60話ー② おにぃちゃん
家に戻ったエリーは静かに廊下を進み、個室のドアを開けた。
周りにメイドたちの気配がないことを確認し、無言のままドアを閉める。
暗がりの中で彼女は明かりもつけず、その場に崩れるようにしてうずくまった。
――何も聞こえないはずの部屋で、記憶が静かに蘇る。
それは兄との日々の断片――そしてシャボン玉の歌。
それはエリーにとっては二度と戻らぬ過去の象徴であり、いつまでも消え去らぬ後悔の音色でもあった。
静寂の中で、たった一人、うずくまり悲しみの涙を落とす。
「ぅぅっ……」
誰にも届かないその涙は、やがて言葉となって押し出された。
ただの歌謡が.......まるで手の届かないほど遠くに感じられる。
本来悲しい意味を孕む歌だったとしても......それは彼女にとっては違うのだ。
「おにぃ、また私に……」
その呟きは、夢の中の声のように儚く虚しい。
――それはエリーにとって今や叶わぬ夢.......いや溺れてはならぬ願い。
だが、忘れようとしても忘れられない。どれほど悲しくとも、記憶を消し去ることなど到底できるはずもない。
彼女の脳裏に浮かぶのは、失った記憶と奪われた力の欠片。
そして、兄が打ち払ってくれた絶死の運命――全てが罪の意識となり、心に重くのしかかってくる。
「でも……今のおにぃなら……」
――今の兄ならば、全てを返しても耐えられるのではないか?
――また、シャボン玉を歌って貰えるのではないか?義姉にも歌って貰えかもしれない......
ふと……そんな甘美な幻想が頭をかすめる。
だが、すぐにその希望は自らの罪の重さに押し流される。
「甘えるな……散々、背負わせて」
かつてのエリーは兄にすがりつくだけだった.......
目の前の苦しみや異変から、ひたすら逃れ、兄にその重荷をすべて背負わせていた。
そして兄が壊れていく姿を、ただ見ていただけだったのだ。
自分がどれほど愚かで、罪深かったのか……壊れるその瞬間まで、妹は兄を守ろうと思いつきもしなかった。
「押し付けて......無理させた......だから、今度......私が......」
彼女もどこかでは理解している……
それは罪ではなく、ただ無力な幼子として必死で生き延びようとしただけなのだと.......
.......事実、初等部の歳の彼女に、何ができただろうか?
しかしどんな理屈を並べても、自分を許す事ができない。
それが、兄への愛の証であるとも気づかぬまま.......
「なんで......」
それは、何の感情も籠っていない言葉だった......
行き場のなくなった感情を......心に留めることも、言葉にすることもできず......
そして訳が分からなくなった心が、ふいに発音させた音。
「お......」
暗く小さな部屋の片隅にうずくまり……行き場を失った感情が、音となって心から漏れ出す。
いつしか呼ぶことのなくなったその音が......彼女の唇から零れ落ちた。
「おにぃ......ちゃん......」
それは二度と呼ばぬと決めた、兄の呼び名......
――次にその名を呼ぶ時が......道の終わりになろうとも......
どうもこんにちわ。G.なぎさです!
ここまで読んでくださりありがとうございます!
かつてのエリーにとって、兄が世界の全てだった。
そして壊した罪と、思い出を分かち合えない苦しみを、たった一人で噛み締める。
果たして道の終わりとは、転機か絶死か......
もし面白い、続きが気になる!と思った方は
【応援】や【レビュー】をしてくれると超嬉しいです!!
更新は明日の『『20時過ぎ』』です!