に力を込める。
指先から膝、腰、そして背中まで、全身が跳躍の準備をしていた。
僕は、再び構える。
そして、次なる“足技”の名を――心の中で唱えた。
To be continued




