生きる意味(6)
「おそらくシシルという人物は存在しません」
サムエルはブレアリウスの希望を打ち砕くようなことを言う。
「でも、ブルーは救われているんですよ!」
「落ち着いてください、ホールデン博士。彼の生きる意味を否定しているのではありません」
(誰かの大切な人を貶めるなんてひどい!)
デードリッテは落ち着いてなどいられなかった。
「じゃあ何だって言うんですか?」
「僕が言ったのは彼女が人物ではないということ」
立ち上がった彼女を両手で制しながら金髪の司令官は続ける。
「ゴート宙区で俗に『遺跡』と呼ばれる存在。つまりは『ゼムナの遺志』。アームドスキンを生みだした先史文明が用いていた人工知能。その一人なのではないでしょうか?」
「え、ゼムナの遺志?」
「聞きなれないでしょうね。あまり広くは伝わっていません。あの宙区の人々も軽々に口にする名前ではないのですから」
顕著に発達したアームドスキンを始めとした兵器技術が先史文明の影響であることは知っている。先史文明の遺産が関与していることも。ただ『ゼムナの遺志』という名詞は初耳だった。
(そんな超存在とブルーは知り合いだったの?)
隣の人狼の様子を窺うと、彼も知らないとばかりに首を振る。
「論拠はあります」
彼は当て推量を言うタイプではない。
「言動からするに、シシルはブレアリウス君が生まれてから幽閉に至る経緯を知っています。支族長の家という幾重にもプロテクトがかけられているはずの屋内ネットに侵入しています。これは容易なことではないでしょう」
「あ、ほんとだ」
「しかも手足のように扱っています。彼女にとって下位のシステム、支配下に置くのも簡単だったのでしょう」
たしかに各種センサーや周辺機器も自在に扱っている。
「それだけに飽き足らず、一時的にかもしれませんが軌道エレベータや宙港といった重要施設を制御することさえ可能としています。そこまで高度な侵入テクニックを有しているのに、自己の利益や破壊活動、愉快犯的行動もとっていません」
人間ならどうしても誇示したくなるものだろう。或いは私益に利用しようとする。
「それをしないのは、彼女にとって至極当然のことだからでしょう。どこのどんなシステムもシシルは開けっ放しの家のように自由に出入りできるのかもしれません」
サムエルは恐るべき推論を述べた。
「どんなプロテクトも玩具みたいなものだってこと?」
「ええ。それどころではないかもしれません。門戸さえ存在していれば」
「門戸?」
彼が何を言いだしたのか解らない。
「σ・ルーンです。人間の脳にダイレクトにアクセスする機器を装着さえしていれば一時的な乗っ取りも可能だということです」
「あ!」
録画の中でデードリッテ自身がシシルとして振る舞っている。乗っ取られたということ。
「困難な所業であるはずですが」
その台詞には希望的観測も混じっているようだ。
「でしょうね。例の監視カメラ映像、もう一度見せてくださる?」
「ええ、どうぞ」
アマンダ・グロフ医師が口を挟む。
彼女は映像を超速スローで再生する。よくよく見ればデードリッテが見入っている投影パネルが一定周期で瞬いているのが確認できた。
「制御されてる。これで一種の催眠状態にしたのね。意識を乗っ取りやすいように」
アマンダが証明してみせた。
「一応、手順がないと無理なんだ。ホッとした」
「シシルは誰かを意図的に害したりはしない」
「あ、ごめんなさい!」
ブレアリウスは傷付いた顔をしている。
「たぶん非常手段だったんだ」
「そうだよね」
(危うくわたしがブルーの大切な人を貶めるとこだった)
自分の不用意さ反省する。
「そのうえで本艦に託されたアームドスキンの設計図です」
青年司令官が証拠を並べる。
「僕には読めませんが、ホールデン博士にはそれが素晴らしいものだと分かるのでしょう?」
「はい、シュトロンとは比べ物にならないほどです。正直、ちゃんと分析してみないとわたしにも理解できない部分がいっぱいあります」
「それほどのもの。星間銀河圏では入手困難なレベルのアームドスキン設計図がここにあるのです。オリジナルに近いものだとしか思えません。そんなことができる存在が何かと問われれば自明の理だと僕は思っています」
実に理路整然とした論拠だった。
「シシルが『ゼムナの遺志』?」
「うん、サムエルさんの言っていることはわたしも正解だと思う」
感じ入ったように呟く狼に彼女は言い添える。
(そんなに自分を卑下しないで。あなたはすごい存在に見初められてるの)
意思を込めてブレアリウスを見つめる。
「もしシシルが超文明の産物なんだとしたら」
彼はためらいがちにそう表現する。
「彼女を殺せとはどういうことだ? ここまでの流れで行けば肉体を持っていないという意味になる。殺すもなにもないだろう」
「ほんとだ。変な話」
「僕が思うに、そこが大きな問題点なのです」
彼が愕然としたのはシシルがゼムナの遺志だと気付いたからではないという。彼女がブレアリウスに自分を殺めるよう告げたこと自体がサムエルを恐怖させたらしいのだ。
「ちょっと待ってくださいね」
何か資料を閲覧している。
「やはり記憶の通りでした。本場のゴート宙区でさえゼムナの遺志の本体がどこにあるのか知る者はいないそうです」
「それほど特殊な存在なんですか?」
「ええ、あちらでは神のごとく扱われているそうですから。なのに殺せとはどういうことでしょう?」
彼のおののきを理解した。
「まさか……」
デードリッテはその気付きに自らもおののいた。
次回 「その片鱗はすでに表れつつあると思うのです」




