朝の休憩室
「アホか」
スマホからチラリと目線を上げた彼は、うんざりと言い捨てた。
「どうして恋する乙女の描写がこんな重くなるん?」
朝一で私のパソコンから送ったワードのデータを彼はスマホの画面を操作して色を変えてゆく。
「特に最後のこの、そんなことにならないよう私はだから狂いそうな毎日を送っている、の部分」
「はあ……」
「まったく理解できんから。ただの片思いやろ。どうしてこんなどよーんとずーんと重くすんのよ」
「………」
「なあ、彼氏いたことある?」
「………」
「……好きな奴は?」
「………」
「サトちゃんいくつやっけ?」
「…25です」
「……そっか」
彼は……バイト先の先輩であるスイコウ先輩は、哀れんだ眼差しを隠さない。
「もっと分かりやすくできんの?大衆はただでさえ何も考えんでええエンタメを求めとんのやで」
「……これは片思いの恋愛思考を極限的に描写してみようとしたやつで、昨今のインスタント的な恋愛に警鐘を……」
「だーかーら!そんなん誰も読まんし、ぜーんぶ内へ内へ向かって、誰も理解できんて!」
休憩室の机を挟んで向かい合ってる私達はまるで作家と編集者だ。
ちなみに、スイコウ先輩は私より4つ年下だ。
私より1年早くこのホテルの清掃のバイトをしている。
私とスイコウ先輩以外の清掃のバイトは50代後半のご婦人ばかりなので、自然とスイコウ先輩に仕事を教えてもらうことになった。
合間、合間にポツポツとお互いのことなどを喋るうちに、二人とも小説好きということが分かった。
しかし、私は純文学でスイコウ先輩はラノベというジャンル的な隔たりはあった。
私はそれでもすごく嬉しくて、ついつい、ぽろっと自分も小説を書いているなんて言ってしまい、今に至る。
「なんていうのかなぁ〜、この主人公が片思いして男を深く好きになって人間らしく生きていきたいっていうのはわかるけど、それって普通に生きてきた人には響かんのとちゃう?」
「………」
スイコウ先輩がスマホの画面を指でつつく。
「オレはわかるで?周りとちゃうし、この主人公の気持ち。でもな、響かんわ」
「どうしてです?」
「……退屈、つまらん」
「………」
私は言葉を失い、スマホを私に返すスイコウ先輩をじっと見つめる。
ちなみにスイコウ先輩はガラケーで、連絡先を何回か尋ねたが絶対に教えてくれない。
「え、エンタメがいるんですか?どうしても」
やっとのことで言い返す。
「そうや。1行目なんか良かったで?そっから広げていったら、片思いの上に境遇が違う、いや、異世界同士の二人の恋愛小説ができるんちゃう?」
「い、いせかい〜……は、断固拒否したいです」
私は露骨に顔を歪める。
「アホ!もうな地球の話はやり尽くして需要がないの!魔法とか不死身が今のスタンダードで、さらには食人鬼やら幽霊やら世界そのものが狂いだすことがこれからのニューカマーやで。自分を狂わせてる場合やないで」
スイコウ先輩は壁に掛けられた時計をチラリと見上げる。
「主人公が正気でおらんと収まりつかん」
「……はぁ」
「ま、5点やな」
「………」
スイコウ先輩の5点発言に対し、この小説を書いていた昨日までの私をとてもかわいそうに思う。
休憩室の外が騒がしくなり、他のバイトのご婦人方がワイワイと入って来た。
「はよーございます」
スイコウ先輩がいち早く挨拶する。
「おはようございます……」
私も後に続き、もそもそと挨拶する。
「若い二人は早いんやね〜」
嫌味すれすれなからかいに私は引きつって笑い、スイコウ先輩は苦笑いした。