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「本当に唐突だなぁ、妃さんは」
ベッドに寝転びつつテーマパークの(辞書並に分厚い)パンフレットを眺めて、私は明日からの予定を立てます。
――テーマパーク プランテーション。
今年で25周年になるらしいこの場所ですが、不自然なくらいに認知度が『高かったり低かったり』。
コンセプトは『異世界』。
パンフレットの最初のページには、こう書かれています。
『このテーマパークは、当初、剣と魔法の異世界から移住した我々魔族が生活費を稼ぐ為に始めました』
……多くの人はこの文章を見ても『世界観作り』としか思わないでしょう。
けれど。
『知っている者』であれば、苦笑いが浮かびます。
何故、私はこの場所を『忘れて』いたのでしょう。
知れば誰もが行きたくなる夢の世界なのに……その存在は泡沫で朧げ。
私も、お昼休みまで『忘れていた』くらいです。
『入園経験者』なのに……あんなに『強烈な出来事』があったのに。
――でも、妃さん。
あの方は『憶えていない』でしょうが、私は『憶えています』。
私はベッドに座り、チラリ……目に入るのはタオルケット。
昨日、妃さんが『匂いを染みませた』タオルケット。
コレだけではなく、ベッドにも彼の甘い香りが……。
ドキドキドキ……ダメだと分かっていながらも、その手はタオルケットに伸びて
トントン
「ッ!? は、はいっ」『お姉様……天女です』「あ、天女ちゃん!? ど、どうぞっ」
ベッドから降り、なんとなく服を整える。
妹相手に謎の緊張……情けないけれど、彼女がこの部屋に来るのなんて本当に久し振りだから、仕方ないのです。
「(ガチャ)失礼します。夜分遅くに申し訳ございません」
キュートなドレスタイプの寝間着姿で現れた天女ちゃん。昔は小動物のようなコロコロした可愛さだったけれど、今は凛とした芯のある美人さんに成長しています。
「す、好きなとこに座ってっ」
「では……、……っ」
ピタリ。クッションの側に腰を下ろそうとしていた天女ちゃんが中腰のまま止まりました。
「ど、どうしたの?」
「……ここに【あの方】が座ったのですか?」
「え? あ、ああ、妃さん? 確か、そうだったかな……?」
「そう、ですか」 改めて腰を下ろす天女ちゃん。
どうして分かったのでしょう? ……いえ、彼を知る者なら忘れようが無い。
どこかソワソワとしている天女ちゃん。少し荒い鼻呼吸。
そう――『香り』。
染み込んでいるのはベッドだけではありません。
妃さんのこびりつくような甘い香りには、中毒性がありました。蠱惑的、という言葉はこういったモノに当てはめるのでしょう。
それは、暴力的なまでに、問答無用に人を惹きつける『王たる素質』。
五感の中で最も出来事を記憶するのは、視覚でも聴覚でもなく嗅覚と言われるくらいなので……彼の香りが残るこの場所は、まるで彼が側にいるように錯覚してしまいます。
「そ、それで、何か私に話がっ?」
「いえ、明確な目的はありませんわ。ただ、明日からの件について。お姉様は、既にご予定が?」
「え、ええっと、適当にフラフラと周るつもりだよっ。妃さんが自由行動だと言ったら、だけどっ」
「そうですか。もし、よろしければその際、同行しても?」
「えっ?」 妹からの予想外の提案に、私は目を丸くします。あんなに避けてたのに……どうして。
「駄目、でしょうか?」
「う、ううんっ、大丈夫っ。でも、私が行きたい所は天女ちゃんに合わないかもしれないよ?」
「構いません。わたくしは、昔のようにお姉様と色々な事をしたいだけ。よいご返事を頂けて嬉しいです」
「あ、天女ちゃん……」
そこまで考えてくれてたなんて……彼女の優しさに心が温かくなります。
「不本意ですが、こうしてキッカケを与えて下さったあの方には感謝せねばなりません。恩人に対して失礼な物言いですけれど」
「き、妃さん、だよね……」
ツンとした言い方だけれど、彼を語る天女ちゃんのホッペは赤くって。やっぱり、この子は彼に惹かれている。あんな、まるで漫画のヒロインのような目に遭えば、そうならざるを得ないのは解りますが……。
初めは『良いキッカケ』だと思っていました。お父さんや家の者以外の男性が嫌いな天女ちゃんですが、妃さんとの触れ合いで少しは苦手意識も……と。
けれど、甘く見ていました。妃さんは『劇薬』だ、と。
彼と居れば居るだけ彼にドップリ浸かるだけで、他の男の人との距離が縮まるわけでは決してないと。
解るんです。私と天女ちゃんは『同じ』だから。
――止めるとしたら今。手遅れでなければ。
「ま、まぁ明日も、妃さんの(気分次第だけど)相手は『私がする』よっ。天女ちゃんは気にしないでいいからっ」
「……お姉様」
すると、彼女は怒ったように眉を顰めて、
「またお一人で抱えるつもりですか?」
「え? わ、私は、そんなつもりじゃ……」
「いいえ、先日の件もそうです。わたくしの為に、貴方はあの方にその身を捧げたというでは無いですか。わたくしは、それを知ってなお立場に甘んじるほど薄情ではありませんわ」
「で、でも……今更どうにも出来ないし……こっちの一存なんて妃さんは聞いてくれないだろうし」
「解りませんよ。元はわたくしが助けられたのです。本来ならお姉様ではなくわたくしがあの方の言い成りになるのが道理。明日、そう提案しますわ」
「そ、それは駄目っ。天女ちゃんは、妃さんがどれだけ欲望に素直か知らないから……」
場所も選ばずエッチな事してくるし……多分学校でも容赦無い。風紀委員な立場も無視(利用)して『ノーパンで授業』とか普通にさせるよっ。
「……随分と、あの方の事を理解してるんですね。けれど、わたくしも『それなりに知りました』ので。決定は変わりません。それでは、また明日」
「えっ? し、知りましたってなに? 天女ちゃんっ」
折角仲直りしかけたのに、意味深な事を言って部屋から出ようとする天女ちゃん。
私はどこで選択肢を間違えたのでしょう? ……いえ、間違えてはいません。ここで折れてはいけない、心を鬼にしなくてはいけない。
天女ちゃんほど魅力のある女の子、普通の男性は放ってはおかないでしょう。恋愛で困る事など、本来であれば、悩む必要の無かった事。
けれど……妃さんは普通ではない。
天女ちゃんが彼に本気になればなるほど、天女ちゃんが傷付いた時のダメージは計り知れません。
例え、私が今以上に嫌われたって……これ以上、天女ちゃんが彼に溺れるのを阻止しなければ。
「(ガチャ)……お父様?」
天女ちゃんが部屋の戸を開けると、そこには手を胸まで上げたお父さんが。
「お、おぅ、丁度今ノックしようとしてたとこなんだ。珍しいな、お前らが同じ部屋にいるなんて」
「え、ええ」「そ、そうですね……」
「ん? ま、いいや、なら都合がいい。明日、学校休みだろ? 俺も奇跡的にオフ取れたから、三人でどっか行かねぇか? 久しぶりにお袋……『ばぁちゃんとこの旅館』とかよぉ」
なんという間の悪さ! こうは言うお父さんですが、私達の事を考えて、無理をしてお休みを取ってくれたのでしょう。このタイミングでさえなければ……キリキリと胸が痛くなります。
「申し訳ありませんお父様。明日は、お姉様と共に行くべき場所が……」
「そ、そうか! いや! いいんだ! お前らが仲良く遊ぶのが目的だったからな! 問題ない!」
ああ……ここでその予定が『妃さん関連』と知れば、お父さんはどんなお顔になるでしょう。
「邪魔したな!」と引くお父さん、「では」と頭を下げて部屋から出る天女ちゃん。
――不安と罪悪感と、少しばかりの期待を胸に抱いて、夜は更けていきます……。