06.≪七曜剣≫
思ってもみない事実に、リュウはルアノと視線を合わせる。
その驚愕を無言で共有した後、リュウは話の続きを促す。
「まだルーセアノが聖女として戦争に参加する前、ヘルゼノスは突然現れた。圧倒的な力、倒錯的な人々への愛情、そして極まった独占欲。ヘルゼノスに対する恐怖心が世界中に伝播するのに、さほど時間は掛からなかった」
――こんな説話がある、とシロノ。
かの邪神は魔神と競うようにして国を、街を、集落を破壊した。その一方で、魔神が人々を殺そうとすると、彼らを護るようにして魔神を殺す。
流行病により人々が苦しんだとき、それを治癒して回ったのはかの邪神だった。そして新たな伝染病を撒き散らす。
災害が起こったとき、かの邪神は洪水から、地震から、飢饉から人々を救い、土地を復興した。そして、その地を瞬く間に更地に変える。
ヘルゼノスにとって、人間は滅んではならなかった。
滅ぼさなければならなかったのだ。
「サイコ野郎じゃねえか!?」
「魔神よりやばいでしょ!?」
ヘルゼノスの危険すぎる性癖に、リュウは肌を粟立たせた。
ルアノも顔を青くして身を縮めている。
「誤解されがちだけど、彼は決して魔神の勢力ではない。よく、ヘルゼノスを“女神に唯一赦された魔神”と称するのを耳にするけど、厳密には間違いだ」
「何でそんな危険人物赦せちまうんだよおかしいだろルーセアノも」
元は人間だとすると、ヘルゼノスは下手をしたら魔神よりも邪悪な存在だ。いくら魔神の一味でないとしても、絶対に野放しにしてはならないだろう。
「ルーセアノはヘルゼノスと対峙したが、お互いに命を奪うには及ばなかった。その後、魔神を倒すという目的の下、ルーセアノと七人の弟子はヘルゼノスと奇妙な共闘関係を結ぶ」
「なんか……、熱い展開になってきたね」
目を丸くするルアノ。
「ヘルゼノスはルーセアノを殺すために魔神から彼女を護り、ルーセアノはそんなヘルゼノスに対して慈しみを抱くようになる。彼女はヘルゼノスの持つ異質な性を受け入れつつあった」
「ルーセアノの器スゲえな……」
無論、『良くも悪くも』という枕詞はつくが、それが事実ならルーセアノはよほどの大物だ。
所詮は神話、言い伝えであるということから、どうしても一歩引いた視点で聞いてしまいがちであり、それ故にこの説話からは“異常性”が際立ってみえるだろう。
だが、リュウは少しだけヘルゼノスとルーセアノの関係に思いを巡らせる。
――それはもしかしたら、美しいのかもしれなかった。
「当時は男性社会的風潮が強くあり、祭り上げられたルーセアノは男装の麗人とされている。けれど、美少年然としたその容貌とは裏腹に、彼女には強い包容力があった。そして、その慈愛に魅せられた者がヘルゼノス信奉を始める」
「ヘルゼノスが一番その愛を受けたから……?」
ルアノの問いに、シロノはゆっくりと首肯する。
求められる慈しみ、そして愛情。
――ストレス社会が生み出した業の深い闇じゃね?
シロノはワインで喉を潤すと、それ以上説明することがなくなってしまったのか、グラスを見つめながら黙ってしまう。
「質問」
これ見よがしに、ルアノが小さく挙手をした。
本当に興味が尽きないのだろう。彼女の緋色の瞳はきらきらと輝きを放っていた。
「人間のはずのヘルゼノスがそんなにデタラメな強さを持ってたってことは、『奇手だった』なんて噂はやっぱり本当のことなんだよね?」
「ヘルゼノスはルーセアノと対になる存在で、ヴェノを制御することができたとされている。それは、魔神達もそうらしいけど」
シロノの回答に、へぇと相づちを打つリュウである。
そうなると、奇跡の語源がルーセアノの力だとしても、彼女が最初にヴェノを使いこなした者とは言い切れないということか。
「絶対強いよね……。ルーセアノもめちゃんこ強いってされてるけど、奇手としての記録が探しても見つからないんだよね」
興奮を抑えるように、ルアノは両手を握りしめる。
それはリュウとて気になることだ。本当に何かしら記録は残されていないのだろうか?
ルーセアノやヘルゼノスとて、現代の奇手達のように個性的な能力を持っているはずだ。しかしながら、リュウが養成学校で奇手の歴史を調べた際、ルーセアノについては『奇跡で魔神を倒した』という簡素な記述しか見られなかった。
「ルーセアノについては全くわからないけど、ヘルゼノスの代表的な能力は有名のはず」
「≪七曜剣≫だよね? アレ、めちゃくちゃカッコイイよねえ……」
感極まったように、ルアノは若干瞳を揺らしている。
リュウは初耳だが、そんなに凄い奇跡なのだろうか? “七曜”と聞けば、一週間の曜日が連想される。
――月曜剣とか凶悪過ぎるだろ。人を鬱にする気かよ。
「ヘルゼノス――組織の方のヘルゼノスは、幹部の最大七名に曜剣の名前を号として与えている」
「なにそれカッコイイ……」
「スマン……。どんなんなんだ? ≪七曜剣≫って……」
下らないことを考えていたら、完全に置いていかれたリュウである。
「≪七曜剣≫は七つの奇跡を宿した剣を顕界させる能力だよ」
ここが旨味だといわんばかりに、ルアノがシロノを差し置いてしまう。
「七曜は星座の“審曜”、“玉曜”、“海曜”、“魔曜”、“銀曜”、“黒曜”、“龍曜”を由来としていて、その一つ一つが奇手が持つ奇跡に匹敵する能力を持ってる、七つで一つの奇跡なんだよ」
「鬼じゃねえか!?」
つまり、ヘルゼノスはその≪七曜剣≫という能力だけで、七つの奇跡を使えることになる。下手をすれば、ウィルクの≪振り直し≫より優れているのではないか。
「いいなぁ。羨ましいよね……。奇手ってやっぱり格好いいよなあ」
まるで、夜空に浮かぶ情景でも見上げるように、ルアノはその美しさに羨望する眼差しを中空に浮かべている。
それがリュウには意外だった。
「お前、さ」
などと、ルアノに対して零してしまう。
「黒服組の二人相手に勝っちまうほど強いのに、それでも奇手が羨ましいのか?」
「ん……?」
困惑する様子のルアノ。
何を当たり前なことを、とでも言いたげな表情になる。
「いや、オメーは特別な力とかなくても、普通に強いじゃねえか。それに加えて、奇手として“巫女”の能力を持ってるわけだろ? それじゃ、満足できねえの?」
「ああ、そーいや、そだね」
そこでルアノは初めて自分の力を識ったかのように、自分の両手を見つめる。
その姿に、いささか不快感を覚えるリュウである。
リュウはウィルクの持つ奇跡、≪振り直し≫を使うことが出来ない。
それを覚醒させようと、一ヶ月ほど努力してきたが、どうしても目覚めない。
そのことに、リュウは自分で思うより、胸中に劣等感がこびりついているのを自覚してしまったのだ。
「リュウ、もしかして、思い出すことができないの?」
と、言い放ったのはシロノだった。
「……あ?」
「≪振り直し≫」
「むしろテメエが覚えてんのはどういうワケだコラ!?」
おかしい。
シロノはウィルク・アルバーニアに関する記憶を消してしまっているはず。
にもかかわらず、何故彼がウィルクの奇手としての能力である≪振り直し≫を知っているのか。
「確かに私は、ウィルク・アルバーニアと関わった経験、そしてその目的などを記憶から消している。消した理由も消した。けど、彼の人となりやプロフィール程度のことは、知識として記憶に留めている」
――それさぁ、早く言ってよ。
しかし、シロノは必要最低限のことしか話そうとしない。自ら情報を発しようとすることなど、もっとない。
第一、リュウは自分にウィルクとしての記憶がないことを、つい昨日告白したのだ。
リュウは自分の境遇をシロノが承知していると思い込んでいたが、彼がウィルクについての記憶を抹消してしまっていたのなら、リュウが欲しがるウィルクの情報などわかるわけがなかったということか。
「≪振り直し≫ってのが、ウィルクの奇跡なの?」
軽いショックを受けていたリュウに、ルアノが訊く。
「そうらしい。どういうわけか、俺は使えないけどな」
「うーん。滅多なことじゃ奇跡をロストしないはずなんだけどな……」
ルアノは小首を傾げる。
「どんな能力なの?」
「正確なことは俺にもわからねえんだよ。シロノ、詳しいこと知ってるか?」
シロノが頷く。
「≪振り直し≫はウィルクが生まれ持った才能や人生において練達した力を、独自の計算規則に基づいて数値化――“経験点”とし、その“経験点”を自由に再分配する能力」
「鬼じゃん!?」
シロノの説明を聞き、顔をこわばらせるルアノである。
「なあ、≪振り直し≫に制約や発動条件みたいなのはねえのか?」
リュウにとって、最も欲しい情報の一つだった。
それがわかり、リュウが≪振り直し≫を発動できない状態が解消されれば、様々な問題の対処が相当楽になるはずだ。
「連発することができない」
と静かに答えるシロノ。
「それだけだ、とウィルク本人から聞いたことがあるらしい」
「……そうか」
少なからず、落胆してしまう。やはり、リュウが意識を乗っ取ってしまったことで、≪振り直し≫が使えなくなってしまったのだろう。
「あのさ、もし≪振り直し≫を使うことが出来るなら、リュウはその制約とかまで全部正しく感覚的に理解しているはずなんだよね」
とルアノが遠慮しがちに発言する。
「だから、もう制約とかそういうの関係なく、リュウは≪振り直し≫が使えないんだと思う」
「だよなあ……」
愚痴を言っても仕方のないことだ。
そもそもとして、リュウはウィルクの身体を借りているが、彼の力の全てが発揮できているわけではない。
いつものように地道に訓練を続けて、リュウの出来ることを増やしていく努力を重ねるほか、これから起きるかもしれない戦闘を乗り切る術はない。
「あまり無責任なこと言えないけど、リュウは普通にヴェノの制御出来てるよね? なら、そのうち≪振り直し≫についても思い出すかも」
「……マジで?」
ルアノの言葉に、わずかに期待をしてしまうリュウである。
彼女は腕を組んだ。
「うん……。短期的に奇跡を忘れちゃった人とか、過去にいなかったわけじゃないし。奇手としての能力って、完全にヴェノ制御の応用だから繋がってたはず。たしか」
「そういう研究をしているところがあるよ。落ち着いたら行ってみる?」
ルアノのうんちくに追随するように、シロノがリュウを見ながら提案した。
「お前ら……」
二人の励ましに、リュウは虚ろなもの悲しさを感じた。
切なさ、そう表現すればしっくり来るのだろうか。
リュウは養成学校を出た後、自分一人で旅をするつもりだった。そこにシロノが無理についてきて、ルアノと出会って行動を共にしている。
妙な縁だが、これはリュウにとっては救いなのかもしれなかった。
救われるのは弱いヤツ。そうリュウはずっと思っていたが、リュウはこの瞬間にいつもの不快感を覚えなかったのだ。
――劣等感や罪悪感、自己嫌悪、屈辱。
救われることに、そういったストレスを感じない。
思えば、アルフィに対しても、二週間近く一緒にいるうちにそうなっていた。
不満なく己の弱さを肯定出来る。
リュウにとって考えることさえ出来なかったそれは、もしかすると他者に心を開くことを覚え始めた兆候なのかもしれない。
だとすると、哀れまれたはずのリュウが二人に感謝をしていることに、なんの不思議もないだろう。




