08.信仰と科学
――ボオオオォォ……。
「……相変わらず、……ひでぇ起こし方しやがって」
クジラの大きな警笛に、リュウは意識の覚醒を余儀なくさせられた。
この港町ホガロでは、もしかして皆このような朝を迎えているのだろうか。
窓をみやると、空はようやく朝焼けが照らし始めたという明るさだ。紛れもなく、早朝である。
「健康的じゃねえくああぁ……」
リュウはあくびを一つして、ベッドの上であぐらをかくと、シャツの下に右手を突っ込んで腹を掻いた。
こういう欲求に駆られる辺り、人間も所詮は動物なのだと思い知らされる。
――シロノのヤツ、もう起きてるか?
シロノとは部屋が別々である。
彼の生活感の希薄さからだろうか。リュウは最初、シロノからは機械めいた印象を抱いており、規則的な生活を律儀に守っているのだろうと思っていた。
だが、実際には違う。
彼もリュウと同じく動物だ。
本能の赴くまま、朝っぱらから近辺をぶらぶらすることもあり、かと思えば、リュウが朝食を終えるまで惰眠を貪っていることもある。
リュウはベッドから降り、身支度を整え始める。
その間に、昨日出会ったエルシアを名乗る少女のことが思い出された。
見てくれは、ただの可愛い素朴で元気な娘で通るだろう。
だが、彼女の言動の節々からは、育ちの良さや“特別な何か”が滲み出ていた。
おそらく、家出した上層の貴族で間違いない。
そんなお嬢様が、金もないような状態でやっていけるのだろうか?
だが、彼女をリュウが心配するのは間違っている。自分など、金はあっても、この世界の知識がないのだから。
それに、家出なら気が済むまでやるべきだ。そうリュウは考える。
――たとえ、どんなに危険で、どのような顛末になろうとも。
リュウは懐中時計を確認した。時刻は六時。
そろそろ、シロノの部屋に行くとしようか、と動き出したリュウだった。
***
向かいの部屋の扉をノックしたリュウを出迎えたのは、長い黒髪に寝癖をつけたシロノだった。
彼の金色の瞳は常に虚ろであり、普段とあまり差異は見受けられないが、おそらくは寝ぼけ眼をしているのだろう。上瞼に力が入っていない。
普段はミステリアスな雰囲気を纏う彼が、こんな体たらくでいいのだろうか。
しかしながら彼の容貌は、そんなズボラな一面を見せたところで、愛嬌にしかならないのだから恐れ入る。
「シロノ。もう起きるか?」
そう訊いたリュウだが、シロノは返事を返さない。
まるで目を開けて立ったまま眠ってしまっているかのように。
「シロノ?」
「――――」
“まるで”と“かのように”は必要なかったらしい。
リュウはシロノの小さい肩を掴んで、その向きを一八〇度回転させると、彼を部屋の中へと押し戻した。
そのままベッドに突き飛ばすと、シロノはベッドに前半身を打ち付けて動かなくなった。
――無防備なものである。
などと考えてしまうリュウも、どうかしている。
リュウは頭を軽く左右に振り、回っていない脳を叱責した。
「オイ。俺は三十分くらい散歩してくるからな」
大人しくしてろよ、と。
聞こえているかもわからない彼にそう告げ、シロノの部屋を出た。
リュウはその足で階段を降り、宿のロビーを通り抜ける。
エントランスの扉を開けると、冷ややかな風を浴びせられた。
いい加減慣れてしまった、潮の香りがする。
リュウは外の空気で肺を満たした。冷涼としたものが身体に入ると、徐々に調子が出てくるものだ。
どこかで、ヴェノのコントロールの訓練でもするか。
そう考え、リュウは適当な場所を探し求め、うろつくことに決めた。
ホガロには、港町という地理の影響なのか、急な勾配の坂が多くある。
これが結構歩きにくく、いくら地元の者でも、歳をとって筋肉が衰えれば移動するのにも一苦労だろう。
そういう意味では、この町は活気こそあるものの、生活の根を下ろそうとまで考える者は多くないのではないだろうか。
リュウは宿から距離二百メートルほどの公園にたどり着く。
周囲に人はおらず、“子供達の公園離れ”は何も元の自分の世界に限った話ではないのだな、と心の中で笑ってしまう。
リュウにとっては好都合だ。
今なら人目につかずに、ヴェノを制御する訓練ができるというものだ。
リュウは静かに目を閉じた。
そして、思い出す。
――これは、リュウの大切な恩人である、アルフィ・アルバーニアから教わった話だ。
***
およそ四百年以上も昔、この異世界には“魔神”と呼ばれる人類の敵が存在した。
彼らはどこから現れるのか、いつ現れたのか、何故人類に害をなすのか。それを知る者は、少なくとも記録上には存在しないとされている。
さて、人類は魔神達に対抗すべく、各国が同盟を結び、この時代でいうところの対策委員会のようなものを設立。
だが、彼らが相手にできるのは、せいぜい魔神の配下にある魔物程度であり、魔神討伐の計画は早速暗礁に乗り上げることになる。
そんな絶望的状況の最中、まるで救世主のごとく現れたのが、一人の天才少女だった。
彼女は当時の人々には考えられないような妖術を駆使し、一柱の魔神とその配下を殺してみせた。それも、たった一人の双子の妹にしか、背中を任せることなく、である。
彼女の神業を目の当たりにした者達は、こう称した。
――“奇跡”。
それが現在、この異世界の“奇手”達の人智を越えた特殊能力の語源となっている。
聖女ルーセアノは、最後の戦いで命を落とす。だが、彼女の妹を筆頭にした七人の弟子が、彼女の奇跡を世に広めた。
そしてルーセアノは、聖女ではなくなった。
人々が彼女を神格化したのだ。
救世の女神ルーセアノに対する信仰は、瞬く間に広がることになる。
ルーセアノを祀る団体、“ルーセアノ教会”は僅か数十年にして国家と並ぶだけの権力をア・ケートに根差し、信者は教えを忠実に守ることにより、各々の奇跡を発現させていく。
しかしその後、単純な“教え”と“修行”により、奇跡の恩恵を受ける信徒達の態度に対し、一石を投じる団体が現れることになる。
ルーセアノ信仰が始まり、約二百年の時が経った。
人々の商いに対する価値観は、国家連の壊滅や体制変化を起因とし、徐々に様相を変えていく。貴族達の商会による市場独占に対する反発勢力の出現、各地域を統治する領主達の搾取に対する一揆。果ては内乱。
それらにより、多くの国で民衆達による独立した経済的利益の獲得を認めざるを得なくなったのだ。
やむを得ない情勢だったとはいえ、国家にとってその判断は正しかったのだろうか?
その更に百年後、国をまたぐほどの規模を持つ超級の企業が、“ノブリスオブリージュ”の信念に基づき、同盟を結んで非営利団体を運営し出したのだ。
――それが“十二連盟”のルーツである。
そして、十二連盟は巨額の研究費用を投じ、ルーセアノの奇跡の正体を科学的に分析する研究機関を発足する。これに対し、教会は賛成派と反対派の真っ二つに分かれて勢力争いを起こしてしまったが、それはまた別の話。
結果的に、奇跡の研究機関は教会の協力を得て、わずか数年でヴェノの存在まで辿り着いた。
教会は信仰心、十二連盟は科学から。
それぞれ別のアプローチで、“奇跡”という現象を起こせるようになったのだから面白い。
今やヴェノの存在は常識となり、未だ解明されていない謎はあるものの、大まかなカラクリは暴かれた。
これにより、人類に奇跡に対する理解が深まり、ルーセアノ教会の信徒に限らず、多くの者達がその恩恵を得ることになった。
そして現在、個人がヴェノを受け入れる素養を、“抵抗係数”と呼ばれる数値として、血液検査で測ることすら可能な世界となっている。
もっとも、そこまで奇跡についての解明が進んでいながら、科学的な理屈では説明できない能力についてはもちろん、ヴェノの正体という根本的な部分さえ明らかにはされていない。
さながら、そこから先は、超越した存在にしか理解を許されていないかのうように。




