指針、拠り所、評価
世界のネット空間の中で人知れず流行っていることがある。参加する人々にとっては生活する上で知り会った人の記憶と社会からその人の情報を得て、その人を自己の判断で勝手に評価し、ネット上へあげていた。その評価データはネットには存在したが決まったサーバーがあるわけではない。チェーンブロックにより評価データは永久的にネットに存在し続けているが、管理者がいるのではない。ある人が評価した内容は別の人々が評価し追記することでその人の評価内容が増加していく。評価内容全てに目を通さないと他人評価を把握したことにはならない。ある人の評価を起点として様々な考えを持つ人々が評価することで広がっていくことになる。それが評価された人の本質を理解尽くしていないのであるが、他人評価として割りきっているものなのか、何故なのか継続されていた。
日頃の行いが目に止まりネットに上げられる人もいれば、メディアに取り上げられた人もいる。ただ誹謗中傷のものはないようである。ネットの書き込みのような匿名ではなく記名がなされている。行為や発言の事実に日付、場所、状況も示されその内容へ対する私見が述べられる形式になっている。メディア以上に性格な情報源として閲覧する人々が増え、盛り上がり始めた。そしてその内容の事実に齟齬あるいは別の角度から見たり聞いたりしたことが追記され閲覧する人々の記憶の上に、より正確なものが伝わることになった。それが認知さてた情報源として盛り上がりメディアの記者や関係者も機密事項以外を追記するまでになり、更に真実味が増してきているようであった。
まるで真実により近いものを伝えることが使命であるかのように。そして対象となる人々は様々な反応を示した。自分に都合の良い内容とは限らず、事実に近い内容ではあるが、言い分がある人もいた。無視する人もいた。ただ大多数の対象者はその存在を知るようになった。
そのきっかけはメディアが取り上げたことからだった。