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記憶の残し方と上書き方法-3-


 しばらく大道を歩きたどり着いた家は日当たりの悪い土地に建つ煉瓦造りの二階建てで、窓はそこまで多くなく狭い敷地にはそこらかしこに雑草が蔓延(はびこ)っていた。

 少女はいつも通りの手つきで鍵を外し、いつも通り誰もいない真っ暗な室内に向かって“ただいま”を告げた。


 返事が返ってくるはずもなく、静まり返った室内に苦笑を零したその時──。


「おかえり」


 サラッと背後から聞こえた気がして後ろを振り向くと、先程までの切ない表情が嘘だったと思えるような悪童の笑みを浮かべてたニトが「人が傷つかないイタズラは最高だろ」と呟くとバイクを押して裏手に向かっていくのが見えた。


 少女はクスッと笑って部屋に入った。


「なんだ、言うほど狭くないな……おぉ、薪ストーブなんてのもあるのか!」


 いつの間に戻ってきたのか、ニトは店でも持っていたバッグを携えて部屋に侵入してきた。


「マスターの知り合いから部屋ごと借りてるんだ、荒らさないでくれよ? ハーブが切れてて出せるお茶もないけど……まぁ、くつろいで」


「へぇ、どんな金持ちと知り合いなのかね」


 と独りごちるニトを傍目に、少女は玄関脇にポツンと置いてあったポールハンガーにコートを掛け置くと、部屋の中を回って蝋燭に火を灯しながら言った。


「人を荒くれ者みたいに言いやがって……。茶なら俺が淹れよう、ちょうどこの街に着いた時に買ったカモミールがある。暖炉借りるぞ」


 ニトはそう言うと慣れた手つきで薪ストーブに火をいれて、腰に携えた空挺軍水筒(キャンティーンカップ)──鍋・フライパン・水筒が一つにまとまった水筒──を分解し、その鍋に水筒の水を注いぎ、ストーブの上に置いた。


 薪ストーブと蝋燭が温和な雰囲気を醸し出す空間で、少女とニトはテーブルを挟んで向き合うように椅子に腰を沈めた。


 ふわりと流れた一時の沈黙に、少女は緊張を解きほぐそうと他愛のない話題を切り出した。


「そう言えばお店でワインのテイスティングしてたよね? 凄いと思うよ、ああいうこと出来るって。しっかり産地と種類まで当ててたし、好きなんでしょ? ワイン」


 身につけた武具類を一つ一つ丁寧に外し、それを机の上に並べていくニトは「あぁ、あれはな……」と少女の方を見向きもしようとせずに、ガツンと響く衝撃を口にした。


「ここディーツのワイン法は厳しいからな。ボトルの形とチラッと見えた特徴的なラベルで産地からなにまで丸わかりさ」


 得意げに語るニトの顔を見て、あまりの馬鹿馬鹿しさに頭を抱え込むと、少女は一瞬でも凄いと思ってしまった自分の行動を悔やんだ。


「はぁー、聴いて損した……。美しい記憶として引き出しの奥にでも閉まっておくべきだったよ、本当に」


「まぁまぁそんなに嘆くなって、なんにでも裏があるもんさ。そんな事はさておき、俺からも質問していいか? お前のことを色々知りたい、特に店で喧嘩売った相手については詳しくな」


 バチバチと勢いの増した炎の中で薪が弾け、鍋の水を激しく熱し、まるでゴポゴポと音を立てる溶岩のように沸騰させた。


 ニトはそれに気づいて立ち上がり、予めカモミールを入れて置いたステンレス製のそこの深いフライパンに注ぎ、ハーブティを淹れた。

 部屋の中に林檎のような甘い香りがふわっとひろがって、少女の備考を刺激した。

 カモミールはハーブティはもちろんのこと、外用薬などにも使用される。というのもカモミールティーには安眠効果があって、寝る前にホットで飲むとリラックス効果が期待できるという。


 これまたステンレス製のコップにお茶を注ぎ静かに元いた席に腰を下ろすと、ニトは一口それを飲み込んで優雅に口を開いた。


「お前の名前、経歴、店にいた男達との関係──全てだ、全て知りたい」


 真剣な顔して問い掛けるニトのことを肘を着き頭を手で支えて上目遣いで見つめると、少女はからかうような口調で質問をすげ替えた。


「…………そんなに僕のことが知りたいのはニトの用心深い性格のせい? それとも『エリカ』って人になにか関係してるの? もし関係してるんならニトから話してよね、だってほら人に聞くならまず自分からって言うでしょ?」


 どこで聞いたのかも忘れた先人の言葉を口からひょいと滑らせて、少女はお茶を嗜んだ。 

 ニトは予期していなかった返答に目を丸くして、口を半開きにしたまま黙り込んでしまった。


 しばらく。


 二人の間にどんより湿った沈黙が訪れた。

 蛇のように空間を絞めつける静かな雰囲気をぶった斬って、ニトがぼそっと言った。


「エリカと似てるんだ、お前」


 そう言ったニトの顔には翳が降りていて、誰がどう見ても辛い過去を話しているのが予想できた。

 隙間風に揺れた蝋燭の炎が悲劇の瞬間を醸し出し、胃もたれしそうなほど油っこい雰囲気が少女を襲った。

 

「あいつとは初めて海を渡って訪れたフロンセのカーレという港町で出会ったんだ。……まぁそれから色々あって一緒に旅することになってな、五年前にあいつが亡くなるまでずっと一緒に旅してた」


「へぇ……つまり亡くなったエリカさんと僕を重ねてたって訳ね」


「恥ずかしいことに至極その通りだ。……どうにも俺は女々しい男でね、未練しか残ってないみたいだ。俺の時計はあの時から動いてないのかもな」


 少女はえくぼを作って表情を暗くしたニトのことを仰ぎ見ると、馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らして皮肉を口にした。


「なぁんだそんなことか……ほんとにしょうもないことで悩んでるんだな。しかもニトって案外乙女みたいな神経してるんだね」


 ニトは不快に歪んだ眉を寄せて少女を見やると、苦言を呈するように言い放った。


「しょうもないことってお前そりゃ言い過ぎだろ、こっちだって真剣に悩んでる事なんだぞ」


「だってそうでしょ? 僕が自分の将来とか現在とかで四苦八苦している時に、ニトは亡くした元カノのことを思い浮かべて四苦八苦してるんでしょ? 僕のはともかくニトの場合は過去を引きづり過ぎで、正真正銘の馬鹿みたいじゃん。…………亡くなった人を悲しむことを馬鹿だと言ってるんじゃないよ、僕は悲しみ過ぎるのは馬鹿だと言ってるんだ。人を憂うのは程々にした方がいいと思うよ、それはあっちに行った人を悲しませてしまうかもしれないからね」


 ニトはまたぽかんと口を開けて、流暢に罵詈雑言を吐き捨てる少女の顔を見つめてた。二人を夜の静寂が優しく撫でて、揺れる蝋燭の炎が晒して上げるニトの阿呆面を見て少女はクスッと笑った。


「お前も情の薄い奴だな、この話をしてここまでコテンパンに言われたのは初めてだ。馬鹿にされてんのに怒る気も湧いてこねぇや。…………この五年間、俺は旅を続けながらあいつ仇を探してきた。お前は無駄だったと思うか?」


 微笑みを浮かべるニトを一瞥すると、少女は手元のコップに目線を移して口を開いた。


「ニトもガキ臭いやつだね。仇討ちなんて誰も喜ばない上に、時間を賭して手に入る物は空っぽな穴の破片だけなんだよ? そんな事のために旅を続けるんなら、実家に帰って親孝行でもした方がまだ有意義だと思うね」


「自分より年下のガキに諭される日が来るとは俺も焼きが回ったみたいだな。だけどまぁ……なんというか吹っ切れた気もするよ、ありがとう」


「………………ニト。まさかマゾの気があるんじゃないだろうね? そんな人とはひとつ屋根の下に居たくないよ」


「可愛げのないガキだなぁ……もっとこう女の子っぽさがないとモテないぞ、嫁の貰い手が居るのか心配になるレベルで壊滅的な女子力だな」


「………………ほんとに怒ってないの?」


「どうして?」


「だってつま先から頭のてっぺんまで馬鹿にしたんだよ、普通ここまで言われたらキレると思うけど?」


「確かに言い方はキツかった、おかげで俺の心はバキバキよ。それでもお前の言ってることは確かに正しかったし、悔しいけど正論だ。怒れるはずもないよ」


 ニトの真面な回答に少女は「それもそうだね」と肩を竦めて答えると、少しだけ残ったお茶をグイっと飲み干した。


「……さて俺は身を切ったぞ、道理でいけば次はお前の番じゃないか?」


「まぁ言い出したのは僕だし、助けてもらった恩もあるからね。長くなるけど全部話してあげるよ」


 そこからは少女の番だった。


 ニトが欲しがった情報は名前、年齢、経歴、ルイスとの関係、その他日常的なくせなど幅広く、なんの為に訊かれているのか分からないような質問にも少女は一切の嘘偽りなく答えた。


 名無しということ、娼婦として働いていたこと、奴隷商人から買われてルイスに育てられたこと、その仕事でのくせなど話せることなら全て話した。小さな口から紡がれる人物語を、ニトは相槌を打ちながら聞いていた。


 その間ニトは気を利かせ、空になった少女のコップに一口分のお茶を注いだ。ふわっと空中に飛散したカモミールの粒子がふたたび部屋に甘い香りを広げる。


「……なるほど、話してくれてありがとう。片付けは俺がやっておくから先に寝るといい、もう一時を回ってる」


 懐から取り出した懐中時計をちらりと見やって呟くと、空になった自分のコップに水筒から水を注いで席を立った。


「じゃお言葉に甘えて。寝具は二階にあるから、終わったらきてね」


 そう言い残すと少女は言われた通りお茶を飲み干して、二階へ行くための階段を上って行った。ニトは少女のコップをもって微笑みを向けてその背中を見送った。



****



 小さな窓から差し込んだ星と月の灯りだけが照らした散らかった服と寝具しかない埃っぽい部屋の中で、少女は布団にくるまって瞳を閉じていた。


「……なんか意外」


 面倒な老婆心でも働かせてもっと色々聞き出されるかと思っていたので、ニトの予想外にしおらしい対応に拍子抜けしてしまった。お節介焼きなのかと思ったらそうでも無い、掴めない女だと胸の内で呟いた。

 ──とそこで少女の中にひとつの疑心が生まれる、それは「ニトは本当に女のなのか」という事だ。男と言われても不思議では無い体格にその格闘術、女と言われても疑問に思わない美貌に全身から漂う色っぽさとは違う格好(かっこう)の良い色気。

 男と言われればそう思えるし、女と言われればそうも思える不思議な旅人ニト。その性別を完全に見抜くことは経験豊富な少女でも流石に見抜くことは出来なかった。


 考えれば考えるほど喉に深く突き刺さる魚の小骨のようなその疑問は、少女の安眠と引き換えに好奇心をプレゼントした。その余計なプレゼントは非常に厄介で、捨てよう(払拭しよう)としても捨てられない(払拭し切れない)。少女は寝ようとすることを止めて、ニトが登って来るのを待った。


 耳を澄ませてガツガツとこうるさいニトの足音に意識を傾けた。するとニトはちょうど階段を登っているようで、空っぽの木箱を重く踏みつけるような音が近づいて来るのが分かった。

 数秒後「寝たか?」という小さな問いかけとともに部屋に入ってきたニトの方に体を向き直して、少女はぺかーと笑うと、


「起きてた」と悪びれもせずに言った。


 少女の様子を鼻で笑い、ニトは床に散乱した服を踏まないように注意してベッドの元まで歩みより、ベルトを緩めて布団に入った。


「夜更かしは美容と健康、双方に悪いぞ」


 いつもなら広く感じるセミダブルのベッドが、体格の大きなニトのせいで今だけは狭く感じられる。

 向き合うようにして寝転がった二人は自然と互いを見つめ合い、その瞳を覗き込んだ。沈黙──部屋の中にふわっと漂った静寂が二人を撫でて、その静けさだけが詰まった封筒の封を切ったのは少女だった。


「誰のせいだと思ってるの?」


 まったく身に覚えのない少女の言葉にニトは目を丸くして、自身のことを指さすと間の抜けた声で言った。


「俺のせいなの?」


「だって気になるじゃん、色々とさ。ほら、噂じゃ色々流れてるんでしょ? それが実際どっちにも見えるもんだから気になっちゃってさ。もし差し支えないなら、どうして男装なんてしてるのか教えてくれない?」


 その問いにニトは唸り声をあげて熟考し何食わぬ顔でほほ笑みを浮かべると、悪びれもせずにケロッと言ってのけた。


「女の子をメロメロにするために決まったんだろ?」


 ふざけているのか本気なのかのか分からないニトの様子に溜息をついて、少女は馬鹿馬鹿しそうにそっぽを向いた。


「ごめんごめん、拗ねるなって。……実はこれな、憧れた人みたいになりたくてこんな格好してるんだ」


「ふぅん、ちょっと意外かも……。それって誰なの?」


「俺の父親であり、先生でもある人だよ。俺にはあの人と同じ紳士の血は流れてなくてな、すぐ女は泣かせちまうし悪さもする……だから見た目だけでも近づきたくて、カッコだけは真似してんのさ」


「へぇ紳士なお父さん、ね。そんな人からどうしてこんなに喧嘩っ早い人ができるんだろう……もしかして要らないとこだけもらってきたんじゃないの?」


「どうだろうねぇ。でもほら、俺だって他にも色々と学んでるんだぜ? 例えばぁ……格闘技とか字の読み書き、火の起こし方や他国の言語、料理の作り方とかバイクの乗り方なんかそうだな」


 ニトの父親という会ったことも無い人間を想像して感心した息を漏らし、少女は気になっていた事をさらに質問した。


「へぇ〜、結構多才な人なんだね。その過程で旅に出たいと思う起点があったの?」


「まぁな。俺は子供の頃から字が読めたんで、暇な時は本を読んでたんだけど、そこで出会った本の世界で旅をしてる主人公が好きになって、俺も旅することを夢見てたって訳よ。その時は目的なんてなかったんだが、今は些細なものがいくつかあるんだ。目的……というか目標だけどね」


「んぅ〜、旅ねぇ……。何不自由なく暮らせて、そこそこ楽しい生活を送れたら僕は幸せだけどな……。ニトはさ、そういう安定した生活をしたいとは思はなあったの?」


 少女の質問にニトは悩むことなく即答した。


「確かに安定した生活の中で爺婆(じじばば)になるまで寄り添って暮らすのも良いと思う、でも俺は欲が強くてそれじゃ満足出来ないんだ。ベルトコンベアに乗って流れて来るような安定した生活の中じゃ得られない、刺激的で不規則な幸せを求めてるのさ。それに俺の目標は運命の女神に愛される勇者になる事なんでな、日々行動を起こさないと死んじまう旅はちょうどいいんだよ」


 ニトの持つ独特な考え方を覗き見た少女はしばらく深く思考を巡らせて、自問をするように呟いた。


「安定じゃ得られない、刺激的で不規則な幸せか……確かにそれはそれで面白そうだね」


 ニトはそれを聞いて微笑むと目を瞑り「もうこの辺で寝よう、今日は運転で疲れてるんだ」と言うとすぐに寝息をたてて深い眠りに着いた。

 見つめ合うようにニトと向き合っていた少女もまた目を閉じて、流砂に飲み込まれていくように深い眠りへと落ちていった。



**** † ****



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