09.告白
少しの間だけ呆けていたが、流は首を軽く振り、気を持ち直して捜索を続ける。
勉強机の引き出しに存在した、ウィルクに関する最後の手掛かり。
それは、B5サイズほどの小さなアルバムだった。厚みはノート一冊ほどもなく、しまわれている写真も二十枚弱しかない。
ほとんどの写真は、この学園に入学してからのものだと思われた。
誰が撮影したのかはわからないが、ウィルク自身が写ったものは少ない。むしろだいたいが、学友と思われる者の写真だった。
主に医務室で会った面々が多いが、出現頻度はアルフィがダントツだ。何故か、他の娘がピンで写っている写真が一枚だけあったが。
アルバムの最初の見開き一ページの四枚は、おそらく孤児院時代のウィルクだろう。
髪が長く、女の子のような顔立ちをした子供は、黒髪と瞳の紫色からして、まさに幼少のウィルクだ。
驚いたのは、それらの写真の中にアルフィも写っていることだ。
流の見立てが正しければ、ウィルクとアルフィは同じ孤児院出身の幼馴染みということだ。なかなかに出来すぎている。
他に何か納められていないかを確認するが、写真はそれだけだった。
流自身、記念写真を撮るという習慣が完全にないため、こんなものかとも思う。
だが、ウィルクとアルフィが幼馴染みであるということは、今の流にとって突破口をこじ開ける唯一の鍵になりそうだ。
流は一つため息をつくと、部屋の物色を再開する。
もしかすると、今の状況とダイレクトに関係する何かが、この部屋に眠っている可能性はまだある。
――どうなってやがんだよ。ウィルク・アルバーニア。
クローゼットをひっくり返し、ベッドの下を覗き見た。
まさか天井に隠し扉が、と思いつき調べさえした。
結果は収穫無し。
勉強机に筆記用具があったので、手帳やメモの類いがあるだろうと思ったが、それもない。
もっとも、流も自室で何かを書くということは滅多にしないので、不自然ではないのかもしれないが。
それにしても、エロ本の一冊もないのはどういうことか。
代わりに見つかったのは、財布と一振りの剣、そして胸当てだけだ。
財布の中にはカードが三枚と紙幣やコイン。当たり前だが、流がよく知る通貨とは全くの別物だ。
剣はやたらと軽く、どういうわけか身体に馴染む。
種類の名まではわからないが、流が想像していたよりも短いものだった。
煌めく白刃は、ぞっとさせるほど冷たい美しさを帯びている。初めて見る流にさえ、本物なのだろうと危険な確信を抱かせた。
ベッドの上に散らかした衣類を巻き込み、流は行儀悪く倒れ込んだ。
「あーああ……」
壁掛け時計を見てみると、時刻は二十一時になろうとしていた。
明日からの方針は定まった。今日、流一人にできることは限られている。
となれば、入浴を済ませて寝てしまうのが相場だが、時間もまだ早い。
「勉強でもするかァ……?」
覚えることは沢山ある。
まずは、契約書を読み、ルールとペナルティをチェック。
次に、気になるヴェノについてだ。もしかすると、これがウィルクの身体に憑依した原因になっている可能性がある。
もし、教科書があるなら、この国の文化についても一応は知っておいた方がいいかもしれない。文化については、流に一つ気になることがあった。どうせ調べるならば、図書館まで行った方がいいだろうか。図書館なら子供向けの書籍くらいありそうなものだ。
その途方のなさに、頭痛さえ覚える。勉強など、流はここ数年やっていないのだ。
だが、それもウィルクの代打を務めるならば、避けて通れない。
ただの善意だけではない。せっかくの厄介事ならば、自分が満足できるように立ち回りたい。
それに、ウィルクに金銭的余裕がないことが発覚し、最悪病院に厄介になるという切り札が消えてしまった、という背景もある。
迂闊に『記憶障害』という方便を暴露せず、正解だったと思う。我ながら冴えた勘だった。
記憶障害を理由に退学に追い込まれたら、流は一文無しで寄る辺を失うところだ。この国のシステムがどうなってるか知らないが、医療費がどこかから支援されるだろうという期待は大甘だ。
この国でも、アルバイトのようなものが簡単に見つかれば、話は別なのだが。
そう思ったところで、流は今こうしている間、自分の身体はどうなっているだろうと考える。
もし、あちらでは、ウィルクの意識が流の身体に憑依しているのなら、おそらく流よりも苦労は多いはずだ。
金が無い、文化が云々というのも難題の一つには違いないが、何より流には頼れる人がいない。
誰もウィルクにあちらのルールを教えてくれない。
自分の身体で何をしてくれても流は別に構わないが、ウィルクの絶望的状況を考えると気の毒に思う。
もっとも、流の現時点での予想では、ウィルクが流の身体に憑いている可能性は考えにくいのだが。
それにしても、まだ自分の記憶がはっきりとしていないことに、流は首を傾げた。
自分が最後に何をしていたのか、未だに思い出すことができずにいる。
ゲームタワーから帰ったその後、流は平凡な日常に戻ったはずだった。
変わらぬ日々がひたすら繰り返され、特別何かをしていたという鮮明な記憶がないだけかもしれないが。
昨日の夕食が思い出せない。そんなもどかしさを流は感じていた。
――コンコン。
ノックが聞こえ、流は回転する思考を煙草の火のように始末し、音が鳴った方を見た。
ドアの方からではない。
ドアでなければ、隣の部屋の生活音のはずだった。
――コンコン。
流の考えを否定するように、もう一度ノックが聞こえる。
間違いなく、バルコニーのガラス戸からだ。
流は上半身を起こしてガラス戸を見る。カーテンに遮られ、外の様子は覗えない。
どこの馬鹿か知らないが、どうやってバルコニーに辿り着いた?
流がウィルクの部屋に来るまで、ずっとバルコニーで隠れて待っていたのだろうか。
違う。スペアキーを他人に貸すほど、ウィルクは不用心ではないだろう。
ではまさか、跳んできた?
しかし、この寮のバルコニーは部屋ごとに壁で隔てられ、独立しているのだ。つまり、かなりの冒険をしなければ、隣接した部屋から移って来られない。
「洒落になってねえぞ……」
ぼやき、流は立ち上がってガラス戸に近づいた。
――コンコン。
三度ノックが慣らされたとき、流はカーテンを思い切り開けた。
夜の来訪者の正体を見て、流は僅かに目を剥いた。
その強気な眼差しが、『寒いから早く開けろ』と主張している。
ウィルクの部屋に突然訪れても、歓迎されるのが当たり前であるかのように。
アルフィと呼ばれる少女が、そこに立っていた。
こちらを非難するようなアルフィの眼。
ウィルクの日頃の苦労に同情し、流は苦笑いしてしまう。
それは明らかに、彼女を棒立ちにさせていることへの抗議であり、いかにウィルクのことを尻に敷いているかがわかってしまったのだ。
流はガラス戸の鍵を解錠すると、スライドしてアルフィを迎えた。
「遅い」
案の定飛んできた罵倒を、流は肩をすくめながら受け止める。
アルフィは何の断りもなく部屋に侵入し、円形テーブルに備え付けてある椅子に腰掛けた。
背もたれに身体を預けて、腕と脚を組む。そのポーズがよくはまり、流はいっそ呆れてしまう。
ジャケット越しからでも覗える膨らんだ胸。
スカートから伸びる、黒のニーソックスに包まれた長い脚、および露出した白い肌。
彼女を様にさせているその魅惑的な部位は、眼福というべきか、目に毒だというべきか。
しかし、そんなアルフィの姿勢からは、当たりが強くて勇ましい印象を与える一方で、どこか彼女の本質とはそぐわないような違和感を流に与えた。
もちろん、流はアルフィのことなど、何一つ知らないのだが。
「茶を出す前に、三つだけいいかな?」
アルフィが切り出す前に、流が問う。
「何?」
ひそめた眉が、出鼻をくじかれた様子を隠そうともしない。
「ここ、四階だよな?」
「それが?」
暗に物理の常識を問うたはずだったが、質問を額面通りに捉えられてしまった。
そんなアルフィの返事から、四階のバルコニーなら簡単に登って来られるのだと察する。
常識が欠如しているのは、流の方ということだ。
「二つ目。俺の手帳知らねえ?」
「……あの可愛いヤツ? なくしたの?」
少し間を置いて、アルフィが反応する。
もちろん、流はウィルクの手帳の存在など知らない。だが、今のアルフィの答えから、ウィルクがある程度の頻度で手帳を使っていたことが覗えた。
「部屋のどこ探してもないんだよな。どこいった?」
「だからこんなに散らかってるわけね」
アルフィは頬を引きつらせながら、ベッドの惨状をみる。
「ていうか、私がアンタの部屋のことなんか知るわけないでしょ? どこかに届けられてるんじゃないの?」
「それにしちゃ、我が物顔でくつろいでるよな」
「何? 私、何か疑われてる? ウチの寮と造りが一緒だから慣れてるだけよ!」
顔を赤くしたアルフィを『ギャグだギャグ』となだめ、流は三つ目の質問に入る。
「ウルスさんから今日はダメだって言われたろ? 何で来た?」
「どうしてそれが三つ目に来たのよ! 前二つが全ッ然意味わかんなかったんだけど!」
「二つの質問については、ちゃんと説明する」
流は淡々と告げ、アルフィの答えを促す。
「で、わざわざバルコニーまで登ってまで、こんな時間に会いに来た理由は?」
アルフィはため息を吐き――、
「気になったから。……悪い?」
拗ねたように答えた。
頬を染めて視線を逸らすアルフィに可愛げを感じて、流は安心してしまう。
『ふうん』という声が、己の口から漏れた。
どうやら、ウィルクはただの恐妻家というわけでもないようだ。当然だが。
「何よその『ふぅん』ってのは! だって気になるでしょ!?」
流の感嘆を聞き咎めたのか、アルフィは語気を荒くしてまくし立てる。
「いきなりあんな風に倒れて! しかもその原因がヴェノの過剰摂取!? 何やったのよアンタ!?」
「いや俺にもわからねぇ」
「『わからねぇ』って何!? それでなくとも、ここのとこ様子が変だったのに! 起きたら言葉遣いも人相もまるで別人みたいだし! 何が起こってるのよ一体!?」
ノリ良く叫んだアルフィだが、その様子から大きな不安が垣間見えた。彼女の中でウィルクに対する心配や疑問が、より強い恐怖心に侵され始めているようだ。
当然だろう、と流は思う。
アルフィにとってウィルクは旧知の仲なのだ。そんな相手が突然豹変すれば、恐怖を抱くのも無理はない。
「のんびり茶しながら話してる場合じゃねえな」
そう言って、流はアルフィの対面の椅子に腰掛けた。
きっとまだ、早すぎるだろう。
本当はもう少し、流が知識をつけて話が理解できるようになってからがよかった。
もっと探りに探りを入れて話そうと、流は考えていたのだ。
――なるべく、アルフィのことを知ってから。
――なるべく、双方にダメージがないように。
「アルフィさん。実はな」
だが、やめだ。
少しは真摯に彼女を傷つけよう。
「記憶がなくなっちまったんだ」
アルフィの瞼が大きく開かれ、サファイアのような輝きを持つ瞳が完全に露わになった。
息を呑む。そんな表現がピタリと当てはまるように、彼女は何も発せない。
その衝撃はやがて、冗談や悪夢を疑う段階にまで至ったのか、アルフィはどこか息苦しそうに唇をわななかせている。
「全部だ」
流は冷たく言った。
「今日の模擬試合で、アンタが俺の肩を揺さぶったくらいに気が付いた。それ以前の記憶が全部ごっそりいかれてる」
その告白がアルフィの喉を締め付けているかのように、彼女から言葉が出ない。
「自分の生い立ちも、孤児院のことも、アルフィさんのことも、この養成学校のことも、全部忘れた」