52.デュザの胸中(前篇)
「もう一度だけ訊こう。“器”を逃したとは、どういうつもりだ?」
ハウネル支部主席である監督官の声が、審問所に厳かに響く。
異教徒組織・ヘルゼノス、ハウネル王国首都ハウネル支部。
デュザはそこで、≪リフリーラ審問会議≫に召喚されていた。
――ルガール・リフリーラ。
彼ら異教徒が信奉する、邪神ヘルゼノスを嫉妬から殺したと言われている、女神ルーセアノの八人目の弟子だ。
彼はルーセアノが赦したヘルゼノスを殺したことにより破門され、その名を栄誉ある彼女の弟子から除名されたのだ。
それこそまさに、≪リフリーラ審問会議≫の名の由来であり、この会議の目的は裏切り行為を行った者の裁判だ。
デュザは十数名いる審問官に囲まれるようにして、証言台に立たされている。
「どうもこうも、≪黒の預言≫に従ったまでの話だ。そう何度も申し上げている」
呆れたようにデュザは証言した。
このようなやり取りを、あと何度続ければいいのか。
デュザは監督官の『もう一度だけ』を何回聞かされたかわからない。
「“アレ”はその悲願のため、我々が長きに渡って研究し、ようやく成功した“器”だぞ。それを手放すなど……、本当にそれが貴殿が賜った預言なのか?」
名も知らぬ審問官が、再びそう尋ねた。
――埒が明かんな。
とんでもない誤算だった。
デュザはもっと早くに、処分が下されるとタカを括っていたのだ。
しかし彼らは、≪黒の預言≫を賜る奇手であるデュザに対し、自分達では簡単に処分を言い渡せないでいる。
無為な時間を過ごしている自覚は、彼らにもあるのだろうが、≪預言≫を賜ることができるデュザに対して誤った処分を下してしまった場合、彼らの立つ瀬がなくなってしまうのだ。
だから、彼らはデュザの自白を待っているというわけだ。
ならばいっそ、自分の言うことを信じてしまえばいいものを、彼らはそれすらもできないようである。
もっとも、実は彼らの判断は正しい。
デュザの言うことは、半分事実であり、もう半分は虚実だった。
≪黒の預言≫の内容から計画を練り、いよいよデュザに次の啓示が降りたのは、もう一年も前のことになる。
***
黒の亡霊。
後に、そう養成学校の学生達に呼ばれることとなる存在は、預言を賜ることができるデュザが面倒を見ることとなった。
“ソレ”の生後間もなくから、押しつけられたものである。
「名を」
と乳母に言われたとき、デュザは久方ぶりに心根から迷ったものである。
デュザもまた、母親が遠い存在であったため、どうすればいいかわからないのだ。
「御母上のことは関係ございません。御自身のお考えに則り、お決めになられてはいかがですか?」
「う……む」
若い乳母にそう諫められてしまい、いよいよ真剣に考え出したデュザである。
「これから、貴方様が何度もお呼びになるお名前ですよ?」
彼女がそう慈しむように、赤子を見たときだった。
デュザの胸中に、元来感じるはずがない違和感が渦巻いた。
「“ソレ”に情を移すなよ」
『名前とは、個人を定めるためのものだ』などと言われることが希にある。
デュザはその言葉には、言葉以上の意味が含まれていると解釈している。
つまり、ものを識別するために番号を振る、といった体系的な意味合いではなく、その者の人格、記憶、肉体、そして魂。そうった特別な何かでさえも、呼称する名前に込められているという考えだ。
さながら、誰かが誰かを呼ぶ際に、その呼び方だけで相手がどのような人物なのか、表現できるように。
デュザは考えた。
もしも、自分の考えに則るならば、“コレ”に名前は要らない。
「偽名を私に決めろとおっしゃる?」
目をひん剥きながら、王国騎士団養成学校の学長はデュザに訊き直した。
だが、デュザは椅子に座り、机の上で手を組む彼を冷然とした目で見下ろす。
「日頃より、密偵である“コレ”の偽名を決めるのは、私ではないものでね」
学長は憐憫の眼差しを“ソレ”に向けて呟いた。
「それではあまりにも……。貴方のように真摯な方が、この子に何の愛着心も抱いていないわけがないでしょう」
「今の私は、もう貴殿の知る私ではない」
デュザがかつて、ハウネル王国の王国騎士であった頃、学長とは一時期現場が同じだったこともあり、互いに知らない仲ではなかった。
デュザの印象としては、彼は騎士としてはとても甘く、早々に現場畑から離れるであろうことが、容易に予測できる。そんな人の好い性格をしていた。
だが、“コレ”に対して哀れみを抱くのは、思慮深い彼のような人物だけではない。
“コレ”はとても美しい外見をしているのだ。
今でも“コレ”は、何も考えず、感情さえ抱かない蝋人形のように、無表情で立っているだけだ。
そんな姿を見て、庇護欲がくすぐられる者や汚れた欲望を抱く者。様々な人間が、“コレ”をデュザの元から離し、自らの傍に置こうとしたものである。
「デュザレイドォオオオ!」
学長室の戸が勢いよく跳ね上げられ、その爆音がデュザの耳をつんざいた。
――相変わらず、五月蠅い男だ。
その声量だけで扉を開けたかと錯覚させるほどの覇気に、デュザは厄介な男が殴り込んで来たことを悟る。
「貴様は引退後に演劇でもするつもりなのか? ダルアス」
デュザは振り返り、突然に現れた口髭の男に、冷たい笑みを向けた。
王国騎士団、ダルアス・ゴルドー団長だ。
彼はその眼光を殺意でぎらつかせ、デュザを睨んでいる。
「異教などに傾倒した貴様に言われたくないわ! それよりも、どういうおつもりか!? 学長殿!」
「ど、どうと言われましても……」
学長はゴルドーが巻き起こした爆風で逆立った髪を、手櫛で整えながら言う。
「これは私が決定したことではあり――」
――ドンッ!
ゴルドーが学長の机を両手で叩いた。
整えられたばかりの学長の前髪は、再びふわりと浮かんでしまう。
「即刻、抗議なさい! ヘルゼノスの者を入学させるなど、我らが王国騎士養成学校にあってはなりませぬ!」
「いや、それは……」
学長は反論しようとするが、ゴルドーの狂人めいた迫力に押し黙ってしまう。
――無茶な男だ。
デュザは呆れてしまう。
“コレ”の入学は明らかに異質。誰しもがそう考える。
王国騎士団とて、自力でこの養成学校を運営しているわけではない。当然、国からの援助、貴族達からの多くの寄付金によって成立している。
その内の何割もの支援者を握る、何かによるゴリ押し。
この入学の背景には多くの有力者が存在する。そこには、辿れば辿るほど膝を折ってしまうような深い闇が広がっていることに、ゴルドーも気付いているはずだ。
そもそも、ハウネル王国の騎士団に、異教徒が属してはいけないという規則などない。
もっとも、“コレ”が黒服組であることは問題視されるだろう。だが、預言を賜って以来、年単位の時間を掛けて根回しをしたデュザにとっては、それも些事に過ぎなかった。
「諦めろ、ダルアス」
そうデュザはゴルドーに呼び掛けた。
「貴様は、確かにこの学校を運営する騎士団の団長だ。しかし、これは騎士団全体による決定。長一人の個人的な感情で、覆せるようなものではない」
「デュザレイド、貴様……」
歯ぎしりをしながら、ゴルドーはデュザに振り返った。並大抵の者ならば、卒倒しかねないほどの威圧感だ。
しかし、デュザにとっては鼓膜の心配をする程度に留まるものである。
「それも貴様、自分より影響力の及ばない学長に殴り込みに来るとは、どういうことだ? 大方、つい今しがた、私の来訪とこの件を小耳に挟んで、勢い任せで来たのだろう?」
『短気な奴め』とデュザはかつてのライバルに吐き捨てた。
――ブチン!
ゴルドーの堪忍袋の緒が切れる音が、部屋中に響き渡った。
彼は大げさに音を出す奇跡でも授かったのだろうか。
ゴルドーは“ソレ”の前にズカズカと歩み寄り、自らの顔を“ソレ”の顔に近づけた。
「いいだろう、デュザレイド……」
「目が悪くなったか? “ソレ”は私ではない」
「わかっとるわ!」
ゴルドーは首をデュザの方へと勢いよく曲げる。
「いいか! 貴様等が何を企んでいるか知らんが、この者の入学を認めよう」
「貴様の許可など――」
「しかし! この者が騎士団に入団できると思うな! この者にはどの試験も受けさせん! 卒業試験はもちろん、昇級試験でさえだ! そして、この者を非奨学生徒として、学内での行動を無期限に制限するものとする!」
そんなゴルドーの絶叫に、学長が反論する。
「ゴルドー殿? この子はあの編入試験を、今年度のグレード5と遜色ない成績で……、てか非奨学ってナニ?」
「学長殿! この者の目は、誇り高き剣竜の信義を継ぐ我々と、相対する者達のそれですぞ!」
学長の擁護を遮って、ゴルドーは“ソレ”を指差した。
「古臭い人間の考えだ。そんなことだから、騎士団長などというババを押しつけられる」
そうデュザは指摘する。
「何だと……?」
「だが、その古い勘こそが正しい」
デュザは口元に笑みを浮かべた。
「存外、貴様のような者が団長になってしまったのは、間違いではなかったのかもな」
ゴルドーは額に青筋を作り怒鳴り散らす。
「一体、何の話をしている貴様! 何を企んでいる!」
「ダルアス、“コレ”は学内に置いてさえいれば、どのような制限をかけても構わん」
肝心なのは、別に“コレ”が王国騎士になることや、勉強に勤しむことではない。この学校に、“コレ”が接触しなければならない人物がいるのだ。
「まあ、団長とはいえ、そこまでの権限が貴様にあるとは思えんがな」
デュザはゴルドーを真っ直ぐに見据えた。
彼が何をしようと、もう無駄だ。既に賽は投げられたのだ。
「もう聞いていられません。異教徒だから、“コレ”だから、一体何だというのです?」
静寂を破ったのは学長だった。
「子供に対して、そのような物言いをするなど……。貴殿らがそのように扱うから、その子はそのように成ってしまうのではないですか?」




