49.この異世界が在る意味
練炭自殺を図り、死んだはずの流が目覚めたのは、ゲームタワー内に存在する病室だった。
流の目前に座り煙草を吸っているのは、スタッフジャンパーを着用したサングラスの男だ。
後に、流は彼が“グラサン”という愛称で親しまれているのを知る。
「――てなワケで、お前には明日から、ゲームをプレイしてもらう」
彼はこのゲームタワーにおけるルールを説明すると、淡泊に言い放った。
流は未だに飲み込めぬ状況に頭を抱えながら、グラサンに問いかける。
「なあ、お前らの目的は何なんだ?」
「目的? 目的ねえ……」
グラサンは余裕ぶった態度で勿体をつけ、それが流のカンに触る。
睨み付ける流の表情をみやり、グラサンは『まあ、落ち着けって』と宥めた。
「一本どうだ?」
病人が相手だというのに、グラサンは平気で煙草を勧めた。
流とて別にその辺りの常識など、気にする質ではない。ボックスから一本、フィルターを突き出している煙草を引き抜き咥えると、グラサンがライターで火を付けた。
ふうっ、と吸い込んだ煙を吹き出し、流は言う。
「久々に吸ったけどよ……。やっぱ不味いな」
「おまけに臭いしな」
グラサンは笑って同意した。
彼の眼はサングラスに阻害され、その様子を伺うことができないが、どこか虚しい笑いであるという印象を受ける。
「『ゲームタワーは、何のために存在しているのか?』」
煙を吹き出しながら、グラサンが喋る。
「多くの者がそう訊く。ここに来た者は十中八九だな」
「当たり前だ。アホか?」
病室に煙草の煙が充満していくという、摩訶不思議な状況だったが、何故か流は落ち着きを取り戻していった。
「その答えは簡単だ」
と得意気に曰うグラサン。
「人によって異なる。例えば俺にとっては、ゲームタワーはただの職場にすぎない」
「――ハァ?」
答えになっていない言葉に、流は抗議の声を上げた。
「あのな。そういうこと訊いてんじゃねえんだよ」
喋ると、口から熱暴走したロボットのように煙が出る。
「ここは、誰かが何かの目的をもって創った施設だろうが。その目的が何なのか、訊いてんだよ」
グラサンは煙草の火種を灰皿に押しつけ、薄く笑む。
「そんなことを知ってどうする?」
「は?」
「例えば、だ。お前は一度でも考えたことあるのか? この世界が存在する理由を。知りたいと願ったことはあるか?」
流は唖然としてしまう。全くの論点のすり替えだ。
「いや、別に俺はすり替えるつもりはない」
「あのな。この世界は、別に誰かが望んで創ったワケじゃねえだろ?」
噛んで含める。
そんなものの言い方は、短気な流にとっては最大限の譲歩のつもりだった。
「けど、このゲームタワーだかは人間が創ったモノだ。だったら、何かしらの意図があるはずだ。人様が計れるような利益が、必ず在るはずだろうがよ」
それを聴き咎めたのか、グラサンは大きくため息を吐く。
「お前はわかっとらんな」
「わかんねえんじゃねーよ。もっと悪いわ。一ミリも予想不能だ。だから訊いてんだ。だから皆が訊くんだ」
グラサンの突然の突き放しに、流はむきになり畳みかけた。
「いいか? これほどの施設を創り、運営することを、誰かの単純な目的だけの為に、成立させられると思うか?」
「……」
グラサンの言うことは、もっともだった。
この施設が生きているのは、個人の力では成立しない。
複数人、複数団体による運営ならば、その目的など複数在って然るべきなのだ。
とても細かいレベルでみれば、目の前のグラサン男も職員の一人。そして彼は、ここの存在理由は己の職場であるからと言っている。
そう考えると、正しい。グラサンの主張は、徹底して正しい。
流は黙り込んでしまった。
「もう一度訊くが、お前は何のためにそんなことを質問した?」
「決まってんだろ。この理解できねえ状況を、少しでも――」
「そんなことはわかってる」
グラサンは鋭く遮る。
「質問に答えてもらうことで、少しでも心理的な負荷を軽減する。そして、返答次第で、真偽云々を検討する段階を経る。受容、反発、葛藤。形は様々あれど、結局はこの非現実的状況を己に落とし込んだ体を保ち、ゲームに参加する。お決まりのパターンだ」
流には何も言い返す言葉がなかった。
おそらく、今グラサンが言った通りの思考の道筋を、自分も辿っていたであろうことを、認めてしまったからだ。
「だが、存在の理由についての質問は、もっと奥深い探究心が込められている……べきだ」
グラサンは二本目の煙草に火を付けた。
「そりゃ、まさに哲学だな」
ふう、とグラサンは煙を口から吐き出す。
「哲学?」
「そう、哲学だ。崇高かつ下らない問答に、頭を捻る。どこかを拗らせた、暇人の学問だ」
流が持つ煙草は、既に根元まで灰と化している。
流は灰皿に煙草を押し付けた。
「さながら、自分の人生の意味を自身に問いかけるように、人は何かに存在意義を見出したがる。このゲームタワーという特異な存在に対しては、殊更だ」
グラサンは続ける。
「更にもう一度訊く。お前はこの世界が存在する理由を、考えたことがあるか?」
「……」
「ゲームで勝つんだな、神坐流。そうすれば、自ずと見つかる」
そうグラサンは紫煙を燻らせながら、言ったものである。
「お前にとって、このゲームタワーに、どのような価値があるのかを」
そこまで聴いて、流は思わず中空を仰ぎ、大きく息を吐き出した。
――この世界が、どうして存在するかって?
流はそんな哲学的なことを知りたいのではない。知れば、悟りが開けるわけでもない。
流が知りたいのは、もっとはっきりしたものだ。
短気な自分でも納得できる、そんな即物的で、確かな何かなのに。
「んなこと知ってどうすんだよ」
ぽつり、と零した。
「そんなの、意味ねぇじゃねえか」
――それを得たところで、この苦しみが消えてしまうわけではないのだから。
***
ガラス戸を通じて、朱い光がウィルクの部屋に差し込んでいる。
流はすっかりと整頓され、生活感を失った部屋に佇み、夕陽を見つめた。
どこかもの悲しささえ感じてしまうシチュエーションだが、流にはそんなことを言っている余裕などない。
流はウィルク・アルバーニアの退学手続きを終えた。正確には、退学の処分を受けたのだ。
これから、この世界に放り出されることになる。それに不安がないと言えば嘘だった。
だが、それ以上に好奇心が疼いてしまうのだ。
「この世界が存在する理由、ねえ……」
無意識のうちに、ぼやく。
流にはずっと気にしていることがあった。
それは、最初にア・ケートで目覚めた、あの医務室での出来事からずっとだ。
この世界の時間の数え方。
一日は二十四時間であり、一時間は六十分。そして、一分は六十秒。
さらに、数字の数え方は十進法。
加えて、様々な文化。
流の最も身近なところでは、食文化。オムライスを筆頭に、カレーライス、ジェノベーゼ。
もし、流がウィルクの身体を借りることで、言語や文字がそうであるように、勝手に脳内で変換がなされていないのなら。
――この異世界には、神坐流が元々住んでいた世界と、共通することが多すぎる。
それは、二つの世界に何らかの繋がりがあることを、示唆していた。
そして、もう一つ気掛かりなのは、このウィルクの部屋があまりにも整頓されすぎていたという事実だ。
部屋が綺麗だったこと自体も不自然だが、もっとおかしいことがある。
最初に流がこの部屋に訪れて、部屋を荒らしたときに気が付いた違和感。
ウィルクの部屋には、彼のプロフィールの資料等があるだけで、その私物から人となりがわかるようなものが一切見つからなかった。
まるで、これから来る誰かから、ウィルクに関する情報を隠してしまうかのように。
ウィルクの人格が消えることを知っていた誰かが、ウィルクの私物を処分をしたのではないか?
そして、その犯人はウィルク本人の可能性さえ否めない。
これらの謎が、流を旅へと駆り立てる。
それも、ただの“神坐流”としてではない。
ウィルク・アルバーニアの身体を借り、この異世界の住人となった、
――『リュウ』として。
そう思いに耽っていると、ガラス戸からバルコニーに侵入する人影がみえた。
侵入者は、ガラス戸をノックして、リュウに中に入れるように催促する。
まるで、彼女が歓迎されることが当然であるかのような横柄さ。
リュウは思わず笑ってしまう。
最初に彼女とまともに会話したときも、彼女はこうやって部屋に入ってきた。
リュウがバルコニーのガラス戸を開けてやると、
「遅い」
とアルフィ・アルバーニアはケチを付け、そのまま部屋に許可なく入る。
そのまま彼女は円卓に備え付けられている椅子に、腕と脚を組んで座ったものだった。
だが、彼女は部屋を見回すと、驚きにその目を剥いた。
「ホントに退学する気?」
彼女は部屋が整頓されていることから、リュウがじきに出て行ってしまうことを悟った様子だった。
「卒業式、もうすぐよ? それまで待ってても遅くはないでしょ?」
「まあ本音言うと、俺もあんま中退はしたくなかったんだけどよ。――団長さんに追い出されちまった」
リュウは退学の手続きの際に、学長との面談があったのを思い出す。
***
ウィルクのような事例は、この養成学校において、歴史に刻まれるレベルの珍事のようだった。
忙しいはずの学長、そしてゴルドー団長が即座に面談をセッティングしたのが、その証拠である。
「退学、するというのですか? 本気で?」
とゴルドー団長は瞑目しながら、穏やかな口調でリュウに訊いた。
「貴方は特別待遇制度の対象生徒……、それも第Ⅰ種でしたね? 入学金を免除し、高額な学費さえ免除にして、貴方を一人の騎士として育て上げんと最先端の教育を施してきました」
しかし、それは嵐の前の静けさ。
それを理解しているのだろう。学長は隣に座るゴルドーに、怯えきった様子で視線を向けている。
「今日の≪決戦≫で、アルフィ・アルバーニアの為、一暴れしたのを気にかけているのですか?」
気にしているといえば、気にしている。
もっとも、それは騎士団に対してでは断じてない。
「貴方がここで辞めても、貴方がやらかした事実は消えたりしませんよ」
どこかで聞いたような台詞だった。
堅物然とした団長であるが、ある意味で試験を滅茶苦茶にしたウィルクを即処分しないあたり、融通が利く一面を持ち合わせているのか。
「貴方にはこれから王国騎士団の一人として、国に忠義を尽くし、国王を始めとしたこの国の民草のため、魂を削り、身を粉に変えてでも、使命を全うする義務がある」
ゴルドーはその鋭い視線を、リュウに向けた。
「そうは、考えられないのですか?」
「やっぱ、違約金とか発生します?」
「キミッ!」
学長が椅子を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がり、机を両手で叩いた。
「その態度はなんだね? 早く取り下げなさい! そして一刻も早く謝罪を――」
「ああ、やっぱり、卒業くらいした方がいいか。バックれるにしても、契約かなにかが切れるま――」
「この痴れ者がッ!」
冗談ではなく、ゴルドーの叫びによって部屋が揺れた。
窓はミシミシと悲鳴を上げ、学長の自慢の前髪が、逆風を受けたかのように逆立つ。
「消え失せろ! 貴様のような戯けから受け取る金など無いわ! 二度とその不愉快な面を、私の前に見せるんじゃあないッ!」
リュウは立ち上がり、
「お世話になりました」
そう深々と礼をしたものだった。




