46.覚醒
「アンタ、何……言ってんの?」
ウィルクの言葉は、アルフィを失意のどん底に追い詰めていく。
本当に、ウィルクは何を言っているのか。
そんな大金がアルフィに払えるわけがないのは、彼だって充分に承知しているはずだ。
そもそも、金とは何のつもりなのか。
いつの間に、そうやって強請るような真似ができる人間になってしまった?
「払えるわけないでしょ……」
とアルフィはポツリと言った。
「だろうな」
そんなウィルクの声。
「なら、他の連中に払ってもらおうぜ?」
そのウィルクの発言が耳に入った刹那、心がぼろぼろに崩れていく。
そうアルフィは自覚した。
しかし、
――本当にこのまま、為す術はないの?
そんな自分自身のくぐもった声が心に響くのを、アルフィは微かに聴き取った。
――ああ、これって。
『たとえ為す術がなくても、気持ちを訴えるくらい、誰でもできる』
――いつか、ウィルクが言っていたな。
そう、アルフィは突拍子もなく思い出す。
彼の言葉は、いつだって吐き気を催すほど綺麗すぎて。
しかしながら、そんな彼の美徳は、行動で正しさが示された。
そんな彼のことを、アルフィは本気で尊敬していたし。
その気持ちを他の誰かに負けるつもりなど、これっぽっちもないはずだった。
――けど、今問われているのは、自分自身のことなんだ。
もしも。
もしも、ずっと彼の陰に埋もれて、依存して、そんな自分に嫌気がさしているとするならば。
あるいは、そのせいで世界をシャットアウトして、弱さを認める勇気さえ自分で奪っている自覚があるならば。
――こう思え。
孵化の瞬間に、明確な条件など必要ない。
だとすれば、それは。
――今、なのかな?
「お前ら」
ウィルクはグレード5の生徒達に呼び掛けた。
「アルフィのために、三十万を肩代わりする気はねえか? 一人で払わなくていいぜ。合計で三十万集まれば、それでアルフィに票を全部譲渡してやる」
「やめて」
アルフィの呟きは小さかったが、確かにウィルクに届いたはずだ。
にもかかわらず、彼は続ける。
「いや、それじゃモノ足りねえ。お前らは他の生徒がいくら払ったか知ることができない。そんな状態で、金を集めることにしよう」
「やめてって言ってるでしょ!」
アルフィは悲鳴を上げた。
『こういうのって、結果が出せる出せないだの、善い悪いだの、そういう問題じゃないと思うんだ』
『これは自分自身との戦いだから。譲れないものがあるのに、黙りしている人間になりたくないんだよ』
いつしか、そう言ってのけたウィルクの顔は、夕陽が照りつけ眩しくみえた。
では、アルフィはどうするのか。
自分の愚かさを自覚してなお、失意のまま崩れて、今度は全てを今のウィルクのせいにして、また起き上がらないつもりなのか?
アルフィが一番なりたいものは、何なのか。
それは≪現身≫ではない。
孤児に対する福祉制度の改善。
本心だと思っていたそれは、今のアルフィにはまるで蜃気楼のように揺らめいている。
記憶を失ったウィルクに、そんな夢をあっさり看破されたのも当然ではないか。
強くなれば、≪現身≫になって強さを示せば、もう二度と辛い思いをしなくて済む、――そう信じていたのだ。
アルフィは立場や名誉が欲しかった。それも、ウィルクと一緒に。
薄っぺらな夢からは、そんな己の下心が透けてみえる。
アルフィの胸中に、嵐のように様々な感情が巻き起こった。
そして、あまりにも遅くに思い出す。
自分がなりたいのは、自分で自分を恥じることのない人間のはずだった。
自分の弱さのせいで、友達まで巻き込みたくない。
そんな真摯な気持ちが、再びアルフィに活力を与える。
『気持ちを訴えるくらい、誰でもできる』
――しっかりしろ!
もしその契機が在るとするならば、それは今でしかあり得ない。
ようやく、アルフィはウィルクの顔をみることができた。
彼の冷たい瞳を真っ直ぐに見据えて、怒鳴りつける。
「集まるワケないでしょ! 払わせるワケないじゃない!」
だが、ウィルクは一切動じる様子はなかった。
それでも、アルフィは譲ることができない。
眼に涙が溜まっているのを自覚しながら、大きく叫んだ
「『ありがとう』って言ってくれたでしょ!? 『一緒に勝つ』って約束してくれたでしょ!?」
アルフィはこの≪決戦≫が始まる前に、ウィルクと交わした会話を思い出した。
「あのとき、私がどれだけ嬉しかったか、きっとアンタには想像もできない!」
声が震えている。
だが、だが。だが――、
「もうこれ以上……、何も壊させない!」
腕で目を擦り、涙を拭う。
アルフィは彼に言いたくて言えなかった言葉がある。
いや、言ったかもしれないが、ここまで本気で思いをぶつけることはしなかった。
――記憶喪失だから仕方がない。
アルフィはそう何度も自分に言い聞かせてきた。
「元に戻ってよ! ウィルク!」
立ち上がって、彼の名を呼び掛ける。
自分が臆病であることを、ずっと前から識っていた。
だから、あんな風にウィルクを気遣うふりをして、遠慮して、自分が傷つくことから逃げていた。
他人への態度も同じ事だ。
傷つけられるのが怖くて、
自分から手を差し伸べることをせず、
差別という見えない敵を作って、
そんな奴だらけのこの世界に価値がないと自分勝手に判断して、
≪現身≫になって福祉改善をする。
そう戦うふりをして、逃げて逃げて逃げて。
票数からして、アルフィはもう≪現身≫にはなれないだろう。
――でも、そんな受け止めない生き方は、もう終わりにする!
「今のアンタに払う金なんて、一シーンもないッ!」
しばしの静寂ののち。
ウィルクはその鋭い視線をアルフィに移した。
「オメーから、俺に対してはな」
低く重い声でウィルクは言う。
「俺が興味あるのは、皆がオメーにいくら払うか。何を喚こうと、俺は金を募るぜ」
アルフィの魂を削るような叫びに、ウィルクは冷たく反応するだけだった。
「俺を止めることができるのは、この≪決戦≫を監督している、ロイドさんだけだ」
会場がしんと静まる。
アルフィはウィルクと睨み合ったまま。誰も言葉を発さないでいる。
「ふぅ」
誰かがため息を吐いた。
その声の方に視線を移す。
青い短髪を掻いていた、ロイドだ。
アルフィはルール説明の際に、ウィルクがした質問を思い出した。
揉め事が起こった場合、票の譲渡をどうするのかは、彼の裁量で決定するのだ。
「ウィルク・アルバーニア、警告する」
ウィルクはロイドに向き直った。
咎められるのは、ウィルクの発言か、行動か。
いずれにせよ、周囲はロイドに対して、ウィルクのブレーキを掛けてくれることを期待した。
「ここは仮にも上層だ。≪決戦≫とはいえ、この試験は記録に残る公的なものだ。『売る』という表現を訂正しなければ、税金が発生する可能性がある」
「マジかよ? 親切にありがとよ。なら、『交換』ってのは?」
「まあ、そこまで煩く言われることはなくなるな……」
そう言うと、ロイドはウィルクに近づく。
痩せているが、背が高いロイドがウィルクの前に立つと、自然とウィルクの方が見上げる形になった。
「ウィルク・アルバーニア」
そして、ロイドはウィルクを見下ろしながら言う。
「……いいぞ。……いい度胸だ」
「そりゃ、俺の募金活動を認めてくれるってことか?」
ウィルクは少しも譲るつもりはないのだろう。ロイドに対して全く怯む様子をみせない。
「それをどうやって実現させるつもりだ?」
そうロイドはウィルクに訊ねる。
「お前がさっきから要求している三十万は、大金だ。ここにいる学生達に、よしんば支払いの意思があろうと、この場ですぐに金を用意することはできないはずだ」
ウィルクは少し考える仕草をみせた。
「実現方法がないならば、これは不毛なやり取りだ。このまま票の移動はナシにして、≪決戦≫を終了するぞ」
「……まあ、そもそも俺が≪決戦≫をメイクするのも何だしな」
ウィルクはぬけぬけと言ってみせた。
「俺が必死こいて覚えた知識が正しけりゃ、十二連盟≪決戦≫監督官には、紙切れを小切手に変える権限を持ってる職員がいるんだっけか?」
「……とことん呆れた奴だよ、全く」
ロイドは再びため息を吐いた。
しばし、間が空いた。
正直アルフィにとっては気が気でならない。この先の展開も、ウィルクとロイドが何を考えているのかも、全く読むことができない。
「よし。いいだろう」
とロイドは結論を下す。
「お前の意図を汲んで、ここからは私が取り仕切ってやる」
ロイドは懐から取り出した手帳を、一頁ずつ丁寧に破った。そうしてできた小さな紙切れを、計四十八枚用意したようだった。
そして、彼は小型のナイフで自分の手のひらを傷つける。
傷口に右手の親指を押し付けて、全ての紙に血判を捺すと、ペンでサラサラと文字を書き始めた。
五分以上掛けて、彼の作業が終了した。
アルフィもそうだが、その場にいる全員がロイドの行動を見つめ続け、意外にも喋る者はいなかった。
「これから、ウィルク……、いや正確にはアルフィ・アルバーニアへの寄付金を募る」
そうロイドは宣言した。
「ルールは簡単だ。私が今用意したのは、即席の小切手であり、法的な拘束力を持っている。一人ずつ、投票箱の前でこの紙にサインと血判を捺した上で、アルフィ・アルバーニアに対して『支払ってもいい金額』を一万シーン単位で記入しろ。無論、寄金を拒否するなら、小切手への記入や血判は必要ない」
――集まるわけがない。
確かに彼らのほとんどが貴族の家の出身だ。
だからといって、金が余りに余っているわけではない。一万シーンも、他人に出すはずがないのだ。
アルフィは他の生徒達に罪悪感を覚えた。
どうして、彼らをこんな意味の無い行為に付き合わせるのか。
しかも、彼らの同意も無しに、である。
「その後、私に小切手を渡すだけだ。以上」
――それも、私の責任か。
アルフィは下唇を噛んだ。自分の弱さが腹立たしい。
「注意事項は三つ」
そうロイドは言った。
「一つ。結果がどうであれ、ウィルク・アルバーニアは王国騎士団に入団する意思はないらしい。ただし、その言葉の真偽は、諸君が各人で判断しろ」
「本当だ。俺はこのあと、退学の手続きをする」
そうウィルクが口を挟んだ。
アルフィにはわかる。彼は本気で王国騎士になるつもりはなかったのだ。
「二つ目だ。これは投資ではない。借金でもない。誰がいくら払ったか、その情報は開示しない。知ることができるのは、小切手を見た者だけだ。ウィルク・アルバーニアには、その可能性が僅かにあるな。まあ、何が言いたいかというと、アルフィ・アルバーニアに対して見返りを求めようとしないことだ」
――馬鹿げてる。
アルフィは心の中で悪態を吐いた。
見返りもなく、金を支払うわけがない。
「そして三つ目。合計金額が三十万シーンに達しなかった場合、ウィルクからアルフィへの票の移動はナシだ。つまり、ウィルク・アルバーニアに小切手が渡ることはない。私が責任を持って処分する」
「当然、俺もそのつもりだ」
ウィルクは頷いて同意する。
「注意事項は以上だ。では、一人ずつ私の元に来てもらおうか。順番は好きにしろ」
ロイドは投票箱に右手を置いた。ポン、と間抜けな音が鳴る。
真っ先に投票箱に向かったのは、レティシアだ。
アルフィは、自分と彼女の立場が逆ならば、小切手に『くたばれ』とでも書くだろう。
――早く、終わって欲しい。
アルフィは瞑目した。
――ウィルク。
そう考えると、夕焼けに照らされた彼の顔が、アルフィの脳裏に蘇った。
それは、アルフィとウィルクがまだ入学したての頃。
二人が差別を受けていた時期のことだ。




