魔女の長い髪は夕暮れにたなびき、少年の未来を変える
公式企画「秋の歴史2024」参加作品です。
午後から息子と一緒に薬草取りをしていたカタリーナは、風が冷たくなったことに気付く。
晩秋である。
六歳のハンスは一生懸命、丘に生えている水薬の材料を探している。
カタリーナはハンスの頭を撫で、自分のショールを彼の首に巻く。
「ありがと。お母さん」
目を細めるハンスに、カタリーナも微笑む。
二年前、悪性の流行り病で死にかけたハンスは、その後遺症で少し目が悪い。
顔面にいくつか痘痕も残っている。
子どもたちの中でも、一番聡い息子だが、後遺症は気にかかる。
自分が助かったのは、母の作った水薬のおかげと思っているらしく、ハンスはいつも母の薬草取りについてくるのだ。
「はい、この量があれば、水薬1本分だね」
「ええ、ハンス。ありがとう」
カタリーナと四人の子どもたちは、帝国の辺境地に住んでいる。ハンスは末の息子だ。
カタリーナの夫は辺境の軍隊に傭兵として雇われていて、今も不在である。
秋の風が丘を駆け、カタリーナの長い髪が踊る。
「あっ!」
ハンスが西の空を指差す。
暮れかかる空には、長い尾を引く箒星が現れていた。
「あれは、魔女の髪星……」
思わずカタリーナが呟くと、ハンスは彼女を見上げる。
「まじょ?」
「ええ。空に表れる、長い尾をした星のこと。また戦が起こるのかしらね……」
カタリーナは自作の薬で治癒を行ったり、星の暦で人の運勢を見たりすることが出来る。
それは嘗て「魔女」と呼ばれた者たちと、どこか似ていた。
「あの魔女の星は何処から来たの? お母さん。戦って、あの星が起こすの?」
カタリーナは息子の肩を抱き寄せながら答える。
「尾を引く星は神が寄越すものよ。良くないことが起こる前触れとして」
「ふうん、そうなんだ……」
神様が寄越すという箒星は、夕暮れのそらいっぱいに、白く輝く尾を描いている。
それは視力が弱いハンスの目にも、しっかりと捉えることが出来た。
帰り道、ハンスは母に問う。
ねえ、お母さん。魔女の髪星って何処へ帰るの?
神様のところ?
またやって来るの?
いつ頃来るの?
星暦を読めるカタリーナでも、箒星の出現は分からなかった。
「ハンスが学校に行って、たくさん勉強したら分かるようになるわ」
「そっか、じゃあ僕、勉強頑張るね」
時に一五七七年。
カタリーナやハンスが住んでいた、神聖ローマ帝国にある自由都市ヴァイル・デア・シュタットに現れた大彗星は、日本では弾正星とも呼ばれた。
この彗星がもたらしたものは、破壊なのか、それとも……。
後にハンスは思う。
あの日、あの箒星を見たことこそ、自分の人生の分水嶺だったと。
ハンスことヨハネス・ケプラー。「ケプラーの法則」で知られるドイツの天文学者である。
Q:ケプラーの法則を説明して下さい。
A:専門外だから無理!
参考文献:宮城晴耕「プトレマイオスのエカントとケプラーの法則の接点」地学教育と科学運動 77号(2016年9月)