29.脱出の方法
リュウは結局、一階のシャチがあるデッキに引き返した。
クロードの亡骸を背負ったまま。
そうするほかなかった。
ルアノが大声を出して、駆け寄ってくる。
だが、呆然としたリュウに彼女の叫びは届かない。
リュウはゆっくりとクロードを床に寝かせた。
ルアノはクロードに何かを訴えているが、彼が応えることはない。
シロノがクロードの首に右手を当てる。ややあって、己の頭を左右に振ってみせた。
――そうだよ、死んでるよ。
リュウは立ち上がり、夜空を見上げた。
だが、事態はそんなリュウ達が感傷に浸る暇さえ与えない。
虚ろなどこかを彷徨うようなリュウの意識を、一気に引き戻すようにその声は聞こえた。
「殿下!」
聞き慣れない男の叫びに、リュウは船内へと続く扉の方をみやる。
声の主はその身を制服に包んだ、サングラスの男。
どこかチンピラめいたその容貌は、リュウにも見覚えがある。
「ヴォルガ!?」
それはいつのことだっただろう、と記憶を探っていると、ルアノが彼の名を呼んだ。そして、リュウは思い出す。
≪剣竜の現身≫最終選抜試験で、王族達の来賓の際、護衛としてルアノの傍に付いていた≪現身≫だ。
確か、ロイヤルガード。
――味方か?
リュウがそうルアノに尋ねようとする寸前。
ルアノはヴォルガと呼ばれたサングラスの男の元に駆け寄り、飛びついた。
「ヴォルガぁああ!」
ヴォルガはルアノをキャッチすると、彼女の小さな体躯を抱きしめた。ルアノの赤髪に右手を乗せて、癖のあるそれをくしゃくしゃと撫でる。
「ご無事で、なによりでございます……」
「うん、色々……ホント、色々あったけど、メチャクチャ寂しかったけど、結局大丈夫だった。わたしは大丈夫だったんだけど――」
ルアノはこれまで溜め込んできた感情を吐き出すようにして、ヴォルガに甘えていた。リュウはそれを微笑ましく思う一方で、この状況が有利なのか不利なのかの判断を見極めあぐねていた。
もっとも、ここで彼らと敵対する意思はリュウにはない。ルアノがああまでする人物ならば、きっとルアノに害をなす真似はしないはずだ。
「クロード……?」
ヴォルガの後ろから姿を見せた、金髪の制服組が呟いた。彼はリュウ達の傍にあるクロードの死体を認めると、その視線をリュウへと移す。その瞳には明らかに剣呑なものが宿されていた。
「おいおい。ちょっとそいつは……」
そして、ヴォルガもルアノを丁寧に自分の身から放し、サングラス越しにリュウ達へと敵意を向けた。
「お前、ウィルク・アルバーニアか?」
そして、彼は左手の拳を握り、それを右の手のひらで包む。
「そっちのカマ野郎はデュザレイドさんの部下だな」
「ちょっとヴォルガ、待って!」
ゆるりとリュウ達へ距離を詰めようとするヴォルガを、ルアノは手を引いて止めた。
「その人達は味方だよ! わたしを助けてくれたんだ!」
二人の制服組は、無言でリュウを睨んでいる。
「説明させてくれ」
リュウはため息を吐いて、そう言うほかなかった。
***
ルアノに≪ウルトラシング≫のチケットを譲渡したこと。そして彼女が退っ引きならない状況に置かれていると判断し、手を貸そうとしたこと。テレサとの抗戦に至る経緯。
それらをかいつまんで説明するリュウに、二人は口を挟まなかった。
金髪の男に至ってはクロードの死体に寄り添っており、リュウの方を見向きさえしなかった。
「ハーゼ・ミストレイさんに伝えてくれ」
リュウは金髪の男に呼び掛けた。
それは、クロードがルアノの前で代行を宣言した際に呼ばれた名前。つまり、クロードはミストレイという人物の代わりに、ルアノを護ったのだ。
「俺だよ」
金髪の男――ミストレイは立ち上がると、リュウを振り返る。
その瞳は、先程までの射貫いた者を切り裂くような鋭さが完全に失われ、哀愁を秘めたとても静かな色を映している。
「俺ごときに“騎士”を語る資格はねえが、多分その人を“そう”呼ぶんじゃねえかと思う」
今際。人がいつか訪れる終焉の極地。
そこに追いやられ、なおクロードは自分のことなど何一つとして残そうとしなかった。
彼はルアノの命に忠実に従い、リュウの懇願もルアノの安全のため頑なに拒んだ。そして、自身に死が迫るその暇に、彼はルアノを護れとリュウに言った。
――ああ、酷く手前勝手な話だ。
だが、そのことを責めるつもりはリュウには毛頭ない。もっとも、それは当然のことなのだろうが。
テレサとの共闘を終えたそのときから、クロードはリュウにとって邪魔な存在だったことは素直に認める。
リュウのような者がそう思えるということは、裏を返せば、クロードはそれだけ本気でルアノの為に戦っていたということだった。
「きっと、本物だった。最期まで、ルアノの身を案じていたよ」
「そうか」
そう呟いて、ミストレイは瞑目した。
ややあって、その目を開く。
「ありがとうね。ウィルク・アルバーニア。……本当に」
そう褒められるようなものではない。
リュウはミストレイの真っ直ぐな感謝に、どうとも応えられなかった。
クロードが死んだのは、自分の些細なミスのせいなのだから。もしかすると、そう考えることさえもおこがましいと思えるほど、リュウは後ろめたさを抱いている。
『悪くないのに謝っちゃダメ、なんでしょ?』
脳裏に蘇った彼女の言葉は、そうやって己を責めることで罪悪感から逃れようとする卑怯さを、決して許さない厳しさを孕んでいた。
そうやってリュウを正してくれるその言葉は、とても痛くて、染みる。
それを教えてくれる者など、元の世界にはいなかったのだから。
「なあ、そろそろいいか?」
ヴォルガが口を開いた。
「お前ら、もう警備隊のクジラに避難した方がいいぜ。爆弾があるんだろ? まだハウネルの領海だが、保障できねえぞ」
「あ、そうだよ……」
ヴォルガの指摘に、ルアノがはっとしたように頷く。
「あんたらはどうする?」
「それは教えらんねえ」
「ちょっと、ヴォルガ……」
尋ねたリュウに冷たい反応をみせるヴォルガ。そんな彼をルアノが諫める。
「殿下、彼らに思うところがあって、意地悪のように突っぱねているわけではないのです」
ルアノにミストレイが言った。
そんな彼らの言葉から、リュウは推測を立てた。
「ノープランなんだな?」
「いやいや、ンなワケないでしょーが」
リュウの指摘に、ルアノは半眼で睨んでくる。彼女には、リュウが冗談を言っているように聞こえたのだろう。
場が静まり返った。
制服組は二人とも何も発さない。
そんな空気にルアノは、
「へ?」
と間抜けな声を上げた。
***
「警備隊のクジラに逃げ込まなかったのは、ナイスジャッジだったな」
そうヴォルガは言った。
「もちろん、だからって犯人と交渉なんざ、していいわけがねえけどな」
「ヴォルさん。殿下をお護りしようと戦った人に、その物言いはあんまりじゃね?」
ヴォルガの咎めるような発言に、ミストレイが抗議を入れる。
だが、ヴォルガの反論は冷徹だった。
「ハーゼ。テメエはコイツの本性を知らねえ。根性が腐ってるだけじゃなく、頭も口も回りやがる。始末に負えねえクソ――」
ヴォルガの頬にルアノのストレートが炸裂した。
無言でそれを行使したルアノに、リュウは若干の恐怖心を抱いてしまう。
「……警備隊のクジラには俺ら以外にも、複数の勢力が乗り込んでやがる」
ズレたサングラスを正し、ヴォルガは改めて情報を整理する。
頬と口元の傷に触れないのは、彼のプライドなのだろう。
「もちろん、元々の警備隊の連中に、殿下をどうこうしようって不埒な輩が潜り込んでる可能性なんざ極小だが、まさかってこともある」
「加えて、クロードからの報告は“盗聴”されている可能性があります。これは、海上から我々に対して連絡を取る手段が限定されていたため、どうしても生じうる瑕疵なのです。ご容赦を」
行きはよいよいと言うように手ぶらで参上したのは、彼らにとっても本当に緊急だったからだろう。
警備隊の人間より一歩先んじてルアノの前に現れたのは、事実としてそれだけでもかなりのアドバンテージだ。彼らの協力により、ルアノの脱出はその方法に選択肢が増え、現実的になってきた。
「マジでどうしようね? こうなったらホントにシャチでシェイリスまで逃げちゃおうか?」
ルアノはリュウに視線を向けた。
「シェイリスで捕まっても、危険な勢力より早く御上が何とかしてくれんならアリだな」
そう答えたリュウだが、ミストレイは『いや』と反論。
「それは危ない賭けでございます、殿下。シェイリスで頼れるのは、ヴァン様だけでしょう? あの方の元にまで、御身が捕らえられたという情報が、そうも早く伝わりますでしょうか?」
「だな。からといって、そこで身分を明かして――まあ、信じてもらったとしても、そこに殿下がいることを余所の連中に教えちまうことになる」
このまま≪ウルトラシング≫がシェイリスまで行ってくれるのならば、入国してしまったルアノもシージャックの被害者扱いで済む。だが、シャチで領海をまたいだとなれば、それはもう明らかな密入国だ。拘束は必至だろう。
「じゃあ、シャチでルネまで逃げるのは?」
そうルアノは提案すると、ミストレイは今度は頷く。
「まあ、犯人と間違えられて海上警備隊に捕まりますが、それが一番現実的ではないでしょうか? わざわざシャチまで追ってくるのは、本当に犯人の捕縛を目的とした公安局の者だけでしょうし」
「そうとは限らねえだろ」
とヴォルガ。
「もし殿下を狙う連中がいるなら、殿下がまだ≪ウルトラシング≫の中にいることぐらい把握してるはずだ。警備隊のクジラに避難してないって情報は共有されてんだろ」
「だったら、逆にシャチで逃げたら、それがルアノだってバレちまうかもな」
「そうそう、そういうこと。お前はもう行っていいぞ」
あくまで厄介払いをしようとするヴォルガに、リュウは眉をひそめた。
確かに彼からすれば、一刻も早く警備隊のクジラに避難するのがリュウのベストなのだろうが、リュウからすればまだ引き下がれない。
「どうしよ……? わたし、完全に異教徒に狙われてるみたいなんだけど」
そんなルアノの発言に、ヴォルガがぴくりと眉を動かす。
「オイ、どういうことだ? オカマ野郎」
ヴォルガの鳩尾に、ルアノの拳が入った。
またしても、無言だった。
「学習しろよ、ヴォルさん。てか、男物着てるじゃん。何てこと言うんだよ」
ミストレイは呆れたように、崩れ落ちたヴォルガを見下ろしている。その眼は侮蔑の濁りを携えていた。
「あのさ! わたしが男装して警備隊のクジラに逃げるのは!?」
閃いた。そう言わんばかりに、勢いよくルアノが言う。
「ごほっ、……男装はともかく、……何とかして警備隊のクジラに乗り込むのに、……賛成」
苦しそうにヴォルガが手を挙げる。
「相当なリスクを背負うことになりますが、……それは潜入の方法次第ですね」
「男装するだけじゃダメなの?」
「チェックは相当厳しいかと。おそらく、並大抵の変装ではバレてしまいます」
難儀な話だ。そうリュウは思う。
たとえロイヤルガードと呼ばれる兵達でも、ルアノを堂々と警備隊のクジラに移乗させることができないのか。
むしろ、それだけ慎重なのは、やはり理由があって然るべきだ。
彼らはルアノを狙う、あるいはルアノが脅威視している存在を認識している。
それは一体何なのか?
それを知るのは、ここを出てからでいい。
「ルアノを隠す方法に、提案がある」
ある。その方法が。仕込みが。
今この状況なら、その勝率は現実的な数字になっているはずだ。




