闘神の牙(3)
それは誰も知らぬ場所。正確にいえば場所でさえない。一種の仮想空間にしわがれた声が響いた。
『例の件はどうなっとるんかの?』
現れた老爺は髭をしごいている。
『今のところは変化なし。シシルも肝心な部分には踏み込ませてはいなくてよ』
『そうかいの、エルシの嬢ちゃん。あれも運が悪いのう』
『ええ、偶然に偶然が重なって確保されてしまったんだもの』
ここは人工知能ネットワーク。人類が『ゼムナの遺志』と呼ぶ知性の議場のようなもの。
彼らもシシルが捕らわれているのは把握している。ただし、思われるほどの懸念はされていない。
『星間銀河圏を名乗る人類も引き出せはせんじゃろうからの。それこそ破壊せん限りは』
ドゥカルは怖ろしいことを口にする。
『そうね。そして破壊すれば失われるのが解らないほど彼らも馬鹿ではないはず』
『その点は心配いらんか。あとは知られんようにせんとの』
『そっちのほうが問題かしら』
エルシも同意する。
『お前さんとこのヤンチャ坊主が知ったら飛び出していかんとも限らんじゃろう?』
『説き伏せれば大丈夫。聞く耳持たないほど愚かではなくてよ』
老爺の軽口だとエルシも理解している。知られないに越したことはないが。
『お宅の子は説明が簡単で楽そうね』
エルシは皮肉を利かせる。
『あれは動かんよ。儂が頼まん限りはの』
『むしろ怖ろしいのは我の子だ』
『でしょうね、リヴェル』
新たな声に美貌の知性が応じる。
『あれは義理堅い。自分の感情や社会的立場より我らの苦境を重んじてしまいかねぬ。動けば一気呵成だろうな』
『おお、くわばらくわばら』
ドゥカルが震える振りをする。それが現実になれば、彼が子を動かして理詰めで説得にかかるのは請け合い。
『創造主はなんとおっしゃられていて、レイデ?』
闇に問い掛けると緑眼の個が浮上してくる。
『特に何も。どちらかというと面白がっておいでのようです』
『面白がる?』
『珍しい手落ちをしたものだとおっしゃられまして』
彼にばかりは報告をあげないわけにはいかない。
『お怒りではないと?』
『どう思われてのことかは、わたしにも分かりません。現状、静観されるおつもりのようです』
彼らにとっての最上位意思は放任の姿勢をとっているらしい。
『じゃあ、私たちで決めなくてはいけないのかしら?』
『まあ、待つがよい』
もう一つの個が議場へと出現する。
『やぶさかではなくてよ。でも、根拠は何、ラノス?』
『シシルにはもう子がおるのだ』
『ああ、あの人狼ね。ずいぶんと面白い選択だわ』
協定者と呼ぶには縁が薄いかもしれない。が、非常に気にかけていたのは事実である。
『少し前に接触しておる』
『ほう、ここに来られんほどに遮断されているのにか?』
リヴェルが感心する。
『刹那の隙に意志の一部を転写したらしい。かなりの荒業であるがな』
『救援は求めなんだか』
『自己責任だと思っているのだ。旅立つときも自分の意思だと言って聞かなかったであろう?』
シシルがゼムナ近傍を離れて千年は経つ。彼女は新たな主を求めてさすらうことにしたのだ。比較的情の深い個である。
『つまりは、すでに解決に向けた糸口は子に与えられているということですね?』
レイデが結論へと導く。
『そうだ。シシルは自己の存在を自ら選んだ子に託した。ならば我らは静観すべきだと考えている』
『少なくとも失敗するまでは見守るに留めておくべきじゃろうの』
『へぇ、ドゥカルはラノスの意見に賛成なのね』
エルシは興ざめしたような空気を口調に含ませる。
『気に入らんかの?』
エルシにしてみれば少し微妙な印象を抱いている。提言に関しては順当と言って差し支えないもの。ただ、提案者がラノスであるのに引っ掛かりを覚える。
『必要以上の技術拡散が何を招くかはラノスが一番身に染みていると思っただけ』
多少の皮肉を込めている。
『言いすぎですよ、エルシ』
『彼の決断が今の我々の在り方の礎を築いている。少しは配慮してやるべきではないか?』
『ええ、失言だったわ。取り消させてくださる、ラノス?』
レイデとリヴェルに責められ、彼女も思いなおした。情が動いてしまったと反省する。
ラノスはライナックを協定者としていたのだ。初代ロイドから次代のディオンまで彼の助けを借りて三星連盟大戦を戦い抜いた。
ただ、ラノスがもたらした技術は協定者の血族を増長させ、独裁への道を歩ませてしまった。エルシの子リューンがそれに苦しめられたとあっては平常心でいられなかったかもしれない。
『よい』
ラノスも苦しげな声音を漏らす。
『自責の念は捨てておらぬ。何を言われても仕方あるまい』
『そんなふうに言われると私が悪者になってしまってよ。あなたが一歩踏み出さなかったら、彼と関わることもなかったかも。本当よ』
『すまぬな。許せ』
寂しそうに訥々と語る。
『我の主は人と人の営みをこよなく愛しておった。それを忘れられぬのだ。我も人を愛し、人と関わる存在で在りたいと願っておる』
ラノスは本来の主、藍色の髪に白銀の三角耳を持つ青年を思いおこしているのだろう。ここにいるどの個も、その思いを否定できるはずがない。
『どれも人である。我らは見守る者であろうではないか』
リヴェルが重々しく言う。
『なに、もしもの時は創造主が断をくだすであろう。無かったことにすればいい』
指示があれば流出したデータを跡形もなく消し去るのは造作もないこと。もし対処が成功したのならば、シシルの子にその器があったと思えばいい。
ネットワーク上に皆の賛同の意が流れた。
次回 「結構形になってきたでしょ?」




