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プロローグ

-アメストリア北部ディーツ国境付近-



 雲の隙間から垂れた月明かりのカーテンが平原に繁茂する草木を照らし、静かに流れる小川にキラキラと反射している。まるで地上の天の川だ。

 平原に吹く清々しい夜風に飛ばされたたんぽぽが、空から降り注ぐ月光を吸い込んで、小さな光を宿しながら妖精の如く空を舞っていた。肌で感じる空気は冷たく、味わう空気はすぅっと清い。


 星型に組まれた焚き火の中で薪がパチパチと弾ける音を聴きながら、単車の運転に疲れたニトはコーヒー片手に風光明媚(ふうこうめいび)な自然の織り成す幻想的な風景を眺めて独りごちる。


「こりゃ日の女神様でも嫉妬しちゃうね」


 ステンレス製のコップに注がれた熱々コーヒーの香りをまず鼻腔に満たして、その後にゆっくりと喉奥に流し込む。

 熱い液体が胃まで下りていくのを感じながら、空いた左腕を巧みに操って、ヒップバッグの中から使い古されてくたびれた革の手帳を取り出した。


 旅の日課、簡単な日記だ。


 まだ熱を持ったコップを地べたに置いて、使い古されて傷だらけになった万年筆を取り出した。目を閉じて今日起こった出来事を一から思い出し、まっさらなページにつらつらと文字を綴る。

 いつもなら人との出会いや作った食事の出来栄え、淹れたコーヒーの味、見てきた景色、その他の雑多な出来事等を書き留めるのだが、今日はほとんどの時間を単車の上で過ごしていたのでネタが少なかった。

 そのおかげで思うように筆が進まず、ただ時間だけが過ぎていった。


 ニトは溜め息をつくと懐から銀色のシガレットケースを取り出して、焚き火から火を継いで紫煙を吹かした。

 もくもくと空を目指して上昇していく煙は、やがて霧のように薄くなって消えてく。

 浮遊しては消えていく煙をぼーっと見つめながら頭をひねって熟考していると、ふと背後に視線を感じて停めておいた単車に振り返った。


 その視線の先、ハンドルの上に鷹が止まっていた。堂々たる風格を備えた(およ)そ堅気には見えない大柄な鷹が、ツンと尖った眼でニトの瞳を覗き込み「ただいま」と言うかのように翼を広げて二度羽ばたいた。



「おかえり、アル。疲れたろう、ゆっくり休みな」


 ニトは帰ってきた鷹のためにか咥えていた煙草をぺっと炎のなかに吐き捨てた。


 その鷹を見つけた時、ニトの表情が一変した。日記を書いていたときの真剣な表情から、家族へ向けるような柔和な笑顔へと。

 腕を真っ直ぐに伸ばして「さぁおいで」と呼びかけると、鷹はひょいと飛び跳ねて腕に移った。


 鋭い爪が厚めの革生地にグリっと力強く突き立てられる。しかしそれはほんの一瞬で、アルはニトに気を遣って力を抜いてちょこんと乗っていた。


 気遣いのできる子だな、と呟いて腕に止まった猛禽類とは思えないほど大人しい背を撫でた。ニトはその安心しきって細くなった目を見て心を和まる。動物の愛らしい仕草は、いつも我々人間を癒してくれるものだ。


「よしよし、爪の先っぽから頭のてっぺんまで可愛い奴だ」


 鷹は凛々しい見た目を持ち狩りを得意とするが、意外と可愛らしい一面も持っている。それでいてストレスにも敏感なので、こうして少しでも旅のストレスを軽減させてやらないといけない。


 人間の言葉が分かるはずないと思うかもしれないが、案外動物は我々の言葉を直感的に理解しているものだ。

 可愛がってやれば可愛がってやるほど、その人の役に立とうと行動で応えようとしてくれるものだが、その逆も然りで(けな)し馬鹿にするような言葉を掛けていると一切の愛想を尽かしてしまう。


 つまりはそういう事なのだ。


 その点ニトの“友人”アルは旅・狩猟の際の目であり、時には手紙も運んでくれる伝書鷹の役目も担っている。そう、アルはペットではなく友人であり、ニトの知る限り最も賢く素晴らしい友人だ。

 それから暫く撫でてやると「ピィー」と甲高い声で鳴いた。これは「もう十分だ」という時に発する鳴き声だ。

 眠たそうに瞼を閉じたアルをバイクのハンドルに乗せて──ここがお気に入りの寝床らしい──ずっと放置していたコーヒーを手に取った。


 先程まで温かかったコーヒーが冷えていて、思ったよりも時間が経過している事を教えてくれた。

 香りが衰えてしまった冷めたコーヒーを一気に胃まで流し込んで、ちらりとアルを一瞥すると、片方の翼に頭を突っ込んで片足立ちで眠っていた。どうやらぐっすり眠れたようだ。


「おやすみ、アル」


 アルが眠りについたのを確認して、簡易テントの中に潜り込んで寝袋に入り目を閉じた。明日はなるべく早くここを発ちたいので、早々に就寝しなくてはきっと寝坊してしまうだろう。


 旅人の朝は早いと相場が決まっているが、あろう事かニトは朝が苦手なのだ。



****



 ニトは毎朝決まって、何をするよりも早くとびきり濃いコーヒーを淹れる。これを飲んで目を覚ましてからでないと、どうにも調子が上がらず気分が翳るというものだ。


 露を含んだ朝の爽快な空気を胸が張るまで大きく吸い込んで、自然が浄化した美味しい空気を味わった。

 朝の空気は冷たくて、寝起き独特のどんよりとした気分が晴れて肺がまるまる綺麗に洗われたようか気がする。

 それからちょうど近くを流れていた小川で顔を洗い、ニトは急いで朝食を摂ることにした。


 ──と言っても新鮮な食材を採ってくる時間もないので、保存食の干し肉とそこで見つけた山菜のスープ、そしてデザートの野いちごという些細(ささい)なものなのだが。昼には次の国、ディーツに着きそうだし特に問題はないだろうと見切りをつけた。


 カピカピに乾燥したウサギ肉を頬張って、しっかりと咀嚼する。噛めば噛むほど旨みが広がって、スパイスではないウサギ肉本来の味わいが滲み出てくる。

 ずっとかんでいたい気分だが、そうもいかないので口の中の物を飲み込んで、山菜のスープに手を出した。鰹節とかいう海を越えた異国の食材をナイフで削り、その削り節でだしを取ったものを使ったスープだ。

 何度かやったことがあるが、この“だし”という技術は画期的だ。まず本体がそこまで大きくないので場所を取らず、そこそこ保存も効く。そしていざ使う時は削ったものからだしとるので、思いのほか長持ちする。旅に持っていく調味料としては優秀だ。

 ニトはなみなみとスープが注がれた椀を口まで持っていき、喉を鳴らして飲み干した。あっさりしてるとかすっきりしてるとかのレベルじゃなく、ただただ旨い。


 小さな鍋で作ったスープはあっという間に無くなって、甘味を求めてデザートへと手を伸ばした。先ほど採ってきた野いちごだ。

 小さな、しかしよく熟れた実を指先で摘んで、口の中に放り込む。噛めば実がぷちっと弾けて酸味が広がり、その後を追うようにして上品な甘みが広がった。まさに自然の恵み、素晴らしいデザートだ。


 ニトは残りの野いちごを一つ一つ噛み締めて「ご馳走様でした」と自然に感謝した。これは、食べさせてもらった者の礼儀というものだ。


 アルには生肉を食べさせてやりたかったが、持ち合わせが無かったので同じ干し肉を食べさせた。上げる度に美味しい美味しいと鳴いて食べるので、その愛らしい姿を見ているだけでこっちのお腹もいっぱいになりそうだ。


 朝飯を食べ終えたアルはニトのことを見詰めると「早く飛ばせてくれよ」と無言の圧力を押し付けて、急かすように二度羽を伸ばした。


「ちょっとは待てよ、俺にも準備ってのがあるんだぜ」


 そう言うとニトは手短にテントや寝袋を折り畳んで単車の後部にロープで固定して、さっきまで体を温めてくれていた焚き火を消す。

 用心深く三回ほど水を掛けて完全に鎮火したのを確認し、ピシッと決まった薄手の革手袋を嵌めて、まだかまだかとソワソワしている鷹を手に乗せた。

 大まかな風を読んで見切りをつけると、ニトは瞬間的に力を振り絞って走り出し、アルのことを勢いよく放り投げた。


 普通は狩りの際にしか行わない”羽合わせ(あわせ)”という技術なのだが、いつの間にかこれが気に入ってしまったようで、事ある毎に「投げ飛ばせ」とニトのカタパルトを要求してくるのだ。


 行き良いよく空に向かって放り投げられた鷹は豪快に羽ばたいて、天空を自在に舞った。王者の風格を携えた美しい飛翔を見せて北に向かって飛んで行くアルを見送って、ニトは単車に跨った。


 アルは次の目的地である国、ディーツまでの“道標”を果たしてくれる。アルは実に賢い子で、常に移動しているニトのことを見つけて帰ってくることが出来る。 

 昨日はその特技を活かして、事前に道を確認してくれていたのだ。

 ずんずんと先を飛んでいくアルを見て、ハンドルに掛けて置いたゴーグルを急いで装着し、固定用のゴムバンドから髪を出す。


 キーを回しエンジンを始動させると、ドコドコというハーレー独特の鼓動音が空気を震わせてニトの心をも揺り動かした。


 エンジンが燃え盛る生命の如し火を灯されるこの瞬間は、何度経験しても心躍るというものだ。


 一気に力を増したエンジンの勢いに置いていかれた髪の毛たちが風に揺れ、更に加速して行くにつれて、何もかも吸い込んでしまうような青の中で、ワインレッドの髪が激しく舞い踊った。


 幸いディーツまではそこまで遠くない。早ければ昼頃には着くだろう。ニトはイヤホンから流れるラナ・デル・レイの曲にのって歌詞を口ずさみながらアクセルを捻った。


 

しっかり描きたいので不定期更新ですが、頑張って行きたいと思います! 感想貰えると私が悶え喜びます。

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