陥穽の檻(4)
開け放たれた扉から覗くと部屋の主は黙々と身支度をしている。アンダーウェアの下では鍛えぬかれた筋肉が隆起していた。
「養生は十分かい?」
意味のないノックをしつつ問う。
「兄上か。問題ないぞ」
「身体のほうは大丈夫そうだ。でも、猿どもに拘禁されるという屈辱で傷付いた心は癒えていないだろう?」
「当然だ」
カチカチと牙の鳴る音がする。
エルデニアンは内心、忸怩たる思いが渦巻いていることだろう。敵に大損害を与えるどころか捕虜になり、ブレアリウスを討つことも叶わず、ぎりぎりの状態で逃げだしてきただけ。
「父上が機会をくれた。この雪辱、晴らさずにおくものか」
アルディウスに向けた目は闘志にみなぎっている。
「それでこそだね。父上に推挙した価値がある」
「兄上が?」
「あの作戦は僕が上申したものだからね。詰めは信用に足る人物に任せたいと思っているよ」
弟の耳がピンと立つ。喜びを感じているようだ。
「感謝する。必ずや兄上の信頼に応えてみせよう」
「頼むよ。僕はどちらかといえば裏方タイプだから前線は苦手なんだ」
「承知した。我らが兄弟でアーフ家を盛り立てていこう」
(そんない喜ぶなよ。扱いやすくて心苦しくなるじゃないか。せいぜい最前線で頑張ってくれ)
内心であざける。
「そのためには、あの家の恥である先祖返りを何としても除かねばならない。確実に仕留めてくる」
弟の頭の上のアバターは歯をむき出しにしていた。
「そう願いたいね。どうにも邪魔で仕方ない」
「オレが兄上の杞憂を取り払ってやろう。だから状況作りは頼む」
「ああ、任せてくれ」
鼻息荒く言う。彼の言動を信じて疑いもしない。そんなことでは支族長として政治の表舞台で戦うのは無理だとも思わないようだ。
(腕は悪くないんだがそれだけだな。戦力にしかならないね)
実弟に対しても計算しか働かない。
(ブレアリウスが厄介な存在になってきてるのは本当。あれを仕留めてきてくれるなら取り除く必要もないか。ずっと戦士として役立ってくれればいい。僕の下でな)
役に立つうちは生かしておいても構わないと考える。エルデニアンを担ぐかもしれない有力支族を除くだけで危険性は最小にできる。そんなに難しいことではない。
アルディウスは弟の健闘を祈る言葉を口にして部屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
(万難を排したいところだが、どうもあの男の顔色は読めない)
スレイオス・スルドはベハルタム・ゲルヘンを後ろに従えて格納庫への通路を進む。このアルビノのパイロットは協力者。口数少なく、彼の命令なら何でも聞くので重宝している。
(本国が苦戦している原因の何割かはサムエル・エイドリンという司令官が占めているかもしれない。この作戦で始末をつけられればいいが、取り逃がすようなことになれば難しくなる。この艦は確実に沈めておきたいところだな)
連絡役として再訪した彼にサムエルは多くを要望しなかった。ハルゼト軍はラウネルズシャフトの防備に徹してくれればいいと言う。管理局員の救出は星間平和維持軍の戦力で行うそうだ。
(随伴して誘導してやろうかと思っていたが、ここで異論を唱えれば不審に感じるか)
戦局に大きな影響はなく、ただ職員の救出だけが目的。それはGPFの役目だと言われてしまえば反論はしづらい。
「重くない? 大丈夫?」
「ちょっと重いけど動けると思う」
「じゃあ減らさなきゃね。重力下だともっと重くなるから」
そんな会話が耳に入ってくる。ハンガーの一角で少女がラバースーツの上にプロテクタを装着している。華奢な身体に金属光沢のある保護具はいかにも重たそうだ。
(そうだったな。この娘がいた。エントラルデンを沈めるのは考えねばならない。確保しておきたい)
侮れない娘だ。猿にしては知恵が働く。本国に連れ帰れば利用価値があるし、成果を挙げさせれば彼の地位も安泰になるだろう。
「どうなされたのかな? ずいぶんと物々しいが」
予定を変更して話しかける。
「あ、えーっとスレイオスさん? と、白い狼さん」
「これはベハルタムといいます。お見知りおきを」
「そうなの。ごめんなさい、ベハルタムさん」
まだヘルメットを被っていない男は目礼を返している。
「貴女も同じエンジニア。そんな装備は無縁ではありませんか?」
「ううん、一応着けようかなって。今度の作戦で実行部隊に加わるから」
「はぁ?」
(GPFは何を考えている。エンジニアを現場に出すというのか? ましてやこの作戦は……)
救出実行部隊の安全を担保する計画ではない。人質にするにしても軍の幹部クラスで十分と考えられている。
「戦場働きまで求められているのですか? それは間違っている。やはり貴女はGPFに居るべきではない」
「いえ、これは……」
「私なら見合う働き場所を用意できる。我がほうに来ていただこう。ベハルタム、お連れしろ」
前に出たベハルタムが娘へと手を伸ばす。傍にいた女パイロットが阻止しようとするが人間種の膂力では勝負にならない。
「来い」
「待って! いや!」
「させはせん」
娘の後ろに現れた男がその手首をつかむ。拮抗してピクリとも動かない。
赤い瞳と青い瞳がにらみ合う。牙がギリリと鳴った。
「触るな」
「俺の台詞だ。彼女に触るな」
一発触発の空気にハンガーがざわめく。視線が集中しているのが分かる。それは彼にとって本意ではない。
「無理強いはいけませんか。ベハルタム、ここは退け」
「…………」
黙って下がる。
「博士、もう少しご自身の価値を高く置くべきです。私なら適正な評価ができますよ。憶えておいていただきたい」
「行け。見て分からんか?」
「ふん」
(先祖返りなどに言われるまでもない)
鼻をひとつ鳴らして身をひるがえす。
怯える娘に背を向けてスレイオスは帰還の途に就いた。
次回 (なぜだ? あの方向は!)




