恋の前触れ
「レンタルビデオ店編」
昨今の定額配信事業の拡大に押され、人が疎らなDVDレンタル店に、
二人の男女が入って来る。店に入ると同時に各々が見たいであろうコーナーに、
其々移動し始める。付き合い始めたばかりの恋人関係では無いようだ。
女性が何を捜すでもなく、店内の棚を見ながら歩いている。女性の足が止まった。
何かを見つけたのだろうか。棚に置いてあるDVDに手を伸ばし、パッケージを眺める。
女性の様子から見て、タイトルを確認しているのでは無さそうだ。
何故なら、その映画は以前に見た記憶があるからだ。大方予想が付くと思うが、
倦怠期を迎えている彼と付き合い初めの頃に見た映画なのだから・・・
しかし、彼女はいい思い出として思い出した訳ではない。
今の付き合いを解消するか如何かを考え直し始めている。
女性という者は分からない者だ。付き合い初めの頃に見た映画のパッケージを手に取り、どんな恋人同士にも訪れる。マンネリ感を覚える時期に運命の人かもしてない相手と、
簡単に分かれる事を思案するのだから・・・運命の相手であるかは、私の希望なのだが・・・
女性が恐ろしい事を考えているのを知らない彼が、後ろから声を掛けて来る。
彼に声を掛けられ、何かを思いついたかの様な表情を彼女がする。嫌な予感しかしない。
彼女は映画のパッケージを彼に見せる。彼がその映画を見たか如何かを試しているのだ。嫌な予感が的中した。彼は彼女に試されている事など知る由もない。
彼はパッケージを目の前に出されたのをどう感じたのだろう。
彼女の行動がこれからの付き合いに左右する物だというのに・・・
残念な事に彼は何かを考えた後に言葉を発した様には見えず、こう、答える。
「う~ん・・・見た事無いかな・・・」彼は答えを間違えた。
彼女は何も言わずにDVDを棚に戻す。悲しむ様子も見せずに。
「それ、観ないの?」彼の言葉を聞き流しながら、「別の捜して来る」と彼女が答える。心が離れて行く事を悟られない為に。女性が適当なDVDを手に取り、彼に手渡し、
ゲームが陳列されている所で待っていると告げる。
彼が、適当な返事をし、セルフレジに向かい会計を済ませ、
ゲームのパッケージを見ている彼女に声を掛け、DVDレンタル店を出る。
帰る道すがら、何気ない会話が飛び交う。日々の仕事。共通の趣味。
会社での不満。時事ネタ等。先程とは打って変わって、仲の良い恋人に見える。
いや、彼女は装っているのかも知れない。ふとした事から、夕食の話になる。
「今日、泊まってくんでしょ?」彼がそう言うと、彼女が笑顔を見せ、
「そのつもり」その笑顔に偽りがある様には見えない。彼が、別れ話をされるのは、
後日なのだろうか。「夕食の材料買って置いたんだ。今日は、僕に作らせてね。」
彼女が、喜びを見せる様に腕にしがみ付き、「大丈夫?期待して?」彼女がそう言うと、彼が、「得意のハンバーグだから失敗しないよ。」彼女が大げさに安堵の表情を浮かべる。周りから見れば妬ましい恋人同士にしか見えないのだが・・・
彼の自宅に着き、部屋に入る。何度も訪れたこの部屋。見納めなのだろうか。
彼女は、先程の別れを感じさせる所作を見せる様子は無い。忘れてしまったのか・・・
それとも、心の奥底にしまい込んでしまったのか・・・我々には知るすべは無い。
リビングを通り過ぎ、6畳程の居住スペースに、其々、荷物を置く。
予め、置く場所が決まっている。
いや、それだけ、二人で過ごした時間が長いという事なのだろう。
お互いの想いも伝えなくても良い距離感がそこに有る。
男性が、返却バックからDVDを取り出し、
テレビ棚に置いてあるゲーム機の電源を入れる。
DVDプレイヤーとして、使用している所を見ると映画好きなのだろう。
よく見ると、テレビ棚がスピーカー内臓となっている。
映画好きなのでは無く、映画オタクである。逸る気持ちが抑えられないのだろう。
彼の顔は微笑んでいる。その姿を見た彼女が、表情には出さないものの、
不穏な空気を醸し出し、一言。「ちょっと~ごはんの支度~」
彼女の言葉に一切の反応を見せずに、映画を見始め、早く、早くと言わんばかりに、
彼女を手招きする。何時もの事なのだが、今日に限っては違う。
彼女の冷めた顔を彼は見ていない。気付いて欲しいとは思うが、
彼は彼女の冷めた顔に気付いた所で彼女の想いや心の傷に気付く性格ではないだろう。
彼女が自分用に置かれている座椅子に座り、
ストレスを隠す様に、大きめのクッションを抱き抱える。
彼女の賢明な判断で、口論にはならず、彼が選んだ。彼好みの映画を見終える。
作品名は避けて置こう。レーベルは「アルバトロス」だ。
彼が立ち上がり、キッチンに向かう。
彼女がゲーム機からDVDを取り出しケースに入れる。何時もの事だ。
彼女も気にする様子は見えない。映画鑑賞で気分が直ったのだろうか・・・
返却バックに入れようと袋を開く。中に入っているDVDが見えた。
「思い出のDVD」だ。彼女が彼に何故、借りたのかを聞こうとするが、
食事の準備を始める彼の姿を見て思い留まる。
彼が冷蔵庫から予め、仕込んでいたハンバーグを焼き始める。
数分間焼き、良い色合いに焼きあがると、再度、冷蔵庫を開き、
サラダを添えて置いた皿を取り出す。段取りが良いのが伝わって来る。
保温ランプが付いた炊飯器を開け、茶碗にご飯をよそい始める。
彼の様子を伺っていたのだろう。彼女がお盆に箸とご飯をよそった茶碗を置く。
二人分の箸と茶碗をお盆に置くと、彼女が何も言わずに、テーブルまで運び、
何時もの場所に置く。ハンバーグを皿に盛り終えた彼が両手に皿を持ち、
テーブルまで移動し、茶碗が置かれた右横に置き座る。二人が目を合わせ、微笑み合う。「いただきます。」二人がそう言うと、同時に食べ始めた。
彼がハンバーグの味を確認した後に彼女を見る。彼女が箸を持った右手の親指を立て、
口一杯に入れたハンバーグを咀嚼しながら笑顔を見せる。
いつも通りの味なのか、はたまた、今回上手くいったのかは分からない。
しかし、食事をする二人の姿には、恋人以上の何かを感じる。
彼が返却バックからDVDを取り出す。食事をしながら、観るようだ。
食事をしながら、顔がほころんでいた彼女が、
DVDのラベルを見て思わず声を出してしまう。
彼がDVDをゲーム機に入れ、彼女を見て「んっ?何?」彼女が誤魔化す様に、
ご飯を口に運ぶ。自分の口からDVDの詳細について切り出したくなかったのだろう。
彼が、ゲームパッドを操作しながら、「見たかったんじゃないの?これ?」
彼が、覚えていた訳では無かったようだ。気遣いで借りて来た事に落胆する。
ご飯とハンバーグを交互に口に運びながら、再生が始まった思い出の映画が、
画面に流れ始める。映像が進むにつれて、彼女の脳裏に残っていた、
楽しい日々を過ごしていた付き合い経ての頃を思い出す。
思い出す記憶は、今の状況と殆ど変わらないのだが、
二人の距離も・・・
お互いを見つめる目も・・・
握っている手も
今とは考えられない程に恋人である事を周りに示す様に見え、尚且つ、輝いて見える。
彼女が食事を終える。彼が食器をお盆に乗せ流しに持って行く。
彼女が身体を丸める様に座椅子に座っている。思い出の映画が流れる画面を見ながら、
思い出に浸り、微笑んでいる。その姿を見た彼が意外な言葉を発する。
「そろそろ、どうかな?」
彼女が彼の言葉を聞き取る事が出来たが、何を指しているのかが分からないでいる。
彼女が彼を見つめる。その目は、彼にどの様に映ったのだろう。頭を掻きながら、目を反らし、照れた様子で話し始める。
「ほらっそのDVD見た時に話してたでしょ?」
「一年続いたら、同棲しないかって・・・」
彼女がはっきりと思い出す。しかし、喜ぶのでは無く、彼を見つめながら、
目から涙がこぼれる。嬉しいのでも無い。哀しいのでも無い。日々の生活に疲れ、
恋人としての大事な岐路になる事さえも忘れていた自分に情けなくなったのだ。
社会で生きるという事に疲れ、自分に取って、
最も大事な恋人との思い出すら忘れてしまう。涙が止まらなくなる。
彼が、近付いて来る。優しく抱きしめ、頭を撫でる。
彼は彼女が喜んでいると勘違いしている。彼女が、彼の胸に顔を埋める。
そして、改めて、この人に恋をしようと心に決める。