憎悪の鎖(9)
三日間は焦燥を覚えたままあまり動けずにいた。デードリッテは自分の感じた疎外感が本物かどうかも分からない。
(あのチェルミって人がブルーと恋人同士になるんだったら、そのほうが自然で幸せになれるのかなぁ?)
己が恋情は疑いようもない。だが、彼女との親密な繋がりは余計な妬心を招いて、不必要にブレアリウスへの迫害を強めてしまうリスクもある。アゼルナンにしてみれば、なぜ出来損ないの先祖返りが重く扱われるのかという思いが生まれるのだろう。
(わたしが根拠のない差別を助長してしまってる。でも、離れたくない。青空の瞳の優しい狼が好き。結ばれても罪じゃないんだもん)
ハルゼトには人間種とアゼルナンの夫婦も存在する。違法でもなければ、珍しくもない日常になりつつある。それなのに難しい。彼女の立場と彼の境遇が二人の障害になっている。
(駄目。一人で考えこんでいると堂々巡りになっちゃう。どうすればいいの?)
視線は人狼の姿を求めてメルゲンス内へと向く。
「あら、今日は一人?」
ドキリとする。聞きたくなかったほうの声。
「チェルミさん……」
「彼ならトレーニングルームよ」
「どうして?」
「さっきまで一緒だったから」
(仲は良くなってる。わたし、このまま負けちゃうのかな?)
節理といえばそれまで。
「行かないの?」
戸惑うデードリッテに疑問の声。
「別にあなたの邪魔をするつもりはないわ。私は私で彼に惹かれているだけ。心を奪う努力はするけどライバルを蹴落とそうとかは考えてないの」
「わたしを?」
「そうでしょ? あの動画を観たもの。あれは乙女の顔。愛玩動物を愛でる顔ではないわ」
チェルミの金の瞳が愉快そうに細められる。
「物好きな、とは言わない。ブレアリウスの中に混在する強さと脆さ。女心をくすぐるのよねぇ。母性のほうが近いかしら」
「理解してるんだ」
「ええ、彼は純粋だもの」
成熟した女性の余裕を感じさせる。比べてしまうと、自分の恋は本物なのか迷いが生まれてしまう。
「気持ちは解るわ。あなたのほうが有名人だから譲ってさしあげるとはいかないけれどね」
自信ありげに緩やかに揺れる尻尾。
「わたしも……、負けない」
「頑張ってね。でも、一つだけ忠告」
チェルミが舌を伸ばして鼻を舐める。なぜか非常に艶めかしく感じた。
「深い仲を望むなら覚悟してね」
くすりと笑う。
「アゼルナンの男は激しいの。あなたの小さな身体だと大変かもしれないわ。教えておいてあげる」
「激しい……」
妄想して頭に血が上る。見た目からして想像がつくだけリアルだった。
「慣れちゃったら人間種なんてつまらなくなるかも。私は試したことないけど」
生々しい言葉が続く。
「そ、そんなのきっと大丈夫だもん。ブルーは優しくしてくれるもん」
「それが言えるのは興奮した男を知らないから。見た目通りのねんねなのね」
「!!」
チェルミは「ふふふ」と笑いながら立ち去る。
ゆらゆらと揺れる尻尾をデードリッテは睨みつけていた。
◇ ◇ ◇
メイリーは悄然と歩くデードリッテを見つける。呼びとめるのを躊躇うほどの空気を纏っていた。
「なぁに?」
後ろから近付いて包みこんだ。
「メイリー……」
「どうしたの? そんな顔して」
「悔しくって」
チェルミというアゼルナン女性との会話を聞かされる。その女人狼のことはエンリコから聞いて懸念していただけに引っかかった。
「明日で半舷休暇は終わり。ブルーもわたしもメルゲンスを離れるから縁が切れる」
指摘しようとしていた点を先回りしてきた。
「でも、それじゃ負けたような気がするの。あの人に彼の心を奪われるかもしれない。一生懸命こっちを向かせようとしても、種として自然な関係に意識がいって振り向いてもらえなくなっちゃう」
(そんなことはないと思うのだけれど、この年頃だと不安が先に立っちゃうのかしらねぇ)
問題は深刻だが、微笑ましくも感じてしまう。
(あのブルーが気を許している相手なんてそうはいないのにね。ずっと生きるか死ぬかの場所でもがき続けてきた野生の狼に)
「女って大変なのよね。なかなか認めてもらえない」
メイリーは切りだす。
「あたしね、元は故郷の国軍にいたの」
「え、そうなの?」
「うん。昔ほどじゃないけど軍は男の職場って風潮が強くてね。色々と言われたわ」
パイロットとして力を示せば変わると思っていた。ところが階級が上がるほどに周囲の視線は冷たくなっていく。枕営業で成績を誤魔化しているとまで陰口をたたかれた。
「そんなことばかりで馬鹿らしくなって辞めちゃった。だから技能がそのままギャランティで評価される傭兵協会を選んだの」
「そうだったんだ」
「後悔なんかしてない。ユニオンのほうが余程気楽だったわ。命を支えあえる仲間にも恵まれた」
恋愛相談なのは解っている。しかし、どれだけ立ち入ったところで経験がなければ理解は難しい。だからよりシンプルな例えにする。
「で、こう思ったの」
あえて軽く言う。
「理屈で動いたってダメなときはダメ。案外気持ちで動いたほうが上手くいくこともあるってね」
「そうなのかな」
「自分の気持ちを優先したら、失敗したときもあんまり後悔しないですむ。そう思うようになったのよ」
デードリッテの目に力が戻ってくる。
「そっか。自然の節理とか考えずにわたしの気持ちを大切にすればいいんだ。だってこれは研究じゃないんだもん」
「じゃない?」
迷いを捨てた様子の彼女に、メイリーは過去の失敗を語った意味を感じていた。
次回 「伝えたいことがあるみたいなんです。お願いだから聞いて」




