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パチャパチャパチャパチャ……
「――え?」
「んもぅ。いきなり押し倒されたらビックリするでしょ」
何故か、痛みは、襲って来ません。
耳にしたのは、水の落下音。
恐る恐る瞼を開くと……宙には氷柱ではなく水球が浮かんでいました。
それが次々に地面へと落ち、飛沫が龍湖の頬を濡らします。
りばいあ様が龍湖に慈悲を……?
「ばかな……貴様、何をした?」
が、それは見当違いだった様子で。
りばいあ様の反応を伺う限り、助かったのは寵さんの力らしく。
「僕の側が一番安全だから、離れないでね?」
龍湖は頷きます。
ドキリと心臓が高鳴り、顔が熱いです。
「そうか……雲を晴らした力といい……貴様の能力、大凡の検討はついた。しかし、ここまで食い下がった奴は初めてだ。褒めてやろう」
「え? ああ、別に嬉しくないけど。てか、今の龍湖にも当たりそうだったでしょ。いいの?」
「ふん……既にワシは大いなる力を持っている。最後に、貴様らを食ってこんな村など捨て、手始めにこの国を制してやろうと考えていた所だ」
それが、りばいあ様の真の目的でしょう。
何代も雨宿の女が仕えた神の目的。
我々はその為に利用されていた。
ですが、不思議な事に、そこまでの衝撃はありませんでした。
「ぷぷーっ」
「……なにが可笑しい」
「井の中の蛙というか、井の中の蛇というか。りばいあ様さぁ、自分を凄い悪っぽく語ってるけど、気付いてないの? それとも、考えないようにしてる?」
「何の話だ」
「絡新」
寵さんの言葉に、一瞬、りばいあ様がビクリと水面を揺らします。
じょうろ?
「知らない筈無いよね。この界隈で大昔から嫌でも耳にする名前だ。【冥府の女郎蜘蛛】だの【神奈備(あの世とこの世の境目)の女将】だの悪口言われてる、妖界の重鎮。そのネットワークは広くて、『何か事を起こそうとしてる』妖が居れば、確認の為、遣いの者を回す人だ」
「貴様……いや、貴様、絡新の遣いか? ワシを止めようと?」
「僕は遣いじゃないよ。たまに頼まれるけど、今回は関係ない。現状、あの人の蜘蛛の巣が無反応って事は、りばいあ様は『取るに足らない』対象って事さ。ママンも一目置く絡新は、こんな村に興味を持つほど『暇じゃ無い』」
直後。
りばいあ様を中心に湖の水が赤く染まります。凶兆の色。
「ふ。よくぞそこまでワシを愚弄出来たものだ。その胆力、嫌いではないが……貴様が、絡新の遣いだろうとそうでなかろうと最早関係無い。絡新など、貴様を片付けたあとに捻り潰してくれるわ」
「あ、補足として。この村の事を教えてくれたのは絡新じゃないのは確かだけど……『もっと上』の存在からさ」
「ぬかせっ。貴様はこれで終わりだっ」
湖から赤い湯気が立ち始め、それが空へと上っていき……一〇秒も掛からず村を覆うほどの【赤い雲】が形成されました。
太陽は隠され、再び辺りが暗くなります。
「この雲はワシの力が込められた特殊なモノ。貴様の力でも晴らせまい。そして……降り注ぐ雨は『全てを溶かす酸性の毒雨』。最早貴様に逃げ場など無いっ」
それは、村人も全て巻き込まれるという事です。勿論、お婆ちゃんも。
「め、寵さんっ」
焦る龍湖を、寵さんはスッと手で制します。
こんな状況でも、彼は涼しい顔で。
「羨ましいよ、そんな派手な技バンバン使えて。僕の力は地味だからね」
「その軽口塞いでくれるっ! 【水陣 凶雨(すいじん まがさめ)】!!」
天から落ちて来る血のように赤い雨。
全てがスロー。
死の直前に見る走馬灯という現象でしょうか。
流石に龍湖一人が覆い被さっても寵さんは守り切れません。
死は怖くないです。
けれど、この美しい寵さんの顔が毒によって崩れる未来が、心残りでならなくって……
「…………ちぃ。やはり貴様、『熱を操る』力を持っているな」
再び覚悟した激痛は、今度も襲って来なくって。
龍湖が空を見上げると……雨は『時間を止めたように』頭上で静止していました。
「雲を晴らしたのも、氷柱を溶かしたのも、今の状況も。全て熱の力だな? 氷柱は熱風で、雲や凶雨はその熱風を利用した強烈な上昇気流で止めたのだ」
熱の力……お風呂で転びそうになった龍湖が、一瞬浮かんだような感覚になって助かったあの事象。
それも、寵さんの熱の力? ならば、確かに可能でしょう。
ですが……引っ掛かります。
その力で『お婆ちゃんの病や龍湖の目を治すのは』、果たして可能でしょうか。
「面白い考察だね」
寵さんが手で払う仕草をすると、止まっていた雨は天へと上って行き、雲の中に戻りました。
「けど、だとしたら、どうする? 君には僕ったら最悪の相性じゃないかい? まぁその様子だと、まだ奥の手がありそうだけど」
「さぁてな。期待に応えられるかどうか……『受けてみるか?』」
ゴロロ……ゴロロ……
空気が震えます。
この、肌がピリピリする感じ……気配の出所は、やはり空で。
上空、凶々しい赤い雲は健在なまま。
その雲が、激しく、点滅します。
「『溜まった』か。さて貴様、これはどうする。足掻いて見せよ」
瞬間。
赤い雷鳴が光って――――
「【雷陣! 凶雷!! (らいじん まがつち)】」
――――――――ドンッッッ!!
音と
光と
衝撃が
遅れて、龍湖達に降り注いで――――
…………
……
「はぁ……はぁ……まさか、奥義を出す羽目になるとは……しかし……これは流石に……回避出来まい……」
焦げ臭さが、鼻をつきます。
そんな……寵さんが……
彼の居た場所からは赤い煙が立ち込め、何も見えません。
「ふぅ。最早形すら焼き切れて遺っていまい。アレほどの使い手、殺さずに食えば更に力を得られたろうが、まぁ良い。――巫女よ。貴様がワシに一泡吹かせようと奴をワシにぶつけた件、万死に値するが、少しは愉しめた礼だ、特別に赦してやろう」
りばいあ様が何かをおっしゃられてますが、龍湖の頭の中は寵さんで埋め尽くされていて。
寵さん……寵さ……………………あ……れ?
煙の奥に見える、この、『気の存在感』は……
「さぁ巫女、こちらへ来い。この村でワシを満たす最期の巫女としての名誉を……、
……巫女、貴様、何故『生きている』?
あの凶雷は、貴様ごと焼き尽くす程の――――ッッ!!」
りばいあ様も、煙の方を見ます。
徐々に、煙が晴れて行って……
「あーあ。折角の浴衣が焼き切れちゃったよ。こんな『お色気ヒロイン』みたいな目に遭わされるなんてさ」
寵さんは、全裸でした。
腰に手を当てたその堂々たる姿は、一つの芸術品のようで。
その身体には、怪我どころか土汚れ一つありません。




