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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第二話 行き倒れ王女と信疑の鯨
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33.かの邪神

 ハウネル王国ヴォークラルド街、デイラードホテル。

 デュザの知る限り、少なくともヴォークラルドでは最も上等なホテルの一つだ。主に貴族が利用するが、中でも格式のある家柄が多いので有名である。


 その最上階にあるアイデアル・スイートルームのドアを、デュザはコンコンと叩いた。


 ――返事はない。


 ハンドル型のドアノブを下げると、特に鍵が掛かっている手応えを感じることはなかった。デュザはそのままドアを開け、中に入る。


 まずは玄関のような空間が広がっており、もう一つドアがある。そのドアの向こう側から、せせらぎのような繊細なメロディーが微かにだが漏れている。


 デュザはそのドアを開いた。


 今度ははっきりと聞こえる、鍵盤楽器の旋律。だが、それは実物から奏でられているものではなく、ミュージックボックスから発せられる背景音楽だとわかる。

 アンティーク調の造りにこだわった、重装感に充ち満ちた家具。静かに流れる神秘的な調べは、どこか可視的である錯覚を与え、そこにそっと添えられるような上品さを醸し出していた。


 浮き世離れした演出。

 その男は椅子に腰掛けてハードカバーの本に視線を落としている。

 まるで、その光景が一枚の絵画として成立していると思わせるほどに、男の佇まいは完成されていた。


 彼はデュザの入室を認めたのだろう。本に栞を挟み、音もなく閉じる。

 そっと、ダイニングテーブルの上に本を置いた。


「久しぶりだな、デュザ。いきなり現れると驚くだろう」


「こんな部屋ではノックが伝わるまい」


「おいおい。呼び鈴があるんだよ」


「知るか」


 彼が立ち上がると、その高い身長と広い肩幅、長くスラッとした脚というシルエットがよくわかる。その顔はほっそりと引き締まり、三十半ばには見えぬ若々しい肌と、彫りの深い顔。

 藍色のワイシャツに、ベージュのパンツは完全に私服だ。いずれもブランド物だろうが、高級感というよりも清潔感を見る者に印象づける。


 ――シグワルド・サレイネ。


「掛けたまえよ。色々と話したいことがあるのだ」


 落ち着いたトーンで言うと、サレイネはダイニングテーブルの椅子を一つ引いた。

 デュザはその椅子の背もたれに右手を置くと、サレイネに訊く。


「貴様が同席するとは聞かされているが……、当の女史はどこへ消えた?」


 サレイネは少し困ったように眉を垂らし、口元を吊り上げた。


「こちらです、デュザ様」


 そんな艶やかな声の方を向くと、エプロン姿のヨミア・ヴェルハザードが部屋の奥にある空間から現れた。

 彼女はどういうわけかサービスワゴンを押しており、その上にはワインとおぼしきボトルとそのセット、そしてローストビーフが乗せられた大皿のサラダが乗っていた。


 カートを止めてデュザの前まで歩みを進めると、彼女はスカートを両手の指でちょこんと摘まみ、令嬢然としたお辞儀をする。事実、令嬢なのだが。


「ご無沙汰しております。デュザ様」


「ご挨拶が遅れ申し訳ない」


 そんな彼女に、デュザは適当に挨拶を返す。

 そして、こんな堅苦しい空間に呼び出された理由を、早々に問うことにした。


「お呼び出しに応じ、参上した。早速だが、ご用件を伺いたい」


 しかし、ヨミアは気を悪くする様子など一切みせず、あまつさえ優美な笑顔をデュザに向ける。


「どうかお掛けになって下さい。今日はお仕事の話では……、良心に従い、素直に『半々』と白状しますが、名目上はただのお茶会です」


「……お声掛け頂き、感謝する」


 悪びれない彼女に、デュザは薄ら寒いものを感じさえした。


 大人しく手を乗せていた椅子に腰掛けると、サレイネもそれに続く。

 ヨミアは机にボトルセットを置いた。


 ワインのコルクを抜こうと頑張るヨミアを、サレイネが珍しく心配そうに見守っている。


 ――キュポ。


 と控えめな音が立てられ、どうやら栓抜きに成功した様子のワインボトルである。

 サレイネは微かに息を漏らし、デュザもどこかほっと安心してしまう。


 つつがなく、デュザとサレイネのグラスにワインが注がれ、今度はサラダがテーブルに並べられた。


「そういえば、久々のグルマはどうだったかね?」


「悪趣味な」


 サレイネの問いに、デュザは悪態を吐き応じる。

 グルマといえば裏切り者に対する懲罰であり、その内容は熾烈を極める。


「それよりも、訊きたいことがあるのだろう?」


「君がいない間、ちょっとした事件が起こった。是非意見を、と思ってね」


「ちょっとしたものなら、私の意見など聞くまでもなかろう」


「“器”のことだ」


 その単語に、デュザは硬直する。

 そして、脳裏に半月ほど前に手放した密偵の顔がよぎった。


「実は、あの方と同行しているアルバーニア様が、“祭具”を持ち去られたルアノ王女殿下に接触したようなのです」


 ヨミアの言葉に、思考を巡らせるデュザである。

 ルアノ=エルシア・ルクターレが“祭具”を持ち去った。おそらく、≪赤の預言≫でサレイネ達の計画の一端が明らかになったのだろう。


 エプロンを外したヨミアはデュザの隣の席に腰掛け、自分のグラスにソーダ水を注いだ。

 そしてグラスを手に取り宙に持ち上げたので、デュザはサレイネと併せてグラスを持った。


 音頭もなしに、三人はグラスを当てぬように乾杯をする。

 デュザはワインにちびりと口を付けた。


「それで――」


 事態をはっきりと理解していないデュザは、二人に訊いた。


「意見とは?」


 サレイネはグラスを持ちながら、背もたれに寄りかかる。かなりリラックスした様子で、事の大きさのわりに緊迫感がない。


「不思議に思わんかね? 王女殿下が“祭具”を持ち去ったのは、あの御方が巫女であることから、まあわかる(・・・・・)。しかし、ウィルク・アルバーニアがそんな殿下に接触したのは、どういうことか?」


「アルバーニアのことは、全て“アレ”に任せていた。私に訊かれてもな」


 サレイネはグラスを揺らし、その黒い液体を眺めてながら言う。


「これは、アルバーニアが私が思った以上の化物で、どうにかして“祭具”の情報を手に入れたということか? それとも、実は“アレ”はリセットなどしていないのではないのかね?」


「リセットしていない?」


 サレイネの馬鹿げた発言に、デュザは鼻を鳴らして笑ってしまう。


 そんなことがあるはずはない。彼らが“器”と呼ぶ存在は、確かに計画に必要な情報だけを残し、養成学校での記憶をロストしたはずだ。そんなアルバーニアにだけ都合がいいリセット漏れなど、どう考えてもあるはずがない。


「アルバーニアと過ごす内に、“アレ”は彼に好意を抱き、その思い出を惜しんでリセットを拒んだ。十分に考えられることだ」


「グルマのせいで私の耳がおかしくなったのか? 今、貴様が“アレ”を人間扱いしたように聞こえたが」


 軽口を叩くデュザに、サレイネがふっと口元を緩めた。


「まあ確かに。この期に及んでそう考えるのは、いささか都合が良すぎるか」


 そんな彼の呟きが、宙に溶ける。


 しかし、“祭具”――すなわち≪傾国の魔剣≫がアルバーニアの手に渡ったのは、確かに不自然だとデュザも思う。

 アルバーニアが狙ってやったとしたら、彼はヘルゼノスに対して明確に敵意を持っている。

 それならば、未来はデュザが賜った≪黒の預言≫とは、また違う様相をみせることになってしまう。そして、筋道を違えるような制約違反を、デュザは決して犯してはいない。


「それにしても、随分と余裕なのだな」


 “祭具”が手元から無くなり、アルバーニアの手に渡ったのなら面倒だろうに、サレイネは危機意識を抱いていないようにみえる。


「アルバーニアが自力で“祭具”のことを知り、更には王女殿下に近づいたのであれば、まあ確かに危険だとは思うがね。もし、“アレ”がリセットしていないという説が当たりなら――」


 一拍置き、サレイネは肩をすくめた。


「慌てようもないだろう。ゲームオーバー。我々の敗けだ」


「女史はどういう了見なのだ?」


「そうですね。私はアルバーニア様と王女殿下は、運命的に出会ったのだと思います。もちろん、あの方とアルバーニア様も」


 そう言って、ヨミアは達観した笑みを浮かべている。

 全く考えが読めず、デュザは思わずサレイネと顔を見合わせてしまう。


「それはロマンのある考えだが、だとすれば少し物悲しい。意外と預言の本質は、決まった筋書きを読み上げるだけのもの――、なのかもしれんな」


 そんなことを言い出したサレイネに、デュザは『破戒者だ、それでは』と零す。


「もっとも、アルバーニアが“アレ”と運命的なものを持っているのは確かだったか」


「相性がいいのは確かだが、果たして運命と呼ぶか?」


 アルバーニアの血液は、≪聖霊水≫に波紋を起こしたという。

 故に、“器”とアルバーニアが自然に(・・・)仲違いすることはないのだろうが、それは人為的なものが介在しているため、デュザは純粋な運命と呼ぶのに抵抗がある。


「とにかく、私は“アレ”の担当から外れたはずだ。もう意見を言える立場にはないだろう」


 デュザはため息を漏らした。

 これ以上、無駄な議論をするのも億劫だ。仕事ではないなら帰らせてもらいたい。


「ご用件はそれだけだろうか?」


「いえ、別に今の質問の為にお呼びしたのではありません。このお茶会は、シグワルド様のお祝いなのです」


 意味のわからないヨミアの言に、デュザは眉をひそめた。


「……お祝い?」


「ああ。実は内定をいただいてね」


 唐突なサレイネの発表に、デュザは絶句する。

 これは間違っても『おめでとう』とは言いたくない。


 ならばいつも通り、厭味の一つでも言ってやればいいものの、それが出てこないデュザ。そしてグラスを傾けてワインを口にするサレイネ。


 そんな二人に、ヨミアは両の手のひらを合わせて言った。

 百合を咲かせる表情で。


「お料理、どうか召し上がってくださいませ。全て、ヨミアが一人で作ったのですよ?」



***



 ルアノ=エルシア・ルクターレは夢現――、意識の半分を夢の世界に浸しながらも、完全に手放さないような、そんな心地の良いうっとり気分にその身を委ね――。


 ――ビク!


 と不意に訪れた筋肉の痙攣――ジャーキングにより、その意識を現の側に一気に寄せた。


「オイ、大丈夫か?」


 そんなルアノの挙動に、隣に座っていたウィルク・アルバーニア――、自称リュウが驚いたというより、少し気味悪がるような表情を向けてきた。大変失礼な男である。


 馬車(ラクダ)特有の身体の揺れ。

 そして、ルアノは思い出す。

 自分達は何とかルネに辿り着き、リュウの旅券を発行するため、朝一番に街の中心部である役所に向かうことにしたのだと。


 ≪ウルトラシング≫でのシージャック事件。今は、それを乗り越えたあの朝焼けをみてから、もう丸一日以上が経過した午前中だ。

 リュウはルアノとシロノに挟まれ、二人の頭をその両肩に預けられながら、朝刊を読んでいたようである。

 シロノはリュウの左肩に頭を乗せて、腕を組みながら無垢な表情で眠っている。


 手で口を覆いながら、軽い欠伸をするルアノ。

 リュウが無言で朝刊を回してくるので、興味はないが素直に受け取った。


 ――どうせ、≪ウルトラシング≫の事件についての記事が、たらたらと綴られているに違いなかった。


 事件翌朝の朝刊の一面を飾ったそのビッグニュースも、正直言って一日経ってしまえば鮮度落ち。伴って、シビアにみれば記事もセンセーショナルな内容とはいえなくなる。


 だが、リュウによって手渡された朝刊の一面は、ルアノにとってはより衝撃的な内容だった。


 頭が冴える。

 というより、“凍てつく”という表現がもっともらしい。


「嘘でしょ?」


「考えすぎだったら、俺らがバカってことで、まだ救いようがあるんだけどな」


 思わず零したルアノに、リュウは一瞥もくれずに呟いた。


 ≪ウルトラシング≫で発生したシージャック事件に起因する、≪シーリング≫の株の大暴落。

 いっそ紙吹雪を彷彿させるほど景気よく舞い散った証券は、当然だが市場で生じたとんでもない大惨事を示していた。


 シグワルド・サレイネが、それらの大半以上を買収したというのだ。

 結果的に、サレイネは主として黒服組が被った減損を補填した、ということになる。


 それが、何を意味するか?


 サレイネは十二連盟管理委員会へと招かれる、十分な功績を手に入れた。純粋にそうみるだけなら、ルアノにとってはまだよかった。その価値と意味が、ルアノにはまだわからないのだから。


 だが、彼が移籍するという噂は以前より流れていたのだ。

 これでは、順序があべこべではないか。


 道行く者が、蟻を踏み潰すことに罪悪感を抱くだろうか?

 悪意ですらない“それ”に、ルアノは吐き気を覚えさえした。


 ――識っていた(・・・・・)のだ。


 ≪ウルトラシング≫で発生するシージャック事件を。

 ≪シーリング≫という、クルーズ市場における王者の沈没を。

 煽りを受けて路頭に迷う、多くの人々の運命を。

 首をくくる者さえ現れる、投資家達の顛末を。


 ――十二連盟は識っていたのだ。


 たかだかサレイネに、どうしてそれだけの価値がある?


 ルアノは、ともすればサレイネと近い将来相まみえるであろう少年の顔を見た。


 そして、己の錯覚に、目を手のひらで軽く擦る。


 改めると、リュウは眉間に皺を寄せ、不可解な事態に思い悩むようにして難しい表情をみせていた。


 ――ただの気のせいだ。


 ルアノは自分の意識を、再びサレイネの事件へと向けた。


 今、一瞬だが。


 リュウの顔、――特に口元が酷く歪んでいたようにみえた。

 その表情をどう形容すればいいのか、ルアノにはわからない。


 何故なら、はっきりと認知ができなかったから。


 まるでリュウの表情を隠すよう、白黒の砂嵐が彼の顔だけにうっすらと被さった。そんな、あまりにも現実離れした光景がルアノの視界に入った気がしたのだ。


 勿論、気がしただけで、そんなことあり得るはずもないが。


 何でもない目の錯覚をきっかけにして、ルアノはサレイネの謎に頭を抱えつつも、ふと一つの逸話を頭の片隅で思い出していた。


 そういえば、まるでこの世の者ではないかのように、人々には表現不可能な異を持ったもの(・・)が遠い昔に存在したのだった。


 その名は現代においても、暗黒組織が(いただ)くことにより、決して誰からも忘れられてはいない。


 かの邪神、――ヘルゼノス。





<第二話『行き倒れ王女と信疑(しんぎ)の鯨』 了>





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