生きる意味(4)
「わたくしはシシル」
その面に浮かぶ微笑みは聖女を感じさせる。
「あなたは何をしようとしているの、ブレアリウス?」
どうして自分の名を知っているのかなど疑う余裕もなかった。少年は呆然と彼女を見つめる。
「驚いてしまったの?」
口に手を当ててくすくすと笑うと、途端に子供っぽくなる。
「わたくしはずっとあなたのことを見ていたけど、あなたはわたくしを知らないものね」
「知らない……。シシルは、どこの人?」
「さあ、どこかしら」
はぐらかされてしまう。
どう見てもアゼルナンではない。容姿は書庫にある資料でしか見たことない人間種のもの。ブレオリウスには人間種が美しく見えるのか、シシルが特別美しいのかさえ判別できない。
「ブレオリウスはつらい? 死んでしまいたいのね」
彼女は手に握るナイフを指差す。
「生きていても仕方ないんだ。家族はみんなぼくがいないほうがいいと思ってる。街の人も。警官まで殺すのも面倒そうにしていたし」
「そう」
シシルは小首をかしげてじっと視線を合わせる。まるで本当に正面にいるかのごとく。
「わたくしはそうは思わない」
瞳を閉じてゆっくりと首を横に振る。
「だって一方的な迫害だもの」
「でも、ぼくがいると困るんだ、みんな」
「そっちのほうが間違いだって思わない?」
彼女の青い瞳は諭すような色を帯びている。
「アゼルナンも生き物。生きていくうえで多くの命を奪ってる。それは自然なこと。褒められた行為ではないとは思うけれど、戦争だってそう。生存競争の一部だと思っているわ。でも、弱者だからといって自分から死を選ぶ必要なんてないの」
「弱者は生きるも大変なんだ。皆が咎めるし」
「いいえ、誰の目を気にする必要なんてないのよ。最初から決まっている弱者なんていない。容姿の違いなんて小さな理由で決まるのはおかしいの。あやふやな根拠で決められているだけ。当事者であるあなたまで認めなくてもいいのよ」
国に伝わる習慣を否定される。常識をくつがえされるのは禁忌に感じる。それなのにシシルの筋道だった説明はそれが正しいと思えてしまう。
「生きてていいの?」
「もちろん」
彼女はにっこりと笑う。
「あなたの生きる権利は誰も奪えないし、わたくしも生きていてほしいと思うわ」
「大変だけど、我慢して生きていたらシシルは嬉しい?」
「ええ、とても嬉しい」
衝撃が心を貫く。
「そんなこと言われたの初めて。生き……、生きてていいんだ……。ぼく……、生きるよ。シシルが……、喜んでくれる……なら」
3D映像には縋れない。抱きつきたくともできない。だが、心は縋る当てを見つけることができた。
しゃがみ込んで泣きじゃくる。彼女の身体がふわりと舞ってブレアリウスを包みこんだ。
なぜかそこに温かさを感じた。
◇ ◇ ◇
それからのブレアリウスは変わった。生き残る方法が必要。
外は危険すぎて簡単には出られないと解った。万一のときに身を守る術も不可欠。戦う力を身につけるのも有効だと思ったし、それだけでもいけないと思う。相手は圧倒的多数である。暴力にさらされても耐えうる身体も作らねばならない。
あり余る時間を鍛錬に使う。半分を強靭な肉体作りに使い、残り半分を戦う術を得るために使う。
そこには刀剣類もある。銃器に敵うべくもないが、何もしないよりマシ。何より他に武器がない。
検索システムを使って剣術の書籍を探し読みふける。見よう見真似で基本の振り方を憶え、もし実戦となった場合に備えて独自のテクニックを考える。
あれから数ヶ月に一度くらいの頻度で、家人が誰も入ってこない頃合いを見計らってシシルが話しにきてくれる。それも生きる糧になっていた。
「そう、頑張っているの」
「うん」
彼女だけには笑顔を見せてもいい。
「あまり頑張り過ぎてはだめ」
「弱いままなのは怖いよ」
「あなたはまだ子供なの。筋肉が硬くなってしまうと逆に成長を妨げてしまうわ。小さい身体も不利に働いてしまうでしょ?」
常に彼を思いやってくれるのが嬉しい。
「そうだね。わかった」
「前向きになってくれたのはとても良いと思っているのよ」
そうして三年が経ち、八歳になる頃のブレアリウスは丈夫な体作りができていた。
しかし、秘された存在の彼にも転機がやってくる。人の口に戸は立てられない。察知した相手の訪問を受ける。
「なんだよ。生きてたのかよ」
兄の一人、アルディウスである。
「アーフの恥さらしが」
「…………」
七つも上の十五歳の兄に逆らうのは危険だ。
「なんとか言えよ!」
力任せに殴られる。痛みとともに首がねじれる。歯を食いしばって耐えた。
「痛ってぇ!」
痛かったのは彼だけではないようだ。
「なんなんだよ、お前は! 硬い顎しやがって!」
手を押さえて顔を顰めている。殴った拳の痛みまで保証はしかねる。
「この野郎が! 僕が父上の代わりに処分してやる!」
すでに訓練を受けているらしい兄は次から拳は使わない。人体でもより硬い部分を使って攻撃してくる。肘と膝による殴打が少年の身体をさいなむ。
鬱憤晴らしがすんだアルディウスは、この事実を知られると困る家人に急きたてられて地下室を去った。ブレアリウスは壁を背にへたり込む。そんな仕打ちにも耐えられるようになっていた。
「耐えて、ブレアリウス」
「シシル」
頭を抱く仕草をされている。
「もう少し大きくなったら外の世界でも生きていける。それまで我慢よ」
「うん、頑張ってみるよ。それまで生きていられるか分からないけど」
兄に知られてしまった。他の兄に知れわたるのも時間の問題だろう。暴虐にさらされて生き抜くのはなかなかに厳しい。
(でも、シシルが生きろって言ってくれるなら)
か細い思いだけがブレアリウスを支えていた。
次回 (それでも生きていたいというのはあさましい願いなんじゃないだろうか)




