その2 ハヤテ
「カーチャ! カーチャ! 貴方どこに行ったんですの?!」
空を飛ぶ飛行物体、プロペラ式のレシプロ機の操縦席では、レッドピンクの髪の少女が半狂乱になって辺りを探し回っていた。
「ちょ、ティトゥ、落ち着いて! 勝手にあちこち触らないで!」
若い男の声が慌てた様子で少女をたしなめる。
おかしなことに操縦席には少女の姿しかない。通信機から漏れた音だろうか?
いや、違う。不思議な話だがこの飛行機には人間の心が宿っているのだ。
つまり今の男性の声はこの飛行機の発した声なのである。
少女ーーティトゥはその声に驚いて目を見開く。
「今の声、ハヤテですの?! 貴方いつの間に言葉を喋れるようになったんですの?!」
「あ、あれっ? そういえばそうだね。これってどういうこと?」
ハヤテと呼ばれた男性は、ティトゥに言われて初めてそのことに気が付いたようだ。
慌てていて気が付かなかったのだろうか?
「それよりカーチャですわ! カーチャがどこかに行ってしまいましたの!」
ティトゥは今にも泣き出しそうである。
どうやらカーチャという人物が彼女と一緒に乗っていたが、いつの間にか姿を消してしまったようだ。
少しの間何か言い淀んでいたハヤテだったが、やがて気持ちを切り替えるようにティトゥに話しかける。
「カーチャの事も心配だけど、今はちょっと下を見てくれないかな? 大事な事なんだ。」
「? いつの間に陸に戻っていたんですの? さっきまで海の上を飛んでいたはずですが・・・」
ハヤテは尚も言うかどうか迷っていたようだが、ついに意を決して少女に打ち明けた。
「信じられない話かもしれないけど、聞いて欲しい。ひょっとしてここはティトゥ達の世界とは別の世界かもしれない。」
ハヤテの言葉の意味が理解出来なかったのだろう。ティトゥは訝し気に眉をひそめただけであった。
「さっき僕の機体が嵐の中でもないのに凄く振動したよね。あの揺れに僕は心当たりがあるんだ。」
「ちょっと待てハルト! どこに行くんだ!」
ウサ耳の少女、ティルシアが咄嗟にハルトと呼ばれた青年の腕を掴んだ。
ただそれだけの事で、今にも島の奥に走り出そうとしていた青年は、まるで腕がその場に固定されたかのような不自然な動きで足を止めた。
「痛!」
「あ、すまん。」
慌ててハルトの腕を離すティルシア。ハルトの腕は赤く腫れ上がっている。
肩を押さえて唸るハルト。どうやら無理な力がかかって筋を痛めてしまったようだ。
「どうしたんだ? お前らしくもない。そんなにさっきのモンスターが気になるのか? 何だったか名前を呼んでいたみたいだったが。」
すっ裸で茂みから出てきた少年、エタンに自分の替えの服を手渡していたカイは二人の会話に耳をそばだてる。
「あれは俺の世界の・・・俺の知っている国のモノかもしれない。」
「お前の? もしかしてマルティン様が言っていたニホンという国か?」
ハルトが驚きに目を見張る。「あの馬鹿、フォスの人間相手にそんな事まで喋っているのか。」聞こえないほどの小声で吐き捨てるように呟くハルト。
「ああ、まあそんな所だ。それを知るためにも俺はさっきのヤツを調べに行かなくちゃいけない。」
二人の会話を聞いて少し考え込んでいたカイだったが、顔を上げるとハルトに話しかける。
「ならみんなで行こうか。どのみち僕もこの道の先を調べるつもりだったし。向かう方向は同じなんだ、別々に行く意味は無いよね。」
カイはハルト達と行動を共にするメリットとデメリットを秤にかけて、一緒に行った方が良いと判断したのだ。
(ハルトというこの青年はあの魔獣に関する何かを知っているみたいだ。彼らと行動を共にすることによる不確定要素よりも、ここは目の前の手がかりらしきモノの方を優先するとしよう。)
それに自分の見ていない所でハルト達に何か仕出かされても困る。
カイはいつもの微笑みを浮かべてエタンに問いかける。
「エタン。君もそれでいいよね?」
「え? あ、ハイ。それで僕は今どこにいるんでしょうか?」
またその話になるのか・・・ カイは小さく肩をすくめた。
「王都の近く?! ええっ! どうしてそんな遠くに?! ペリヤ村はローラン王国の端にあるはずなのに!」
時間の節約のため、エタンへの説明は島の奥を目指して歩きながらすることになった。
ここが王都近海の島と聞き、村とあまりにかけ離れた距離にエタンは驚愕の声を上げた。
エタンの言葉にティルシアがコテンと可愛らしく首を傾げる。
「ローラン王国? 聞いたことのない国だな。この国はカレンベルク帝国だぞ。」
「ええっ! どこの国ですかそれ?! 僕、聞いたことが無いですよ?!」
ティルシアの言葉に驚くエタンだが、今度はカイも驚く。
「いや、この国はオクレール王国だよ? 確かこの国のずっと北の方にある国が帝国だったと思うけど、名前はカレンベルクじゃなかったはずだけど?」
ティルシアはカイの言葉に目を見張る。
「えっ? どういうことだ? じゃあ結局ここはどこの国になるんだ?」
カイは一人前を歩くハルトへと話しかける。
「ハルト。君はどう思うかな?」
「・・・多分俺達の方が異邦人だ。お前の方が正しいだろう。」
ハルトの言葉にティルシアが絶望したようにしょげ返った。
ウサ耳も頭の上でへにょりと垂れ下がる。
「そんな・・・ じゃあどうやってスタウヴェンまで帰ればいいんだ・・・」
どうやらスタウヴェンというのが彼女達のいた土地のようだ。
もちろんカイの知らない地名である。
「そんなことより、村が見えてきたぞ。小さな村のようだが、一応用心しておけよ。」
ハルトの言葉に三人が慌てて前を見る
道の先、遠くに森が開けた場所に村のものと思われる柵が立ち並んでいるのが見えた。
「ということは、ここはハヤテのいた国なんですわね?」
「う~ん。多分違うんじゃないかな・・・」
「・・・もう意味が分かりませんわ。」
ピンク髪の少女、ティトゥはハヤテの要領を得ない説明に匙を投げた。
ここは村の中央にある広場。
ハヤテは島の上空を飛ぶうちにこの無人の村を見つけた。
丁度着陸出来そうな広場もあったため、一先ずここに降りて様子を見る事にしたのだ。
(多分あの揺れは、僕が四式戦の体になって異世界転生をする原因になった地震と似た物なんじゃないかな・・・)
だとすればここは彼にとって異世界の異世界ということになる。
人間の体に戻っていないことからも、おそらく地球に戻れたという訳では無いだろう。
(いや、ひょっとして元の身体はとっくに火葬にされていて、もうこの世には存在していないのかも・・・)
今更のようにその可能性に思い当たり、急に焦り出すハヤテ。
「とにかく、ハヤテはここが私の知らない世界だと言うのですわね。私達は謎の理由でここに飛ばされて、カーチャはそれに巻き込まれずに済んだ。それでいいのですわね?」
カーチャは自分達の世界に残されたのではないか、というハヤテの推測に少し安心するティトゥ。
しかし、ハヤテが言い淀んだ原因は正にそのことにあった。
(あの時、僕は高度2000mを四式戦の巡航速度、時速380kmで飛んでいた。僕があの世界から消えた事でカーチャがそのまま空に投げ出されたとしたなら今頃どんなことになっているか・・・)
その想像は彼に激しい焦燥感をもたらすが、この事を打ち明けていたずらにティトゥを不安にさせても仕方が無い。
(考えても結論の出ない事は一先ず後回しにしよう。今は目の前のティトゥの安全を優先しなきゃ。)
ハヤテがそう意識を切り替えた時、ティトゥが村の入り口を見て声を上げた。
「誰か来ますわ。ここの村人が戻って来たのかしら?」
ティトゥの声にハヤテが村の入り口に目を向けた時、信じられない言葉が彼の耳に届いた。
『やっぱり零戦だ! どういうことだ?! ここはオクレール王国とやらじゃないのか?! それともオクレール王国は地球にある国なのか?!』
それは彼の慣れ親しんだ母国語。日本語による叫び声であった。
次回「二人の日本人」




