冬のボーナスがガチで「棒とナス」だったんだが
守は35歳のサラリーマン。
彼が勤める会社は社員数こそ十数名と少ないが、業績は堅調で、ボーナスの時期になると社長から直々に明細を渡されるのが通例だった。
ところが、今年の冬は――
ボーナス支給日の一週間前、社長室に呼び出された守。
壮年の社長はやや皺の目立つその顔を、深刻そうにしかめている。
守もそれを目ざとく察知し、緊張する。
「実は今年のボーナスだが、現物支給になった」
「……は?」
社長の口から、全く予想しなかった言葉が出た。
「業績が厳しくてな……私としても苦渋の決断だった」
「え、でも……我が社の業績は好調のはずでは……」
「うむ……実は不調だったのだ」
堅調に見えた会社が、実はピンチだったという。
守の全身に冷えた汗が浮かび上がる。
「ちなみに現物支給というのは……?」
「これだ」
社長は机の上に大きな段ボール箱を二つ取り出した。
守が開けると、中に入っていたのは――
「棒と……ナス?」
一方の箱には、長さ5センチから1メートルぐらいまで、さまざまな長さ太さの棒が入っていた。
もう一方には大量のナスが詰められていた。
「今年の冬はどうかこれで乗り切って欲しい」
「いやいやいやいやいや! ちょっと待って下さい!」
「なんだね? ああ、ちなみにナスは私の実家から……」
「そんなこと聞いてるんじゃなくて! 棒とナスでどう乗り切れって言うんですか! 百歩譲って現物支給はいいとして……いやよくないけど、ボーナス出せないから“棒とナス”ってふざけてるんですか!?」
「ふざけてなどおらん。すまん」
深く頭を下げる社長。
守としても社長には恩もある。これ以上強く責めることはできなかった。
***
自宅に戻った守は、妻である京子に全てを打ち明ける。
京子は怒り出す。
「今年のボーナスは棒とナスって……なんなのそれ!?」
「仕方ないんだよ、業績が厳しくて……」
「新製品が好調だったってのはなんだったの!?」
「どうもあまり利益が出てないらしくて……」
夫婦はそのまま口論となってしまう。
「家のローンはどうするのよ!? 学費は!? 車検だって……」
「分かってるよ……そう矢継ぎ早に言わないでくれ」
「こんな時に言わないでどうするのよ! あなたがもっと社長さんに言うべきだったのよ!」
「俺だって社長にはお世話になってるし……!」
そこへ何も知らない一人息子の悟がやってくる。
小学生になったばかりの可愛い盛りである。
「ねえパパ、今度ゲーム買ってくれるんだよね? 新しいやつ!」
子供の無邪気な催促に、守は思わず怒鳴ってしまう。
「そんなの……買えるわけないだろ!」
「え~? パパのウソつき~!」
こうなると火は燃え広がり、家族で喧嘩が始まってしまう。
「俺だって一生懸命働いてるんだ! しょうがないだろ!」
「働いても結果が出なきゃ意味ないわよ! お金っていう結果がね!」
「パパ~! ゲーム買ってよ~!」
しかし、ひとしきり罵り合ったら、三人とも疲れてしまった。
「とりあえずメシにするか……」
「そうね……。せっかくナスを沢山頂いたんだし、ちょっと焼いてみようかしら」
「ああ、頼む……」
京子はグリルを使って焼きナスを作る。
皮をむいて、醤油をかけて、鰹節をかける。
「どうぞ」
守は浮かない顔で箸を手に取る。
頑張って働いたのに、報酬がこんなナスだなんて、という思いが頭をよぎる。
いくら業績が傾いているからってあんまりだ。
半ばふてくされたような態度で、ナスを口に放り込む。
ところが――
「う、美味い……!」
守の顔がとたんに明るくなった。
「京子、お前も食べてみろよ。美味いぞ、これ」
「え~? ただの焼きナスでしょ?」
「いいから!」
京子も仕方なくといった風にナスを食べてみる。
すると、たちまち目を丸くする。
「美味しいわぁ!」
自分で作ったにもかかわらず信じられないといった表情だ。
守は息子の悟にも声をかける。
「おい、お前も食べてみろよ」
悟はゲームを買ってもらえる約束を破られ、頬を膨らませている。
「ぼく、いらない。ナス、好きじゃないし」
「そうだったな。でも、パパが一生懸命働いてもらってきたナスだ。食べてみてくれないか?」
悟も親思いの一面もある少年である。
父親から嘆願されるように言われてしまうと、断ることもできない。
「じゃあ、一口だけね」
小さな口の中に焼きナスを入れる。
「おいひぃ!」
悟も満面の笑みを浮かべた。
三人は瞬く間に焼きナスを食べ尽くし、その勢いで京子が元々用意していた料理も平らげ、夕食は終わった。
食事を済ませると、守は棒の入った段ボール箱を覗いてみた。
そこには長さや太ささまざまな棒が入っている。
守はその中に50センチほどの柔らかい棒を見つけた。
「お~い、悟!」
ナスのおかげで悟もすっかり機嫌を直している。
「なに?」
「これでチャンバラでもしないか?」
守が柔らかい棒をヒュンヒュン振ると、悟も乗ってきた。
「あ、面白そう! やろう、やろう!」
守vs悟、父子によるチャンバラ対決が始まった。
ゴム製のかなり柔らかい棒なので、当たってもほとんど痛くはない。
安全に白熱したチャンバラごっこを楽しめる。
「いくぞー、デビルスラッシュ!」
悟が流行りのアニメの必殺技を繰り出せば、
「俺が子供の頃はこんな必殺技が流行ってたぞ!」
守も子供の頃流行っていた漫画の技をお見舞いする。
「もう、埃が立っちゃうから、外でやってよ、外で!」
京子は夫と子供に呆れるが、その顔はどこか楽しそうであった。
守からすれば、せっかくのボーナスがパーになり散々な一日だったが、楽しく締めくくることができた。
***
翌日以降も守の家庭では“棒とナス”を大いに楽しんだ。
守は悟に「棒を使った遊び」を色々と教える。
「砂山に刺して、砂を少しずつ取っていって棒を倒した方が負けだ」
「これおもしろーい! みんなにも教えてあげよっと!」
竹の棒もあったので、カッターナイフで竹トンボを作ってみる。
「それっ!」
「わーっ、飛んだ飛んだ!」
レトロな玩具であるが、デジタルな玩具にすっかり慣れた守にとっては新鮮だったようだ。
京子もまた、ナス料理の開拓を進めていた。
「今日は天ぷらを作ってみたわ!」
「おっ、美味そうだな!」
「早く食べたい、食べたい!」
ナスの天ぷら、煮びたし、肉炒め、パスタ、味噌汁、和え物、混ぜご飯、甘辛煮……。
味にクセがないので名脇役とも称されることもあるが、今や彼らの食卓でナスは主役となっていた。
守はというと、食卓に棒を持ち出して――
「この棒の端っこを持って、こうやって揺らすと、プルプル曲がったようになるんだ!」
「わぁっ、すごい!」
「子供の頃、よくやったわ~」
大盛り上がりである。
守は思った。
棒とナスのおかげで、かえって家族の絆が深まった気がする。
ありがとう、棒とナス……!
***
守が社長から棒とナスを貰ってから一週間が経った。
ボーナスが現物支給だったという失望はすっかり消え失せ、守の顔は輝いていた。
妻の京子、息子の悟も同じである。
棒とナスの素晴らしさに目覚め、三人は生まれ変わったような気分であった。
守は会社に出勤する。
その足取りは軽やかで、スキップをするかの如くであった。
守が仕事をしていると、他の社員から「社長が呼んでる」と声をかけられた。
すぐさま守は社長室に入る。
デスクに座った社長が、やけに明るい表情で守を迎えてくれた。
「社長、ご用とは?」
守には呼び出される用が思いつかないので、つい聞いてしまう。
「おいおい、今日は待ちに待ったあの日だろうが」
「あの日?」
「ボーナスの日だよ」
ボーナス?
守の中に疑問符が浮かぶ。
ボーナスはすでに“棒とナス”という形で貰ったはずでは……。
「ほら、明細」
ボーナスの明細を手にする。
そこにはこれまでのボーナスの額を上回る、かなりの額が記されていた。
守が会社のために頑張ってきた成果が、正当に、いやそれ以上に評価されたといっていい金額である。
困惑する守に、社長は笑いながら告げる。
「いやー、先週は下らん真似してすまなかったね。ボーナスの代わりに“棒とナス”を渡すなんて。みんなにあっさり冗談だとバレてしまって、大滑りというやつだよ。君ぐらいのもんだ。私の冗談に付き合ってくれたのは」
「……」
改めて話を聞くと、一週間前、社長は守以外の従業員にも「今年のボーナスは“棒とナス”になった」という現物支給をやったらしい。
しかし、守以外の従業員からはすぐに冗談だとバレ、露骨に冷めた反応をされてしまったとのこと。
まともに聞き返してきたのは守ぐらいだったようだ。
社長はそれを“守が冗談に付き合ってくれた”“バレバレのドッキリに乗ってくれた”と受け取った。
――もっとも守は本当に現物支給になったと信じていたが。
「今年のボーナスは奮発したぞ! 君もよくやってくれてたからな!」
社長は笑うが、守は奮発されたボーナスの明細を見ても、さして嬉しさは湧かなかった。
からかわれたことに怒ったからでも、金額に不満があったわけでもない。
嬉しいはずなのにな――守は頭を下げると、社長室を退出した。
***
この日、守はまっすぐ帰宅する。
まずは京子にきちんとボーナスが出たことを報告する。
すると、やはり――
「ふうん、よかったわね。それより、私今日もたくさんナス料理のレシピ見て、たくさん作ったの! 食べてみて!」
「おおっ! 君のナス料理の腕はぐんと上がったからな! 楽しみだ!」
守は悟にも声をかける。
「悟、無事ボーナスが出ることになったから、欲しかったゲームを買ってやれるぞ」
しかし、悟の表情は変わらない。
「んー、ゲームはいいや。それよりパパ、棒を使った遊びをもっと教えてよ!」
「よーし、じゃあ棒を使って輪ゴム鉄砲でも作ってみるか!」
「やったぁ!」
今や、守、京子、悟の三人は“棒とナス”に夢中だった。
本当のボーナスなど別にどうでもいい、と思ってしまうほどに――
完
お読み下さいましてありがとうございました。