涙水晶 オーパーツ夢の中製作所
朝起きるとベッド横の姿見に、酷く目を晴らした女が一人写っていた。私だ。
パジャマにも着替えず、酷い格好だ。
休みだからといってメイクは落とさなかったのはまずかったなと反省する。とはいえそれにしてもひどい顔だ。しかしその顔には見覚えがあった。
泣き顔だ。いや多分泣いていたのだとは思うが理由が思いあたらない。どうしてこんな状態で寝てしまったのか。
経験上、私がメイクを落とさずに寝てしまうのは、愛犬が死んだり、大好きだったアイドルが結婚を発表したときだけだ。
しかしそれくらい辛かったことなど、……いや、そもそもそれは泣くようなことでもなかったはずだ。
昨日は彼氏の浮気が発覚して、問い詰めたところ彼に振られたが、そんなことは泣くようなことでもない。
どうして私は泣いたのだろう?
私は不可思議な現象に疑問を覚えながら、とりあえず浴室へと向かった。ゆっくりとストレスの溜まった肌をメンテナンスしつつ、冷え性の身体を浴槽で温める。
浴槽で思考を空っぽにしながら天井を見上げていると、そういえば今日は一応彼とデートだったことに気づく。
人として、彼に今日の予定を聴いておかなければいけない。
振られたのだから流石に今日のデートはないのだろうが、特に彼からなにかを言われたわけでもない。確認はしておこう。
風呂上がりにメッセージを送り、ヨガを始める。ヨガが終わっても彼からの返事はなかったが、既読はついたのですれ違う心配はなさそうだ。
少し汗ばんだからか喉が渇く。お茶を淹れようと机の上を片付けていると、変なものに気がついた。
親指大の小瓶。その瓶の中にはとても綺麗なガラス玉のようなものが入っており、最初は無色透明なのだが、時折その色を宝石のような赤と青に色を変えた。
「キレイ……」
思わず漏れた言葉は本音だったが、どこでこれを手にしたのかはイマイチ思い出せない。
少なくとも昨日まではこの部屋には無かったはずだ。
それとも昨日の帰り道、どこかでこの謎の小物を買ったのだろうか? またそれが私の泣いていた理由と関係したりしているのだろうか?
しばらく頭を捻ったが答えは出てこなかった。
お茶を飲みながら、小瓶を眺め続ける。確かにそのガラス玉は美しいのだが、その美しさ故か不安に駆られた。
ずっと見ていたいような、今すぐにでも家の外に放り捨てたいような。でも結局こうして見続けている。
スマホが震えた。長いバイブ。着信だ。
画面には元彼の名前が表示されていた。
「もしもし? あ、うん。……いや、一応約束は約束だったから、連絡しとこうと思って。ん? あー違う違う、別により戻すとかそういうのじゃないから。メッセにも書いたけど、断っただけだし。……なに? ごめんって。それは浮気をしたことに対して? わたしを振ったことに対して? ……どっちでもいいよ、今更。あー、あと今度そっちに置いてたわたしのもの取りに行くから、元払いで郵送して。……え? あ、そう。じゃあ、かかった金額教えるから後で現金書留で送ってよ。……なに、じゃあ勝手に人のもの捨てたことで警察いちいち呼ぶの? 面倒でしょ。……声が大きい。声抑えてよ。こっちは当たり前のこと言ってるだけじゃない。とりあえず、また連絡するからちゃんと返信してよ。……そう、連絡なかったらちゃんと警察に入ってもらうから。……え? 私だよ。別に何も変わってないって。……強いて言うなら、あなたと別れたことじゃない? ……多分だけど、私、意外とあなたのこと好きじゃなかったみたい。今全然悲しくないし。だから正解だよ、私と別れて。お互い幸せになったってことでしょ? それじゃまた今度。貴方の彼女が捨てた私の私物の代金、リストにして送るから。よろしく」
通話を切る。
こんな感じだったろうか?
もっと彼と話すときはドキドキしていたような気がするけれど。振られた割には悲しくもなく、淡々と事務的な会話だった。
そんなことよりも気になったのはしゃべっている最中に、手元の小瓶のガラス玉が赤や青に激しく光ったことだ。どういう仕組みなんだろ。
今はまた何事もなかったように透き通ったキレイなガラス玉に戻っていた。
私は一日中夢中になってその宝石を眺めていた。
ずっと。
ずっと。
ずうっと。
―――――――――――――――――――――
「何を泣いているの?」
はっきりとわかる。これは夢だ。
夢の中で私が泣いていた。
いやこれは本当に私なのだろうか?
今こう考えているのは私のはずだから、目の前で泣いている私に似た女性は私ではないはずだ。
でも確かに、
彼女は私だ。
私がただただ泣いていた。
理由には、心当たりがあった。
今日、彼氏だった男の浮気が発覚したのだ。
散々枕を涙で濡らしたというのに、夢の中でも涙が枯れないようだ。朝起きたらミイラにでもなっているのではないだろうか?
そして、そんな私の他にもこの夢には誰かがいる。
彼氏ではない謎の男が私の前に立ち先ほどからしきりに尋ねている。
「何を泣いているの?」
男の顔は見えなかった。
黒いモヤがかかっていて、誰かはわからない。それでもなんとなく男だと私は感じていた。
声は低いような高いような、断言できないと言うことはもしかしたら聞こえていないのかもしれない。
夢の中だからだろうか?
そんな正体不明の彼に私は訴えていた。
しかしその声もまた聞こえない。ただその表情を私の知る言葉で表現するなら憤怒が最も適当であっただろう。
声無き叫びに男はしきりに頷いていた。
私がひとしきり主張を終え、目の周りの筋肉が多少緩んだところで、男は私の肩に腕を置いた。
「それはとても辛かったね。じゃあそんな君にひとつ贈り物をあげよう」
男の手が私の眼に触れると、私の瞳からは次々に涙が溢れ出した。男はその触れ涙を掬い取り懐から取り出した小瓶に集めていった。あっという間に親指大の小瓶の中は涙でいっぱいになった。
「とても綺麗な涙だ。純粋な悲しみと怒りが詰まっていて、美しいよ」
そう呟いた男は目の前の彼女ではなく、私を見ていた。
「幸せになれるといいね」
本当にそう思っているのだろう。
なぜ見ず知らずの男にそんなことを思われるのか、理解はできなかった。
私の意識はその言葉を最後に深い闇に落ちていった。
初めて挑戦しましたが知識の無さが露呈してしまった気がします。