05.学友の見舞い
五人の学生が医務室に乗り込んできたのは、アルフィが訪れてから、ものの五分も経たない頃だった。
「ガーラント……」
アルフィがそう呟く暇に、騒々しく靴を慣らす音が雨霰のように鳴り響く。
「ウィルク! 息してるか!?」
角刈りの少年が怒鳴り込む。見たところ、まだ十四、五歳ほどだ。
人口密度の増加に伴い、ベッド脇が窮屈になったのか、ベリーショートの少女がカーテンをうっとうしそうに開けた。
「『来て損した』と言ってくれ」
馬鹿でかい声に、流は軽口で返した。
「なんじゃそりゃああ!? お前が倒れた後、どんだけ皆が騒いだと思――ッ!?」
角刈りの絶叫を遮るように、長身で浅黒い肌の青年がゲンコツを落とした。
「痛ええええええ! 何だよガーラント!?」
「静かにしろ。ここは医務室だ」
ガーラントと呼ばれた長身の青年は、静かに角刈りを諫めた。
声は大きくないが、威圧的な声色だった。低いがよく通る声をしている。
ガーラントは一歩ベッドに近づくと、黒く冷たい目で流を見下ろす。
目測で五センチほどある銀髪が、静電気を帯びたように逆立っている。
彼からは、ウィルクに対して、敵愾心に近いものを抱いているような印象を受けた。
剣呑なものを隠そうとしない彼の瞳を、流は軽くいなすことができなかった。
ざわり、と何かで心臓をくすぐられるように、落ち着かない。ガーラントに対して生じたわずかな恐怖心が、気が付けば流の余裕を削っていた。
「その様子では、まさかただ事では済まないのか?」
そう、ガーラントは訊いた。
「んな睨まねぇでも、ただの貧血だよ」
「貴様……?」
流の返事に、今度はガーラントが狼狽を瞼から覗かせる。
だが、それも一瞬のことだった。
彼は口元から、微かに笑みを零す。
「まあ、いい。大事にしろ」
言い残し、ガーラントは踵を返す。
彼がそのまま医務室を出て行くまで、誰も言葉を発さなかった。
ガチャリ、と。
ガーラントの見た目にそぐわず、丁寧な音を立てて扉が閉められた。
直後――、
「ぷふ……」
ベリーショートの少女が吹き出し、静寂を破った。
「ガーラントこっわ。何あれ? ウィルクのこと心配しすぎでしょ」
「すごい迫力」
青く長い前髪を垂らした少年が続く。
その場の空気が弛緩していくのを、流は肌で感じた。
――不器用なだけかよ。
拍子抜け、というよりも安堵感により、流はずり落ちそうになる。
「どうしちゃったの? ガーラント」
ウルスが目を丸くして周囲に尋ねた。
「時期的に仕方ないでしょ……」
アルフィが眉間にしわを寄せながら答える。
「愛されてる」
「重すぎて肝潰すっつーの」
ベリーショートはニヒルに笑み、ピアスだらけの耳をした金髪少年がショークを添えた。
ガーラントのおかげで、一瞬空気が凍り付いたが、それもすぐに溶解したのでありがたい。
態度から鑑みるに、彼はウィルクのライバルなのだろうか。凄みのある男だった。
一方で、ここにいる学生は、全員が洗練されたオーラを放っている。皆の力関係は、先ほどの茶番だけで計っていいものではなさそうだ。
「で、ウィルクはホントにただの貧血なの? 目が据わってるけど、大丈夫?」
そう前髪が訊いた。
「いや、本当はもう少しだけ悪いんだ」
ウルスがそう答えると、空気が再び凍てついていく。
その様子をみて、ウルスは笑い飛ばした。
「大丈夫だよ。点滴終われば良くなるから。ただ、精神的な疲労があるみたいだから、今日は誰か付きっきりでケアしてあげてくれる?」
「悪いけど、頼めるか? さっき歩いてみたらコケちまったんだ」
ウルスのフォローに、流はありがたく乗じた。自分一人では、何もできない自信がある。
「ウィルクって、弱るとこんな感じになるんだな……」
角刈りの笑みが引きつっている。
「いーじゃん。こんな感じのも」
ベリーショートの不適な笑顔だけは変わらなかった。
「寮が別じゃなかったら、あたしがやりたかったよ」
「じゃあ、僕とデュナスが付いててあげるよ。部屋近いし」
手を上げたのは前髪だった。
「しゃあねえ。今日だけ甘えていいぞ」
金髪ピアス――デュナスが白い歯をみせて続いた。
あまり『しゃあねえ』という表情ではなく、流にはむしろ、うきうきといったようにみえる。
「タオ。デュナスがバカやったら、殺していいから」
「ん、わかった」
鋭い声で言うアルフィに、タオと呼ばれた前髪がのんびりとした返事をした。
「デュナスは本気で余計なちょっかい出さないように。アルフィも今日はウィルクを問い詰める真似は厳禁だ。寮に戻ったら、皆に質問攻めにされると思うから、タオイェンとデュナスは上手く避けてあげるようにして。あまりウィルクに負荷をかけさせたくないから」
穏やかに言うウルスだが、その言葉は真剣味を帯びていた。
やはり、普段のウィルクと流であるウィルクにギャップを感じ、メンタル面に不安を覚えたのだろう。
そう気遣ってくれるウルスのことを、流はありがたく思う。そして、ウィルクを羨ましくも。
「というわけで、タオイェンとデュナスは点滴終わるまで待ってね。他の三人は帰ってよし」
「せっかく来たのに、もう追放かよ……」
ウルスが告げると、角刈りが落胆したようにぶう垂れる。
「だから、『来て損した』ってことでしょ?」
ベリーショートが華奢な肩をすくめて言った。
「ワリィな」
「いいよ、レアなウィルクが見られたし」
ベリーショートが可愛らしく、そして小憎らしくウインクをしてみせた。
――大人気だな、ウィルク・アルバーニア。
流は若干圧倒されさえする。
喋り方や人相の悪さを指摘されるあたり、本当のウィルクは人当たりが良く、柔らかで爽やかな好人物なのだろう。
もちろん、これだけできる雰囲気を醸し出す少年少女達のトップを張るのだから、ただ人が好いだけではないはずだが。
「はぁー」
一段落付いたところで、アルフィが一際大きいため息を吐いた。
眉をひそめ、心底気疲れとしたような表情のまま言う。
「タオ、ホントにお願いね?」
「オッケー」
タオイェンがマイペースな返事をする。
「帰るよ。バカ二人」
『はーい』
アルフィの号令に、角刈りとベリーショートは素直に応じた。
背まで伸ばしたピンク髪をなびかせて、アルフィは去って行く。
扉を開け、退室する瞬間に彼女と目が合った。そこから覗えるのは、苛立ちか、もしかすると怒りかもしれなかった。
ただ、流にはわかる。
それは様子がおかしかったウィルクに対する不信感からではない。
悲壮感や哀愁。己の無力さ、情けなさを誤魔化している眼だ。
扉が閉まる、ほんの一瞬の暇に悟る。
流の態度は、アルフィのことを傷つけた。
「ふぅ」
バタン、という音の後、ため息を漏らす。
流は枕に頭の重みを預けた。
目を閉じると、多くの情報が頭を巡る。このとんでもない状況さえも、脳は処理しようと働いているのだ。
グウ、と腹の虫が餌を要求する。流石に、もう食べても吐かないで済みそうだ。
心も頭についていけている。その事実に、流は安堵した。
「晩御飯食べてもいいの?」
タオイェンがウルスに尋ねた。
「問題ないよ。結構吐いたから、食べやすいものにしてね」
「オムライスは?」
この世界に、流の知る食事は果たして存在するのか。
それは流にとって、死活を分ける重要な問題だ。
「マスタードやペッパーソースかけちゃダメだよ」
ウルスの返答から、その存在が確認された。
ソースをかけるという発想まであるということは、味の心配もおそらくない。流は胸中で拳を握った。
「食堂のメニューにあったっけ?」
「なくても頼めば出るだろ」
タオイェンの疑問に、デュナスがあっさり答えた。
そのまま会話を弾ませる二人を尻目に、流は考えにふけった。
――さっきから、すんなりと話が通るな。
流は自らの仮説が裏付けられていくのを感じた。
意識が覚醒してから、まだほんの少ししか経っていない。まともに情報が手に入ったのは、この医務室でだけだ。
思い出す。
それら全てを思い出す。
――ピリピリッ、と火花の音。
日付と時間、学校という概念に医務室や寮、食堂が付いているという事実。そして食文化。
この世界は――。